PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (50) (実践編 - 7)

向後 忠明 [プロフィール] :12月号

 <シンガポールエチレンプラント建設:続き>

 島はリクラメーションされ真っ平らなものになっていて仮設桟橋以外何も目標物がない獏とした状況でした。
 その漠とした島に船から降りて用意された車に乗ってその一周をぐるりと回りました。そして、プラントの配置図(レイイアウト)に示される仮設桟橋の位置と見比べながら島を一周しました。それでも、周りには何もないので空からでも見ないとその位置関係がわからないほど茫漠とした土地が続くばかりでした。
 この現地調査により、エチレンプラントサイトの位置を配置図(レイアウト)との関連を目視により確認し、そのほかの原料導入や製品搬出桟橋の位置、それに伴う貯槽群の位置、水道の導入口、電力の接続点、海水の導入位置、関連建屋の位置等々同じく確認をとりました。
 このような現地における細かな位置関係や問題点の抽出を数日かけて行い、その後シンガポール政庁との会議となりました。シンガポールとして初めてのエチレンプラントの導入でもあり、技術的興味もあり多くの質問がなされました。
 なお、この時は請負会社であるJ社はあくまでもオブザーバーの立場であり、直接シンガポール政庁と口を利くことはありませんでした。
 この会議に参加して感じたのはシンガポール側の人達の年齢の若さでした。かなり重要な会議にもかかわらず30代ぐらいの人達が多くそれもかなり権限を持っているように感じました。
 現在では想像もできないと思いますがこの当時(1980年代)のシンガポールの技術レベルはまだ発展途上国の域にあり知識はあるが経験がないといった面がかなり多くみられました。しかし、活力にあふれた、これからの新しい国との印象をもちました。

 彼らからの質問はかなり勉強もしていたようであり、的確なものでありこのことは顧客側も我々J社側も想定外のものでした。
 また法律的な規制についても十分ではなく日本の場合のケースについていろいろと質問をしていたような記憶があります。
 このようにシンガポール政庁と顧客との会議が数日続き、その話のやり取りを聞くことで、かなりこれまでプロジェクト遂行上不安と思っていたことが明確になりました。
 特に問題となった部分は筆者の担当部分のオフサイトの件であり、例えばシンガポールは水をマレーシアから購入しているので水の供給が規制されることやこれまで経験したことの無い危険物としての原料・製品タンクの設置そして本島と離れていることによる電源や通信手段及び各種船舶のための桟橋等がありました。

 このように現地調査やシンガポール政庁との会議や現地調査を通してプロジェクトマネジメントに対するこれまでの狭い考え方ではだめで、より広範な知識や知見の必要性を感じました。
 これまでプロジェクトマネジメントは契約に示された顧客要求に対してプロジェクト方針や計画を立案し、その目標である品質、スケジュールそしてコストを適切に管理しプロジェクトを成功に導くといった方法論と考えていました。
 しかし、オフサイト設備については全く要件が決まったものがなく、これまで述べてきたような調査、シンガポール政庁との会議がなければ何も決まらないというものでした。
 さらに、特殊な設備の建設に当たってはシンガポール政庁に認可を受けたコンサルタントの起用も必要という事もあり、このような想定外の仕事も発生したりしました。
 その上、現地企業の最大使用を要求されたが、すでに述べたようにこの当時のシンガポールではこの種のプロジェクトでの品質を満足するような企業はそう多くいませんでした。いたとしてもシンガポールのメーカや業者の技術レベルや規模もそれほどのレベルではありませんでした。
 現地調査の結果多くの解決するべき課題もわかり、当初考えていたプロジェクトの遂行方針やスケジュール上の問題も再検討することになりました。
 特にこのような海外におけるプロジェクトでそれも何もないそして孤島での広大な島に多くの設備や施設を建設するにあたって:

プロジェクトを取り囲む環境条件や問題点を抽出し
建設国及び場所の具体的特異性の把握と課題解決
①及び②の状況把握とそれに基づくプロジェクト方針と計画

といった、プロジェクトを開始するにあたってのスキーム設定のための状況調査とその課題分析と言ったことでことを「極力初期の段階でプロジェクトリスクはなくしておくことを考えなければならない」と思いました。

 このシンガポールでの仕事を終えて、プロジェクトを進めるための具体的な計画つくりをすることになったのだが何から進めてよいのかこの時は全くの白紙でした。
 もちろん、J社は多くの各種プロジェクトを行っているのでそれを参考に作成すればよいのですが、筆者にとってはこの時点ではこのような大きなプロジェクトでは全くの素人でした。
 一応、現地調査や顧客とシンガポール政庁との話でこのプロジェクトの内容は把握できましたが、実際のプロジェクトの遂行では何から進めてよいのかその手順さえわかりませんでした。

 このことを先輩や上司に相談したところ「君はまだこのような大きなプロジェクトをやったことはないと思うが、建設エリアに対応した設備や機器には識別番号がふってあるだろう!」
 そして、「プロジェクトが大きくなればなるほどプロジェクトには枠組みが必要であり、さらにそれを詳細化することで混乱を防ぐことが出来るということだよ!」と言われました。

