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組織に必要なマン・マシン・システムという視点

塚原情報技術士事務所 塚原 壑 [プロフィール] :2月号

 私達人間と情報システムとがどのようなかかわりを持っているかを二つの図を使って眺めます。そして、企業や自治体などの組織の業務システムをマン・マシン・システムという視点で考察します。

 最初に図1を眺めてみましょう。
「だ円形と長方形を組み合わせたこの図は何を説明しようとしていますか?」
「図1はシステムに関係がありそうだけど……」
「そうです。図1はシステムを構成要素で示した図です」

図 1
図 1

 図の出所[1]ではコンピュータの構成を説明する必要があったので、図中では、コンピュータがさらにハードウェア、ソフトウェア、設備に展開されてコンピュータシステムとして描かれています。図1のシステムを言葉で定義します。

システム: (定義1)一つ以上のプロセス、ハードウェア、ソフトウェア、設備及び人を統合化して、規定のニーズ又は目的を満たす能力を提供するまとまり[2]

 図1は業務に利用されているシステムを示しています。業務とは、給与計算、販売実績収集などです。個々の業務を情報処理(整理、分類、選択、演算など)と一般化すると、図1はコンピュータを用いた情報処理システムを示す図であるといえます。
 1950年代、黎明期の情報処理システムは、人間が手作業で行うデータ(情報の構成要素)の処理をパンチカードシステム(Punch Card System、PCS)で機械化したデータ処理システム(Data Processing System)として誕生しました。この時代には、コンピュータ(電子計算機、電算機)ではなくPCSが利用されました。PCSは和製英語で、英語では電気会計機(Electric Accounting Machine)などと機械(Machine)や装置(Equipment)として呼ばれていました[3]
 日本では、1960年前後にデータ処理業務の現場にコンピュータが登場しました。(例えば、鉄鋼業の八幡製鐵所では1961年にIBM7070が導入されました。)時代が進むにつれて、電算機は機能・性能を向上させて計算機システム(コンピュータシステム、computer system)、電子情報処理システム(Electronic Data Processing System)へと変貌していきます。利用面ではデータ処理の機械化から業務の事務合理化へと発展します。

〔考察〕この時期の情報処理システムで重要視すべきは、コンピュータが装置からシステムへと大型化して利用が促進されたことです。キーワードを選び出すと、「電子計算機」、「機械化」、「計算機システム」、「事務合理化」を挙げることができます。

 図2は、企業や自治体などの組織における情報システムを示した図で、出所は図1と同じです。図1は個別システムを説明していますが、図2は、組織の中で複数の個別業務が業務目的を達成するための計算機システムをそれぞれに配置しています。

図 2
図 2

 図2のシステムを言葉で定義してみましょう。

システム: (定義2)一つ以上の明記された目的を達成するために編成された相互に影響する要素をくみあわせたもの。
備考1. システムとは、それが提供する製品又はサービスとみなしても良い。
備考2. 実際には、その意味の解釈は、例えば、航空機システムのように組み合わされた名詞の使用によってしばしば明確にされる。
別の表現として、システムという言葉を使わずに、例えば、航空機という、文脈に依存する同義語によって単に置き換えられる可能性がある。
ただ、これは、システム原則の全体像が曖昧になる。[4]

 新日鐵君津製鐵所の建設を事例にして、図2に示される組織のシステムがどのように開発されるかをみてみましょう。君津製鐵所は、1967年3月に浚渫埋立地土地造成を開始して、翌1968年3月厚板工場稼働、同11月第1高炉の火入れが行われるという超短工期で建設が進められました。設備建設と並行して開発した生産管理システムは、厚板工場をはじめ、熱延工場、冷延工場などすべての製品工場の建設で工場操業と同時に稼働開始させることができました。

