PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (29)

向後 忠明 [プロフィール] :3月号

 今月は前月号の続きとしてシンガポールプロジェクトにおける契約についての話から始めます。なお、契約に関する説明の詳細はすでにゼネラルなプロ(16)で説明しているのでそちらを参照してください。
 さて、シンガポールプロジェクトは前月号で説明したように無人島に最新鋭化学プラントを建設する仕事です。具体的にはエチレンプラント設備を中心としたコンプレックスプラントです。
 今回対象となるプロジェクトは大きくオンサイト(エチレン製造設備)とそれを支援するユーティリティー設備(水、電気、スティーム等オンサイト設備を動かすために必要な設備)とオフサイト設備(貯槽、原料受入れ設備、桟橋、橋、各種建物及び電話、道路、交通信号等々)そして生活必需品や各種業務に必要な備品の準備から構成されていました。
 オンサイトに含まれるエチレン製造にかかわる設備の国内での実績はいくつかありました。しかし、オフサイトはコンプレックス全体に関連したインフラです。よって、設備全様が明確にならない限りその使用は明確になりません。ましてや海外の無人島でのプラント建設であり、何をどこまで準備しなければならないのかわかりません。 コンプレックスということなので将来設備としてエチレン誘導隊の設備も建設されるという情報もあります。
 このような状況である上に、顧客の求める本プラントの早期着工といったひっ迫した事情と顧客の要件がまだはっきりしていないことなどからどのようにこのプロジェクトを進めるかの検討が必要となりました。
 すなわち、早急な全体コスト事業費にかかわる予算の設定と早期着工が要求されました。
 そこで考えられたのが、「これ以上のコストはかからないだろう」という大枠の予算の設定をJ社の国内での同一プラントの経験をもとに顧客と一緒になり予算設定をしました。
 すなわち、プラントの全様がわかるまで基本設計まで実費精算とし、基本設計によりある程度プラント設備の全様がみえてきた時点で最終一括契約としてプロジェクトを進めることになりました。
 この時の一括契約のコストは大枠予算(これをシーリング予算と称しました)を超えないことを前提としていました。
 すなわち、実費精算契約と一括契約の組み合わせとしました。
一方、 プロジェクトの実行面においては問題がありました。
 国内事業部所属のエチレン設備担当は技術及び実績では信用も得られているので問題ないものでしが海外でのプロジェクト実行の経験がありません。
 そこで、海外プロジェクトに経験のある国際事業部所属のオフサイト担当がプロジェクトマネジメント業務を行うことになりました。
 すなわち、国内事業でのエチレン設備に熟練したスタッフと海外プロジェクトに慣れたオフサイトスタッフの混合部隊による体制で行うことで本プロジェクトに対応することになりました。すなわち、所属部門におらわれない柔軟な体制つくりによる得意、不得意の分野をお互いに埋め合わせたプロジェクト実行体制としたものです。
 蛇足ですが、プロジェクトの実行体制とその役割の設定についてはゼネラルなプロ(18)の「プロジェクト計画書の作成」に説明しているのでそちらを再読してください。
 プロジェクト実行体制つくりと人選がプロジェクトの成否を決めるかこれまでの説明でわかったと思います。
 ところで、日本国内での顧客と請負企業との力関係は一般的に顧客のほうがどうしても上位であり、請負側はその下位となり仕事をするという習慣が大勢を占めています。
 このシンガポールプロジェクトの契約においても以下のような事象がありました。
 たとえば:
“貴社とは長い付き合いの中でこれまでいろいろ仕事をしてきましたが、このまま貴社が自分の意見を通すと今後の関係にも影響がありますよ!”
 これは、J社が顧客の言いなりにならないと今後の仕事はあげませんよ!といったようなまさに「上位下達」に類する脅しでした。
 これに対して、J社のスタッフは以下のように言いました。
“結構です。こちらは国際事業を主に担当している者なのでこのプロジェクトを完了したら今後のお付き合いもないでしょう。因みに、海外プロジェクトは“契約は神との約束”であり顧客も請負業者も対等の立場でその約束事を実行するものです。よって、契約はお互いに十分意見を言い合って齟齬の無いものとし、神の下では上下関係なくその約束を完遂することにあります“
と反論しました。
しかし、結果は
“それではお互いこのプロジェクトでいろいろ貸し借りもあると思うがこの契約で決まったことは真摯に守り、プロジェクトを成功に導いていきましょう”
ということでした。
 この顧客も海外との取引もある大企業でありJ社とも付き合いも長いのでこのようなことで済みましたが、必ずしもこのような結果にならないこともあります。
 基本的には海外でのプロジェクトの取り組みは頭を使い積極的な物言いと行動で示していくことが重要です。
 これまで話したことは日本人同士の交渉事であったが、それでも海外と国内での業務遂行においてもまた考え方にも相違が出てきます。
 ましてや、全く慣習も感覚もそして言語も異なる外国人と仕事をするとなるといろいろなところで齟齬が生じることが容易に想像できます。
 シンガポールに関連する話はこの程度としますが、その後の著者の経験した国は海水淡水化関連のプロジェクトで中近東が主な訪問国でしたが、その時、訪れた国はサウジアラビア、UAE ,ドバイ、オマーン、クエートなどでした。
 中近東は読者諸君も知っている通りイスラム国家であり、宗教的な各種制約もあり仕事をする上でも西洋やアジアとは全く違った側面があります。
 特にサウジアラビア人はあまり働かず外国からの出稼ぎの人に頼るばかりであり、その上この人たちに対する扱もひどいものと感じました。また、自国民優先であり、たとえば自動車事故があっても相手が外国人であると警察は自国民の責任で起こした事故でも相手の外国人の責任とします。
 また、よく聞いた話では警察に捕まると迎えに来ない限り警察から出してもらえないなどとの話も聞きました。
 いずれにしても中近東はイスラム国家であることを十分認識して、摩擦の起きないような行動をとる必要があることを肌身で感じました。
 このような経験を通して感じたことを日本人と外国人(アジア/中近東)との文化や慣習の違いを以下のように表にまとめてみました。
表28-1 日本人との文化・慣習の違い
表28-1 日本人との文化・慣習の違い