 このことから思い出したのが、アルジェリアからの帰国の途中によったオランダのシェル石油の研究開発拠点のSIPMでの話です。本件はゼネラルなプロ(46) (実践編-3)でも書きました。
 私に対応したシェルの技術者が彼の個室で筆者と2人だけ打ち合わせしていた時、その場で書類が必要になり電話で資料室にその書類を要求しました。
 確か記憶では自分のファイルからその書類の名前と番号を言っただけでした。その後、待つこともなく女性がその書類を持ってきました。
 そこで筆者が質問「なぜ資料の名前と番号だけで女性がすぐに書類を持ってこられるのか?」と聞きました。
 技術者曰く「我々は世界中のシェル石油に関する多くの情報や資料をこの建物に保管しているのでその識別をすぐに検索できるようにファイリングシステムを構築してある」と言われました。
 その方法は国ごとや会社そして業務部門別そして技術別等々といったようにそれぞれ識別番号を設定し、検索を容易にするようにきめられているとのことでした。
 それに従い社員は番号を振って所定の場所に保管するよう義務付けられているとのことであった。

 このことを思い出し、先輩や上司は「機器番号に限らずプロジェクトにかかわるすべてがファイリングシステムと同じように識別が容易になる方法をまとめなさい」という事と示唆したことに気が付きました。
 そこで、過去の大型プロジェクトでの事例そして先輩や上司の助言を得ながら、筆者なりの識別手順書を作りました。この時は設備にかかわらずプロジェクト仕様書や技術図面、連絡文書、議事録等々の図書類まで識別についてもまとめました。
 これが現在で言われているWork Breakdown Structure (WBS)であり、この当時はWBSなどと言う用語も知りませんでした。このような用語を知ったのはそれから20年後の日本に帰国してからでした。
 この作業はプロジェクトマネジメントにおいては非常に重要なものであり、プロジェクト計画や枠組みの構築の一貫であり、このWBSがないとプロジェクトは混乱することになります。
 もちろん、J社としてもWBSはこの当時会社として体制として確立されていたわけでもなく、それぞれのプロジェクトで作成していたようです。
 ここまでくれば、後はプロジェクト遂行ガイドライン、総合的スケジュール、総合的予算策定企画をまとめたプロジェクト計画を立てることになります。
 本件の手順についてはゼネラルなプロ(11) 2,3,4ページを参照ください。

 プロジェクト計画書の作製はWBSやキーパーソンの選定と体制を含むプロジェクトの枠組みが完了してから作成に入ることもこのプロジェクトを通して知ることが出来ました。プロジェクトの一担当で仕事をやっていた時とは異なりプロジェクト計画書つくり一つとってもそう簡単なものでないことを思い知らされました。
 そして、大きなプロジェクトでの計画書作成それもオフサイトといったこれ迄やってきたオンサイトのプロジェクトとの違いも知ることができました。

 このプロジェクト計画書作成についてはゼネラルなプロ(18)にその考え方とそこに盛り込まれる項目例を示しましたので参考にしてください。

 このように、プロジェクト発足時でOn The Jobで指導してくれた上司や先輩のおかげで、その後の筆者がプロジェクトマネジャとして重要なステップである計画初期段階での活動の基盤となったと思っています。

 ここまで来るとプロジェクトの体制も決まり、担当専門部のスタッフも決定され、関係者全員を集めキックオフミーティングを開催しプロジェクト計画書やプロジェクト実行においての注意事項などの説明を行い、正式にプロジェクトが開始されることになります。
 しかし、この時点ではプロジェクトの総予算を顧客に提出していません。一括請負予算(ランプサムコスト)を提出するにはまだ早く、そのためにはまだ多くの課題が残っていて基本設計の過程においても顧客との確認や現地の調査なども必要になっていました。

 しかし、スケジュールもかなりきつくなってきていたので、設計と並行して同時に設備器材や建築土木の基本設計に基づき、社内独自の積算資料を基にコストの総予算を算出することも行われました。
 この時、驚いたのがこの会社の積算チームの能力の高さと正確さでした。
 (後で各業者から見積もりを取ってわかったことでしたが、この時、社内資料で算出したコストとあまり大きな差異がなかったという事です)
 この会社は多くのプラント設備の実績もありそこからの莫大な積算資料の利用が出来ること、それと同時にコストエンジニアの能力の高さが正確なプラントの積算を可能にしてくれているのだと感心した次第でした。
 何はともあれ何十万点といった設備、機器、材料からなるプラントを短い期間でそのコストを算出するという事は入札時での提案コスト算出にも必要なことであり、プラントエンジニアリング会社にとっては必要不可欠な人材です。
 この人たちをコストエンジニアと称していました。多分この当時ではこの種の職種は他の業界には無かったと思います。
 特に、グローバル化の現在においては日本からの機材調達だけでは他の海外を含めた競合相手とは戦うためにはさらに海外調達に絡むコスト積算も重要となり、このコストエンジニアの更なる育成が重要と思いました。
 まだ本格的でない初期の段階だけでの経験ですが、何度も言いますが筆者にとってはこのプロジェクトはプロジェクトマネジメントを志す者として多くのことを学ばせてくれたと思っています。
 現地調査、シンガポール政庁との会議、計画書の作成、プロジェクトのキックオフ、技術検討と顧客との調整と数度のシンガポール現地での再調査、コスト積算、総予算の作製などの工程を完了し、当社の契約に示した予算(シーリングプライス)との比較を行い、一括契約への交渉に入ることになりました。
 なお、この時は既にエチレンオンサイトプラントは一括契約で既に契約は済ましていたので、今回の交渉はオフサイトプラントに関するものです。
 既に基本的な契約条件は本プロジェクト開始にあたって行われていたことや、既に顧客ともこれまでの過程でも一緒に仕事を進めていることもあり、交渉は総予算の話が主な議題でありあまり技術的なことで大きな条件闘争はありませんでした。
 さてここから本格的にプロジェクトが開始されることになります。

 この続きは来月号とします。

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