PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (30)

向後 忠明 [プロフィール] :4月号

 今月はN社に来てから従事したプロジェクトの話から入ります。
 この会社に来て初めて従事したプロジェクトはインドネシアにおけるJICAのプロジェクトで都市内マイクロ波により電気通信拡充計画に関する調査でした。電気通信のこともわからない著者にその調査団の団長を依頼してきました。
 このプロジェクトは専門家としてN社の技術者をまとめてインドネシア電話公社の電話回線拡充に関する調査を行うことが主な目的でした。
 技術的な知識は著者には何もなかったですがプロジェクトのまとめや実行中のインドネシアの電話公社との駆け引きが主な仕事と理解しこの仕事を引き受けました。
 この調査でも契約上のトラブルが発生し、電話公社との間でトラブルがおきました。
 要するに契約があっても公社の手続きの遅れが原因で日本側の予定と大きなずれが生じ調査に必要なインフラが整わないまま作業開始となってしまいました。その後も電話公社がいろいろ注文を付けてきました。
 要するにインドネシアやアセアン諸国の温暖な国は時間厳守に関する考え方が日本人の慣習とは大きく異なります。そのため、このようなことにあまり振り回されないほうがよいということです。時間を守らないのが当たり前と思って仕事をしないとストレスがたまります。ただしそれなりのリスク対応は取っておく必要はあります。
 インドネシアについては後の大きなプロジェクトで説明するので、今回はこの程度とし省略します。
 このJICAの調査案件の次に託された仕事はトルコ国でのシステム開発のプロジェクトでした

 <トルコ>
 このプロジェクトはトルコの大統領とN社の総裁と取り交わした約束事で、中央銀行を含めた銀行間の取引の迅速化と効率化を目的としたものです。
 N社は日本においてすでに全国銀行間取引のできるいわゆる「全銀システム」の構築の実績を持っていました。それを知ってトルコ政府が総裁に同じようなシステムの構築を求めてきたと思われます。
 このプロジェクトはN社、否、日本にとっても信用にかかわる重要なものであり、当然N社の経験のある優秀な人材がこのプロジェクトのリーダーとなりこの仕事のかじ取りをするものと著者も思っていました。
 ところが、ある日、著者が会社に着くと、N社の国際局長そして出向先のNI社の社長に呼ばれました。“君はインドネシアのJICA案件は終えて、次の仕事はトルコにおける仕事だがどうかね!”
 “トルコのプロジェクトというと噂になっていたまさかあのプロジェクト???”まさかシステム開発に関して“ど素人”の著者にその様なことはあるまい“と思い、”どのようなプロジェクトですか?”と質問しました。
 ところが、まさにそのプロジェクトであり“ギョギョ!!!”でした。
 N社ではすでに以前全銀システムを構築した経験者もいて、今のN社の関連データ会社がその代表格でもあります。
 “????・・・だったが局長曰く”海外経験のあるリーダーがいない。“の一言でした。
 著者としてはトルコという国も初めてそして仕事の中身も初めてのものであり途方にくれるばかりでした。
 その上まだこの企業に来て2年もたっていないので人脈もない状態でした。
 どうしら良いかと相談相手もなく毎日悩んでいましたが、一念発起何とかなるだろうと思い、気を立て直して次のようなことから始めました。
 まずはシステム開発は顧客の要件を正確に伝え聞き文書にすることが重要と考え、全く畑違いで語学に堪能な人間をこのプロジェクトに参加させることを考えました。
 そこで、著者と一緒に仕事をしたいという若手で語学に堪能な者がいたのでその人間をプロジェクトに参加させました。そして、その若者にこのプロジェクトに興味を持っている技術者を探してもらい、その中から知識、経験そしてやる気などを見て適切と思われる人の選別をしました。
 それでも、全銀システムの経験者がいないのでそのほかの人材はNIの社長にお願いし探してきてもらいました。
 これがこのプロジェクトにおいて手を打った最初の仕事でした。
 “なぜ語学のできる人をこのプロジェクトに最初に入れたか?”理由は素人ながら海外におけるシステム開発は当然顧客の要件を聞くことから始めなければならないと思ったからです。そしてそれを文書にして正確に開発者に伝えなければなりません。
 著者も前の会社で英語の勉強をしてきましたが、システム開発にかかわる用語もまた相手のニュアンス(コンテキスト)などを読み取るほどの能力はありませんでした。
 それが一番の理由でした。そのほかは若手であれば官僚的な考えも薄く、自由な発想で海外で活躍することもできると考えたからです。
 この読みは当たりました。このプロジェクトに派遣されたN社の技術者は関連知識があっても正確なコミュニケーションができませんでした。その部分をこの若手が顧客及び関係技術者の間に立って会議を仕切っていいました。
 結果的にこの若手が会議を通じて技術的知識を得るばかりでなく、顧客の要件をその代弁者のように振る舞うことができるようになりました。
 しかし、よくあることですが、このようになるとチームワークに問題が生じるようになり、チームの中には“なんだあいつは若造のくせに”という意見もあります。
 一方、プロジェクトマネジャとしてはこのようなことはチーム運営上問題となるのでWin-Winとなるような方策をとることに専念しました。特に海外においてチームプレーが崩れるとホームシックも重なり、大きな問題となります。
 すなわち、チームの雰囲気を重視しコミュニケーションクライメート*の醸成に気を配ることに最大の重点を置きました。。
 我々が駐在したところは首都のアンカラであり、イスタンブールと異なり、観光地のようになんでもそろっているといった場所ではなく日本でいう官庁街のようなものです。よって娯楽もありません。  そのため、海外経験のない人の集まりであるチーム員はストレスの塊となっていました。
 海外でのプロジェクトではチームの雰囲気、住環境の違い、言語のギャップそして食事等によるストレスが大きな問題となることが多いです。
 特に日本と異なった食生活では特にストレスがたまったようです。トルコはイスラム圏ですが食材についてはあまり問題にはなりませんでしたが、問題は味付けであり日本人好みの醤油を使ったものがあまりなくチーム員は日本から持ってきたカップラーメンや小瓶で持ってきた醤油で味付けは我慢していました。
 時には駐在している中央銀行の寮では禁止されていましたが、焼き肉で小規模なパーティーなどをやりチームの食事に対する不満を解消したりしました。
 このことをある人に聞いたところ「日本人はアミノ酸中毒でこれが不足するとストレスの原因になる」とのことでした。
 良く考えてみると東南アジアやヨーロッパにいるときはあまりこのようなことを気にもしませんでしたが、この話を聞いてなんとなく納得したような気がしました。
 読者諸氏も中近東などに駐在する場合はこのようなことも知ったうえで出かけると良いと思います。
 なお、トルコは明治の時代にロシアとの戦いで日本が勝ったことに大いに関心を寄せているようでした。たとえば、バルチック艦隊を沈めた東郷大将の名前などは有名です。
 日本人とみるとどこでもその話が出ます。また、日本がトルコの軍艦が日本近海で沈没した時も多くの将兵を助けたということもあり、総じて日本人に対しては好意的な人たちが多いように感じました。
 このように、海外での仕事ではその国の歴史や文化も十分に理解した上でその国の人たちと一緒に仕事をすることも大事であることにも気づかされました。
 特に、海外において現地人とコミュニケーションをとることが重要であり、現地語は無理としても日本の文化や歴史も含めて英語で説明することのできることができたら良いと感じました。