 上記は文化習慣であるが、ビジネス実行上にも関係がある内容でもあります。
 特に、J社は外資系の石油会社と仕事をすることも多く、たとえばエクソン・モービル、BP,シエル等がその対象となっていました。また、事業全体では技術提携相手企業や下請け業者なども外資系の企業もありました。
 このようなことから、東南アジアも含め欧米系の企業とのビジネス習慣にも知見を持つことができました。
 このような経験からビジネス慣習において日本と異なる事象について表28-2に示してみました、

表28-2 日本と海外でのビジネス慣習の違い
表28-2 日本と海外でのビジネス慣習の違い

注)上記は欧米との比較をベースにしているが、アジアはかなり欧米の影響も強く<外国>の部類にはいる。但し、日本的ビジネスも最近では<外国>に示すビジネス習慣を学び上記に示すような明確な違いもなくなってきています。

 以上がこれまで著者が海外プロジェクトでの経験や各海外企業との接触から得た感触をまとめたものです。
 昨今の円高、高齢社会、そして海外企業との競争等々のビジネスを取り巻く環境の変化からビジネスのグローバル化の進展も激しくすでにゼネラルなプロ(26)の表26-1に示す日本企業の国際化段階は第5世代に突入しています。
 読者諸君もいつ何時海外のプロジェクトまたは業務に参加することにもなるかもしれません。

 ここまでの話は、著者がJ社においての海外でのプロジェクト、特に石油及び石油化学に関連したものでした。
 この頃(1985年以降)になるとJ社も既存分野だけでの企業成長では限界があるとのことから新事業分野への参入ということで情報通信分野への進出を決めました。
 ここからが著者の人生の大きな転機となる大きな問題が発生しました。

 この情報通信は全くJ社にとっては未経験の分野であり、当然単独での新分野進出はできません。そのためこの分野で最も大きな企業であるN社と情報通信の海外進出を目的としたN社の戦略新会社に加わることになりました。一方、このN社はマルドメ(まるでドメスティック)というくらい海外事業には疎い会社でした。そのため、海外展開するのに最適な企業との合弁を画策していたようです。
 このように双方の利害が合致したことでJ社はこの計画に乗り、海外プロジェクトに経験のある人間をこの新しい会社に派遣することいなりました。
 その白羽の矢????にあたったのが著者でした。

 著者は全く情報通信に関する知識もなく、これまでの仕事はほとんどの場合は化学関連であり、“とんでもない話”ということで断りました。しかし、結局は海外プロジェクトに経験があることやその他のいろいろな事情を鑑み会社が決めたこととあきらめ出向という形で行くことになりました。

 この新会社には海外プロジェクトの経験者は誰もおらずそして仕事の内容が著者の専門外の電気通信という背景の中で“いったいどうなるのか”との思いを持ちながら重い足取りでこの新しい会社に行きました。

 ここから以降はこの新しい会社での海外プロジェクトの経験談となります。ここではJ社でのプロジェクトでは経験したことの無い多くのプロジェクトに参画し、更なる知見を得ることになりました。
 次月号からこの新しいN社での話をします。
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