PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (48) (実践編 - 5)

向後 忠明 [プロフィール] :10月号

<プロジェクトマネジメントの学びとシンガポールエチレンプラント建設>

 フィリッピンから帰国した後、アルジェリアやフィリッピンで経験したことを振り返りながらプロジェクトマネジメントをさらに学ぶため、その文献探しを行いました。

 しかし、現在のようなPMBOK®ガイド やP2Mのようなガイド本や一般のプロジェクトマネジメントに関する書籍も少なく、苦慮していました。
 しかし、断片的ではあったが所属するJ社の新入社員研修用の書籍やセールスハンドブックなどがあったのでこれを頼りに勉強をし、プロジェクトマネジメントの概要を理解していきました。
 現在では多くのプロジェクトマネジメントに関する書籍が溢れていて、その上、資格試験まであり、この時代とは隔絶の感がありました。

 そうこうするうちに今度はシンガポールの製油所建設プロジェクトの話が舞い込み、そのプロポーザル作成のチームに入ることになりました。
 ここでの業務はこれまでアルジェリアやフィリッピンでの仕事とは異なり設計専門部の技術だけではなく多種多様な技術の組み合わせが必要なプロジェクトでした。
 プロポーザル作成はこれまで経験もなく、何をどのようにやるのかわからず、また何から手を付けてよいかわかりませんでした。
 もちろん、先輩の指導がありました。まず言われたことは「顧客からの引き合い書(Request For Proposal: RFP)をよく見てその内容に従って作業するように・・」とのことでした。
 RFPの内容は入札の注意事項、契約書の様式、一般約款、入札の定型様式、技術資料等々プロポーザル作成に当たっての細かな顧客からの指示事項が書いてありました。
 ここに示されている内容にはプロジェクトマネジメントにかかわる事項もかなり入っていました。
 プロジェクトマネジメントの学びをしていた筆者にとってはこの仕事はまたとない機会と感じ、このRFPを熟読し、内容の理解(先輩に聞きながら)、暗記するくらいに読みました。
 しかし、実際のプロポーザル作成の経験のない筆者にとっては具体的な作成内容は相変わらずどのようにしたら良いかわからないでいました。
 そこは経験豊富な先輩がプロポーザル作成の計画、遂行や提案書作成方針等々の具体的活動のための遂行計画書を作成し説明してくれました。
 この方針に基づき、筆者の与えられた役目の部分、関係設計専門部との技術的提案書(技術仕様書、図面及び設計条件)のまとめと見積もりに必要な資料の作成依頼等々のまとめの作業を行いました。
 もちろん、他のプロジェクト担当者もそれぞれ役割を与えられていましたが、提案書全体のまとめ、納期までのスケジュール調整、提案コストのまとめ、そしてプロポーザルチームのマネジメント等は一人の先輩がやっていました。
 この時“この人がこのプロジェクトが取れたらプロジェクトマネジャになるのかな・・・”と漠然と思ったりして将来こうなりたいと思いました。
 この先輩の行動を見て、プロジェクトマネジャの仕事は「かなり広範にまたがる役目でかつ責任のある仕事だな…」などと思い、その責任の一端を担っているとの自覚を持って真剣に取り組みました。
 なぜなら、プロポーザル作成と顧客に提出そして受注までには多くの人とお金そして関係者の協力を得なければなりません。もしこのプロジェクトが受注できなかったらそれまで使用したコスト及び関係者との信頼関係をいっぺんで失うことになります。

 <参照:プロポーザル作成に関してはゼネラルなプロ(14)に記述しているので参照してください。またRFPに関してはゼネラルなプロ(12)及び(13)にて説明しているのでそちらも参照してください>

 このように、多くの人そしてお金を使いそしてその作業を短期間に行い、プロポーザルを社内の事業責任者を長とする審議会にて審議され、社内ネゴと言う関門を通して顧客に提出されます。

 そして、一般的にはプロポーザルの評価とその後の顧客とのネゴなどの会議を通して、契約調印が行われプロジェクトが受注されます。

 <参照:プロポーザル提出から契約調印及び契約の種類についてはゼネラルなプロ(15)及び(16)に記述しているので参照してください。>

 どちらにしても石油関連プラントの建設には多くの各種技術、機能そして設備から構成され、それらの全体を短期間にまとめるにはかなりのスキルが必要であることをこのプロポーザル作成で感じました。