「なぜ、新設工場の短期建設で情報システムの同時開発ができたのでしょうか?」
「それは、次のような事情によって短工期の開発ができたのです」

 君津製鐵所を構想・企画した八幡製鐵(株)(1970年に富士製鐵(株)と合併して新日本製鐵(株)となる)は君津の建設にさきがけて、八幡製鐵所の戸畑製造所、光製鐵所、堺製鐵所の建設を経験していました。とりわけ、戸畑(1959年に第1高炉火入れ)では高炉から製品工場にいたる一貫製鉄所を建設するなかで製鐵所全体の生産管理システム(図2相当)、製品工場の生産・操業管理システム(図1相当)を設備建設と同時開発したという実績がありました。戸畑製造所では、計算機システムは導入されていませんが、機能分化したラインスタッフ組織を新たに採用・活用して、人間による業務処理を中心にした生産管理システムを確立していたのです。
 君津製鐵所は、八幡製鐵所戸畑製造所の管理システムを基盤に、計算機システムを導入して製鐵所運営の管理階層を簡素化し、プロセス制御システムによる工場操業要員の省力化をするなどによって新鋭製鐵所の全体生産管理を確立しました。All On Line (AOL) システムを完成させたのです[5]

〔考察〕図2で示される組織システム及び内包している個別の業務システムは図1のように人間(マン、man)が手作業で処理する業務とコンピュータ(マシン、machine)が処理する業務とで構成されています。このように視点を変えてみた組織及び業務(システム、system)をマン・マシン・システム(man machine system)と呼びます。すべて手作業で処理される業務はマン・システムと呼ぶことができます。事例では、継承できるマン・システムが確立されていて可視化できたので、計算機システムの利用検討が行いやすくなり、結果的に、マン・マシン・システムを新鋭製鉄所にふさわしい斬新的な組織・業務システムとして企画・開発することに成功しています。(君津製鐵所の建設を記述した資料を詳しく読むことによって、情報システムをマン・マシン・システムとして見ることの大切さを具体的に感じることができます。)

 マン・マシン・システムという言葉は、目新しい言葉ではありません。計算機システムが業務に利用されるようになった初期に、この言葉がしばしば使われました。当時は、人間が期待するシステム化の内容に比べて、計算機システムやネットワークの能力・容量が小さかったので、マシンの能力に見合ったシステム化の範囲と機能を検討して、マン・マシンの整合がとれたシステムを企画・開発しなければならなかったのでした。
 高度情報社会となった現在、マンとマシンの立場は逆転してしまいました。計算機システムの構成は集中・分散が自在になり、ネットワークは地球上で瞬時にコミュニケーションできるまでに大きくなっています。マシン能力に比べるまでもなく人間の能力は小さいと感じます。組織や業務の情報システムを適用する構想・企画では、マン・マシン・システムを意識した検討が必要であり、業務システムの設計では対象となる業務にかかわる人間の情報処理能力を把握することが必須であると筆者は考えています。いま、組織システムは、ふたたびマン・マシン・システムを見きわめたシステム化が必要なのです。

「この記事を読んで下さった貴方はどう思われますか?」

【付記】
 君津製鐵所のAOLシステムは、その後、その範囲と深度を拡大して運用が成熟して、1975年、君津総合情報システム(Kimitsu Integrated Information System、KIIS)へと名称を変更して現在に至っています。諸外国の製鉄所にKIISのような高度な情報システムはありません。KIISの先進性は現在も保持されています。
 筆者は、1969年から1970年代の半ばまで、新日鐵の君津製鐵所建設に従事して、生産管理システムの企画および開発の一部を担当していました。

【参考文献】
[1] ソフトウェアライフサイクルプロセス(JIS X 0160:1996 ISO/IEC 12207:1995)
[2] 同上
[3] ウィキペディア「タビュレーティングマシン」
[4] システムライフサイクルプロセス(JIS X 0170:2004 ISO/IEC 15288:2002)
[5] 鉄鋼業における生産管理の展開、夏目大介、同文館出版、2005.10


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