 さて、ここでのプロジェクトは中央銀行、各関連銀行とも良好な関係と信頼感から特に大きなクレームもなく順調に進めることができました。
 プロジェクトの実行期間中で生じた問題は①システム開発環境がフォルトトレラントといった特殊なハードウエアーであったことでこの調達に苦労したこと②このハードウエアーを利用しているプログラム開発会社が持っているものが古いタイプのものでOSのVersionも古く開発とテスト双方の利用に不具合があったこと③中央銀行のメインコンピューターと各銀行をつなぐリレーコンピューターのインターフェースが合わなかったことでリレーコンピューターのイギリススのソフト開発会社との調整に時間がかかったことなどでした。
 いずれにしても中央銀行の総裁や副総裁も本プロジェクトに直接関与し、問題発生時の決断も早かったため順調にこのプロジェクトは完了することができました。
中央銀行総裁からは”This is a quantum leap in he history of Turkish banking society”(これはトルコ銀行業界の歴史における飛躍的発展である)と最大級の賛美をもらいました。
 最後にこのプロジェクトの契約について話をします。このプロジェクトは「日本の全銀システムと同じシステム」という不明確な要求を基本設計・基本検討フェーズ中に明確化し、かつ見積もり変更のリスクに対しては実費精算とし、その後仕様が固まったところで一括契約としました。
 日本では顧客要件の不明確なまま一括で契約するケースも多く、非常に危険なプロジェクト運営をしていることも少なくないと聞きます。特に最近はアジャイルといった開発手法も出てきているようですがこの場合も上記のトルコプロジェクトのケースで進められます。
 プロジェクトマネジャも契約の特徴とその内容を理解し、プロジェクトの質や規模、複雑さに対応できるようになっている必要があるでしょう。

 このように全く経験のない分野のプロジェクトを何とか完了し、日本に帰国しました。
 当分ゆっくりしたいと思っていたところこのトルコプロジェクトの成功を聞いたタイ中央銀行がN社に同じシステムの開発を依頼してきました。
 著者はトルコのプロジェクトで自信を持っていたのでこのプロジェクトの実行を積極的に推進しました。
 以前から、タイは中国、ベトナム、インドと並んでエンジニアリング会社にいたころから請負企業においては鬼門といわれ多くの企業が失敗をしていました。
 その理由はこの当時(1990年の初頭ごろ)ハード商品にはお金は払うがソフト商品(たとえば設計役務やサービス役務等々)にはその価値を認めないといった傾向がありました。また、海外企業がその国で投資やプロジェクト実行に際しての法律的基盤がまだ未整備であったことも原因かと思います。

