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分かると言うこと

株式会社ビズモ 板倉 稔 [プロフィール] :11月号

 コンピュータシステムは、人間が知っているルール(『判断』『計算』『記帳』『伝達』の組合せ)をコンピュータが実行する様にしたものである。人の頭の中(実世界)にあるルールをコンピュータに実行させ、速さや確実性を人々が享受している。システム開発とは、実世界のルールを、コンピュータが実行出来るようにすることである。
 この様に、コンピュータシステム開発では、まず、実世界(システム化対象)がもっているルールを理解し、その理解したルールをコンピュータが読めるように書き換える。
 実世界にあるルールは、実世界の人から聞き出すことで知ることができる。他にも、プロジェクトでは、プロジェクト関係者の間で『知る、あるいは、分かる』が無数に行われている。
 さて、『分かる』とは一体何なのだろうか。『分かる』が分かれば、システム開発がより容易になり、プロジェクト管理は楽になるはずだ。

1.分かると言うこと
 誰かに何かをお願いした場面を考えてみよう。相手は、「分かりました。やりましょう」と言った。そこで、やってくれるかなと思って見ていると、一向に出来て来ない。
 聞いてみると、彼の分かったのは、私の意図と全く違っていた。こんなことを経験したことがあると思う。『分かった』と言うことは、個々の人が分かったと思っているだけで、どの程度分かったかどうか分からない。
 自分自身も「あなたの言う論理は分かった。でも、前提が違うと思う」時に、やっと論理が分かった時は「分かった」と言うだろう。論理は簡単に分かったが、前提が違うのが気になった時は、「わからなない」と言う。この場合は、どちらも分かっているが、「分かる」と言ったり「分からない」と言ったりする。とにかく、「分かった」にしても、「分からない」にしても、どう言うことか分からないのである。

2.言葉
 分かるには、2つの方法がある。自分でやってみて分かる方法と、誰かから情報を得て分かる方法である。人から情報を得るには、言葉を通じて得るか、図や絵やモデルを通じて得るかが考えられるが、ここでは、言葉を通じて情報を得る場合を取り上げてみる。
 今、リンゴを見たことも食べたこともない人に、言葉でリンゴを説明する場を想定してみよう。「リンゴは、直径10センチから15センチ位の大きさで、多くは赤い。・・・」と属性を説明するか、「梨に似ていて、・・」など類似物を使うかである。どちらで説明されても、余り分かった気がしない。
 一方、リンゴを知っている人に「リンゴ」と言えば、リンゴのかなりの部分は伝わる。勿論、伝え手の思っているリンゴと全く違うリンゴを思い浮かべているかもしれない。酸っぱいリンゴを食べさせられた嫌な経験を思い出しているかもしれない。しかし、梨でもバナナでも無くてリンゴであると言う部分は伝わっている。
 こう考えて来ると、分かると言うことは、双方が共通のイメージを持つことといえるのではなかろうか。つまり、分かっていることを言葉を通じて『あれだ!』と特定することが「分かる」であるらしい。そうであれば、話し手と受け手の間に共体験があれば、お互いに分かることが出来ると思われる。
 ここまで、具体的な物を対象に考えてきたが、抽象概念も同様だろう。

3.システム開発では
 共体験があれば分かる可能性が高いと言うことは、実際のシステム開発ではどう言うことになるのであろうか。例をあげてみよう。
 私の経験では、始めてお付き合いする利用者(発注者)との開発案件はスムーズに開発が進んだ経験がない。開発途中で遅れやバグなどでゴタゴタし、予定通りのコストでは納まらなかった。しかし、同じ利用者と2度目以降の開発では、大抵の場合スムーズに進んだ。これは、多分、1回目に共体験を積んだので、分かり合える関係を作り上げられたことが大きな理由だと思う。
 一緒に仕事をすることで、共体験を積むことが出来るが、他に共体験を得る方法が無いと、いつも一回目は失敗しなければならない。だとすれば、擬似的に失敗相当の共体験を持てれば解決する。どうすべきか、場に応じて考えてもらいたい。

4. 分かった後
 何かが、分かったとする。この分かったは何の役に立つのだろうか。分かっても出来ない場合が多い。
例えば、四則演算を憶えると、お釣りの計算が出来る。時間の計算も出来るようになる。しかし、開発工程を憶えただけでは、開発スケジュールは作れない。見積の方法も憶えたが、実際には見積もれない。同様に、PMの資格試験に受かった、CMMのあるレベルに認定された。それだけで、プロダクトやプロジェクトの品質は良くなっただろうか。どうも、そう上手く行かない様だ。
 この答としての一つの仮説は、全ての知識(領域も含めて)が揃えば出来ると言う仮説である。もう一つは、やってみなければ出来るようにならないと言う仮説である。
 『分かった』とはどういうことか、それは何の役に立つのかさえも判然としないのに、出来上がった方法論を丸飲みにして喜々としている人が多くいる。出来上がった方法論でなく、分かったこととできること、できるために必要な領域と知識は何かを自分で考えることが一流のプロジェクト管理者への第一歩だと思う。

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