君津製鐵所を構想・企画した八幡製鐵(株)(1970年に富士製鐵(株)と合併して新日本製鐵(株)となる)は君津の建設にさきがけて、八幡製鐵所の戸畑製造所、光製鐵所、堺製鐵所の建設を経験していました。とりわけ、戸畑(1959年に第1高炉火入れ)では高炉から製品工場にいたる一貫製鉄所を建設するなかで製鐵所全体の生産管理システム(図2相当)、製品工場の生産・操業管理システム(図1相当)を設備建設と同時開発したという実績がありました。戸畑製造所では、計算機システムは導入されていませんが、機能分化したラインスタッフ組織を新たに採用・活用して、人間による業務処理を中心にした生産管理システムを確立していたのです。
君津製鐵所は、八幡製鐵所戸畑製造所の管理システムを基盤に、計算機システムを導入して製鐵所運営の管理階層を簡素化し、プロセス制御システムによる工場操業要員の省力化をするなどによって新鋭製鐵所の全体生産管理を確立しました。All On Line (AOL) システムを完成させたのです[5]。