 <タイランド>
 タイランドは特にここで詳しく説明する必要はありませんが「ほほえみの国」そして表面的な愛想は良いが疑い深く交渉などでもかなりタフなものを持っています。
 なにせ、歴史的に他国の植民地になったことの無い東南アジアでは唯一の国ですから・・・。
 著者が当時まだ働いていたエンジニアリング会社でもこの国でのプロジェクトは失敗しています。(最近では問題はないようですが・・・)
 このような事情を鑑み、著者もこのタイでの中央銀行の仕事で何とか成功し、これまでのタイでのプロジェクトの失地回復を図る意味でもこのプロジェクトを成功してみるとの気概で挑戦してみました。
 このプロジェクトはふたを開けてみるとトルコの場合と中身は異なり、中央銀行と支店間の大口貨幣のトランスファーと小切手の決済を行うシステムでした。
 基本的なシステムの構成はトルコのケースと同じという技術者の説明に従って提案書を作りタイ中央銀行に提案しました。
 競争相手はシンガポールのあるシステム開発会社ということでした。そしてこの会社はシステムパッケージで提案し我々のものよりかなり安いコストでかつ一括請負のような提案しているとの情報が入ってきていました。
 “何故、このような特殊なシステムがパッケージ化されているのか?”との疑問を抱きながら、安易な考えで提案書を作成しました。
 すでにここでタイ人特有の「欺瞞情報」が流されていたのでしょう!。後で気が付いたのですが・・・・これがこのプロジェクトの第一の失敗でした。
 結果としては我々の提案を受け入れてくれたがコストについては上記の欺瞞情報につられ要求要件が決まらないまま一括契約になだれ込みました。
 おまけに、契約交渉のためタイに出かけた時、大きな暴動が発生し、官庁街が暴徒との市街戦が始まっているとのニュースが流れました。
 事実、我々の泊まっている近くの繁華街で不夜街といわれるパッポンやシーロムと行った通りから屋台や電気が消えて人道りが全くなくなりました。
 翌日の契約交渉に支障が出るのではと思っていましたが夜になりTVニュースで軍と反対派の代表がタイ王室の王様の前でこの暴動を今夜で終えるとの約束が伝えられました。
 そのため、翌日は官庁街にある中央銀行に出かけることになりました。
 この時でも、官庁街ではまだ暴徒が警察や軍と小競り合いをしていてあちらこちらに火の手と黒煙が昇っていました。
 無事に契約交渉が始まりましたが、ほとんど契約内容の詰めが終わり、最後にコストの交渉も終わりかけた時、交渉場所のすぐ近くで爆発と黒煙があがりました。
 そのため、日本側の交渉団も腰が引けてしまいコスト交渉もそそくさと終わらせることになってしまいました。
 これがこのプロジェクトの第二の失敗でした。
 それでも今後の変更交渉で何とかなるだろうとプロジェクトをスタートしましたが、実際プロジェクトのふたを開けるとかなり難しい要求がオペレーション担当から出てきました。
 その内容は米国のFRPやイギリスの中央銀行の考え方をヒアリングしこのシステムに反映してほしいとのこと、そして20年後のあるべきシステムの姿を考えてほしいということでした。
 こちらは日本銀行とも会議を持ち日本の考えをベースに本システムは構築するつもりでいたが、契約ではその様なことは一度も話されませんでした。
 これが第三の失敗でした。
 しかし、何とかこの問題もクリアーして異本設計は完了しました。
それでも、契約当初の交渉失敗によるコストの件は回復しないことも判明し、かつ、チーム員からも信頼を失ったことから責任を取ってプロジェクトマネジャを降りることになりました。
 この失敗の原因は①最初の出だしの契約時点での甘い判断②トルコのプロジェクトの成功での気持ちのオゴリ③タイのプロジェクトであることで気負いが過ぎたこと等が考えられます。
 以上がタイでのプロジェクトでしたが、このプロジェクトの最終は無事に完成し、タイ中央銀行から喜ばれたと聞いています。
 このタイの仕事は著者のプロジェクトマネジャとしての大切な失敗経験となりました。

 その後、トルコ中央銀行から第二弾のシステム増強の話が来ました。
 しかし、著者は江戸時代でいう「蟄居謹慎の身」となっていたことから、このプロジェクトへの参加は丁寧に断ることにしました。

 その後は一切のプロジェクトに参加することもなく静かにしていました。この間は充電期間としてプロジェクトマネジメントの本の出版のための執筆を行っていました。
 この続きは来月号とします。

注 : コミュニケーションクライメート(Communication Climate)
 人間の心理的な状態や感情、集団の規模や雰囲気等に影響して作られる状況、すなわち、プロジェクトマネジメントにおいて良好な人間関係を保ち、組織を活性化し、目的を効果的に達成させるうえで必要なコミュニケーション。

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