PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (45) (実践編 - 2)

向後 忠明 [プロフィール] :7月号

 先月号で約束の「ゼネラルなプロ」への道筋について筆者の拙い実務での経験やその中で思ったこと、そしてどのようにしてきたか等を例示しながら話を進めることにします。
 筆者はいつも「昔取った杵柄」と言うものを大事にしてきました。それは何かと言うとその時代時代で学んだことや経験したことを糧として次の業務でそれを多いに利用してきたことです。
 「そんなことは誰でも考えることで当たり前のようなことだ!!」と言う人もいるでしょう。
 しかし、このことは単に知識を増やすことだけではなく、その知識を如何に応用し、対象に適用していくかといったことです。そして、その結果をさらに深く「あの時、このようにすればもっとよくできたのに」とか「思っていたが行動に移さなかった」等、後で思った事を反省としてまとめ自分の辞書にしていったという事です。
 そして、この実体験を次回のプロジェクトに生かすことでした。
 すなわち、以下の図に示すようなサイクルの繰り返しにより「昔取った杵柄」の厚みを増すことで次のプロジェクトに挑戦することです。

図45-1 PMスキル向上のサイクル
図45-1 PMスキル向上のサイクル

 このサイクルは“ゼネラルなプロ”になるための前提ですが、人は誰しも最初は素人です。同じようなことをやっても“ゼネラルなプロ”になれる人もいればなれない人もいます。
「それは何故か???」
 ゼネラルなプロ(34)にて説明していますが:
“ゼネラルなプロ”はそれぞれ業務の中で、持っている各種知識や実践経験、そして情報等を全能的活動によりなすべきことを認知し、取捨選択し、それを適切に利用し、行動に移し、その場面をうまくさばくことができなければなりません。」
 詳細はゼネラルなプロ(34)を参照してください。

 一般的には専門技術者は技術の造詣に深く、そして同じくその技術に特化した仕事を繰り返し、実践を通してさらに高みに昇っていけますが、“ゼネラルなプロ”は異なります。
 もちろん、専門技術者は将来管理者になった場合、技術のみならず管理業務に関する知識や業務が必要となってきますが、やはり企業内の部分最適を追究する管理者です。
 “ゼネラルなプロ”は前月号でも説明したような全体最適な人材でなければなりません。そして、専門技術者をプロジェクトの要求に従って自由に使いこなせる人材でなければなりません。

 前置きはこのくらいにしますが、「偉そうに言っている貴方はどうですか??」と言いたくなる読者もいると思います。
 その説明は簡単ではありませが、筆者の場合の例で参考になるかどうかわかりませんがプロジェクトマネジャになる前とその後の足跡について以下の図45-2に示しました。これに沿って筆者が何をどのようにしてきたかを説明していきたいと思います。

図45-2 筆者の職歴概要
図45-2 筆者の職歴概要

 筆者は“ゼネラルなプロ”を語るほどの優秀で、能力のある人間など思ってもいません。それがどうして図45-2に示すようなことができたのか、今振り返ってもわからないことばかりです。
 少し「私の履歴書」みたいになり恥ずかしいのですが、自分を振り返る意味と読者にも参考になればと思い恥を忍んで話をしていきたいと思います。

 最初にエンジニアリング会社に入りましたが、特に将来何になりたいかといったようなこともなく、学校を卒業したらどこでもよいから早く就職したいと思っていました。
 偶然、ある知り合いからの紹介もあり、なんとなくその紹介先が自分の専門分野にあっていたのでその会社就職しました。
 この会社はその当初(1968年頃)はまだあまり知られていない横浜の片田舎のあった小さな会社でした。
 学生時代は運動部にいたので体力だけは自信があったのでよく土木工事のアルバイトをやってました。その関係で入社した時の配属は、面接の時に現場でのプラントの建設部員でどうかという事で建設部となりました。
 しかし、途中で考えを変えて設計専門部に変更しました。その理由は建設部での仕事の内容は体力勝負のような気がし、自分の専門が生かせないような気がしたことです。

 その理由は、入社した動機は何であれ一度決めて就職したら、冷静に自分が何をやりたいのかを自社の業務を全体的視点で状況分析、将来分析そしてその結果の判断で行動をとることが必要と多分無意識に考えたのでしょう。(この時はまだこのように論理的に物事を考えるような頭は持っていなかったが・・・)
 そして、本当にやりたい仕事はここにはないと嘆くのではなく、「石の上にも3年」で上記に示したような考えが無意識に働いたのだと思います。

 何はともあれ一つの分野で誰にも負けないプロになるために必要な部門で、かつ幅広い技術を必要とする部門を希望し、6か月の研修期間の間に最終的な職務を決めました。

 もちろん会社側にも事情はりましたが、研修期間中に考えたことを披露して、人事部と交渉をしました。
 今になって振り返ってみるとゼネラルなプロ(35)及び(39)で説明している、認知力(全体的視点、情報収集(状況把握)、問題発見、問題解決)といったPMコンピテンシーの行動を自然体でとっていたことになります。
 いずれにしても、人間だれしも未知や複雑な問題が発生した場合は冷静に自分を見つめ、認知力に示す方法にて将来分析、リスク分析、問題分析を多角的に行い判断をするといった行動を常日頃から持っているという事が大事なようです。
 その後はこの部署での仕事を早く独り立ちになれるように日々頑張りました。しかし、ほとんどの仕事がプロジェクト部門や営業部門からの依頼をこなすだけのルーチンワークでした。
 3年ほど経ってから筆者は計算尺とそろばんのアナログ的業務のおかげでかなり貴重な業務経験によりプロとして独り立ちできると考えるようになりました。
 (実際はコンピュータ化とマニュアル化が進み画一的仕事になったため、職人的な手法が使えなくなり面白さがなくなってしまったことも理由の一つであった)

 すなわち、図45-2に示すⅠ型人材からの脱皮を考えるようになりました。

 この会社には多くの専門部門があり、それを統括し組み合わせてプラント設備をまとめるプロジェクト部門がありました。
 その中でも筆者は海外で仕事をしたいという希望もあり、設計部門で仕事を始めてから上記でも述べたように3年ほど経つころからプロジェクト部門への移動を考え出しました。
 しかし、なかなか要望を出しても受け入れられず、悶々としていました。
 5年ほど経ったある日、海外プロジェクト部門から筆者の専門とする部門の技術を利用する設備の設計から建設までの一貫したプロジェクトの依頼が舞い込んできました。
 早速、海外プロジェクト担当と直接根回し交渉を行い、その後、部門長に“私がやります”と手を挙げました。
 最初はまだ力不足と却下されたが、プロジェクト部門への根回しが効いたようで、プロジェクトの担当として先輩プロジェクトマネジャの指導の下でこの仕事をやることになりました。
 ここではまだⅠ型人材からの脱皮は果たせていないが、その入り口に立つことができました。
 しかし、初めての海外プロジェクトの担当としての仕事であり今に思えば全くのプロジェクトマネジメントの素人が本当にできるのか誰もが不安に考えていたと思います。
 (この当時はまだ現在のようなプロジェクトマネジメントに関する体系もなくまた教育もない時代でした。ただ先輩の後姿を見て学ぶといった方法しかありませんでした。)

 全く図々しいそして怖いものなしの挑戦であり、失敗したら“Ⅰ型人材からの脱皮”などは夢のまた夢になってしまいサラリーマン人生もこれで終わりと思うような気持でいました。

 今月号はこの辺までとし、来月号ではこのプロジェクトをどうしたか、またどうなったか、そして“Ⅰ型人材からの脱皮”はどうなったかを示してみます。

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