 顧客に提出されたプロポーザルは上記<参照>に示すように評価結果が出るまではしばらく時間があり、「待ち」の状態となります。
 その様な待ちの状態の時、プロジェクトマネジメントに特化した研修に参加するようにとの指示がありました。
 急な話でもあり、どのような内容の話かを確認したところ約6か月間にわたり週2回の間隔でプロジェクトマネジメントの専門家をアメリカとイギリスから講師を呼んで講義をするとのことでした。
 参加者は5人という少人数での講義でもあり、よほどためになるものと思い、積極的に参加することにしました。

 講義をする人はアメリカ人とイギリス人の二人であり、アメリカ人はNASA(航空宇宙局)からの人であり、イギリス人はイギリス海軍からの人でした。
 会社が特別この研修のために用意した部屋に入り二人の講師と5人の受講生の顔合わせを行い自己紹介を行いました。
 その時研修に必要な書籍を渡され「ビックリ!!」。なんと分厚い、そして細かい英語がびっしり詰まったものでした。
 内容的にはプロジェクトマネジメントに関する彼らの経験したプロジェクトでの方法論であり、現在のプロジェクトマネジメント知識体系のようにまとまったものではありませんでした。
 研修も午前及び午後と連続で4時間ぐらい行われ、特にアメリカ人のまくしたてるような英語には閉口しました。
 最後には修了書などもらいましたが、現在でもこの研修はどのくらい自分のものになったのか疑問に思っています。このような研修であれば実プロジェクトで先輩の指導を受けたほうが良いと思ったくらいです。
 このように、この当時(1970年後半)ではプロジェクトマネジメントを学ぶには実際のプロジェクトで先輩の指導の下での、いわゆる「On the JoB Training」しかありませんでした。
 もちろん、この研修期間中は仕事もなく遊んでいるという事ではなく、研修に影響ない程度の軽い役割でのトルコ国エチレンプラントのEPプロジェクトでしたが担当者として途中から入りプロジェクトの実際の経験もさせてもらっていました。

 このように、研修やシンガポール製油所のプロポーザル作成そしてトルコエチレンプラントプロジェクトでの仕事を通してプロジェクトマネジメントの全体像をある程度理解できるようなってきました。

 ところで、話は少し外れるが読者諸氏は「なぜ筆者は勝手にいろいろなプロジェクトに入って仕事をすることが出来たのか?」と疑問を持つことと思います。
 筆者の所属していた会社のプロジェクト事業本部はプロジェクトマネジャの権限が他の企業と比べ大きく、空いている人がいれば人材の一本釣りが可能となっていました。
 もちろん、設計専門本部の各部から対象プロジェクトへの関係技術者を一本釣りすることも本人の事前了解を得ていれば、事後承認での部長の許可を得られるようになっています。その様な体制となっている会社であったので仕事があればいつでも声をかけられ状態となっていました。
 しかし、一方では対象プロジェクトに必要な人材を集めると言ってもプロジェクトマネジャが実績のある有能な、そして人望のある人でなければそのプロジェクトへは有能なスタッフは集まりません。
 このように、この会社(J社)では呼ぶ人も呼ばれる人も、少しでもプロジェクトでの有用な人材となるよう切磋琢磨していたように感じていました。
 よって、必然的に良い人材の集まるプロジェクトは常に成功を勝ち取っています。
 それだけにプロジェクトマネジャになれる人は限られるし、相当にPMコンピテンシーも高くそして経験も知識も豊富な人でなければなりません。

 この頃になると筆者もそろそろプロジェクトマネジャとなりたいと思うようになってきました。そのためには人に認められるくらいのプロジェクトトマネジメントスキルと実績を積んでいかなければならないと、更に思うようになってきました。

 その様な時、ある大きなプロジェクトが始まりました。
 それはシンガポールでのエチレンプラント建設プロジェクトです。日本の石油化学会社が初めて海外にプラントを建設し、運用するといったかなり大型のプロジェクトです。このプロジェクトはシンガポール本島に建設するのではなく、本島からかなり離れた島に建設するものであり、全くのグラスルーツ型(何もないところにプラントを建設する)のプロジェクトでした。

 この頃は、筆者もPEとしてのトルコエチレンプラントの仕事が終わったばかりでした。また、このプロジェクトのPMもこのシンガポールプロジェクトに参加することになっていました。そのため、必然的に筆者もこのプロジェクトに入ることになりました。
 このシンガポールでのプロジェクトがこれまで学んだプロジェクトマネジメントをさらにブラッシュアップするための大きな筆者の布石となりました。
  
 来月号はこのシンガポールのプロジェクトでどのようなことを学んだかの話をします。

 「PMBOKは、プロジェクトマネジメント協会(Project Management Institute. Inc.)の登録商標です。」

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