図書紹介
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ヤマ師
(深澤 献著、ダイヤモンド社、2025年8月19日発行、第1刷、354ページ、2,000円+税)

デニマルさん : 9月号

今回紹介する本は昨年の9月に読み終わり、どのタイミングで原稿を書くか迷っていた。それと本書は出版業界での○○賞等の話題もなく、タイトルの「ヤマ師」も少し気になりご紹介を躊躇していた。所が、2026年2月にアメリカとイスラエルがイランに大規模軍事攻撃を開始した。所謂「2026イラン戦争の勃発」で中東での緊張が高まり、ホルムズ海峡の閉鎖に伴う石油等エネルギー供給が世界的な問題となった。特に、日本にとっては原油の9割近くを中東からの輸入に頼っている現状で、国家的危機の問題に直面している。政府は、国家備蓄の活用と中東以外の国からの輸入等々で急場対処の方針である。しかしガソリン・電気・ガス代から石油関連製品だけでなく衣食住関連商品不足で物価高騰に苦慮している。

そんな中で「日昇丸 命がけの海峡突破」「ホルムズ通過 出光丸は来週名古屋へ」の新聞記事(朝日新聞、5月21日)を目にした。新聞では閉鎖中であったホルムズ海峡から石油タンカー出光丸が名古屋に向かったとの朗報であった。それと日昇丸の件は別な内容で、1953年3月の「日昇丸事件」(出光興産の石油タンカーが英海軍の海上封鎖をかいくぐってイラン産石油を日本に運んだ事件)の解説を補足していた。これらの内容は、ホルムズ海峡閉鎖により石油不足で苦しむ状況を打開すべく奔走した問題である。筆者はこの新聞記事を読みながら先に読んだ紹介の本を思い出し、発表機会が到来したと直感した。非常に長い前段だが、本書は石油資源のない日本での問題解決を考えさせる本としてご紹介したい。

本書のサブタイトルは「裸一貫から一代でトヨタ・松下・日立を超える高収益企業を作った破格の怪物“山下太郎”のすべて」とある。更に、宣伝の帯文には「この男を歴史の中に埋もれさせてはならない」「億万著者と無一文を何度も繰り返し、割り当てられたのは“油田とこの国の未来”。日本経済史の影の主役物語」とある。そして本題が「ヤマ師」である。
本書から山下太郎という人間が日本の自前の油田を持ち一時期日本に石油をもたらせ、資源不足を補った波瀾万丈の物語である。資源不足から日本を救った経営者が「ヤマ師」と称された点等の興味ある内容である。更に、山下太郎から昭和時代の政治・経済の流れを通じて日本の政財界で活躍した実在の人物が数多く登場するノンフィクション小説でもある。

著者をご紹介しましょう。1966年生れで広島県出身。1989年ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」でソフトウェア・流通・小売り、通信・IT業界などの担当記者を経て、2016年4月よりダイヤモンド・オンライン編集長。2017年4月より編集長を兼任で「週刊ダイヤモンド」編集長。2022年2月に環境系スタートアップのTBMに転じた後、2024年4月よりダイヤモンド社の論説委員。記者・編集者として30年以上、企業取材や数千人に及ぶ経営者や職業人へのインタビューを行ってきた。編集長退任後も創刊111年を経た同誌のバックナンバーを読み、各時代のリーダーの言葉を発掘する経営者マニア。本書が初の著書。

ヤマ師・太郎(その1)         アラビア石油を創った男
本書の主人公・山下太郎は、終戦後の日本の復興のために石油資源の獲得を政財界に説いていた。1958年(昭和33年)、石油開発会社として「アラビア石油」を創設した。石油産出には油田の探索利権の交渉から発掘・生産まで膨大な費用とリスクが伴う国家プロジェクトである。この難事業を何とか乗り切って、サウジアラビアとクウエ―ト両国から採掘利権の獲得に成功した。そして1960年1月のボーリングで大規模海底油田を掘り当てた。これがカジタ油田と呼ばれるもので、日本はこれで石油メジャーに頼らない『日の丸油田』を持つことになった。そこで山下太郎は「アラビア太郎」として新たな道を歩むことになる。1975年度の法人企業所得のランクでは、松下電器産業、新日本製鉄、日立製作所、トヨタ自動車工業を退けて、アラビア石油が圧倒的な1位を獲得した。その後高収益企業としての存在価値を誇っていたが、76年に創業メンバーの水野惣平が社長を退くと、かつてのフロンティア・スピリットは次第に薄れ、安定的な利益に安住しリスクを避ける経営へ転じた。2000年、サウジアラビアとの契約更新交渉で「採算が合わない」と判断し、契約更新を断念した。03年にはクウェートとの利権延長も出来ず、08年1月にアラビア石油は中東から撤退した。
事業撤退後も会社は存続したが、25年4月に富士石油に吸収合併され歴史的な幕を閉じた。

ヤマ師・太郎(その2)          満州太郎とヤマ師・太郎
先に「アラビア太郎」をご紹介したが、山下氏には「満州太郎」と「ヤマ師・太郎」と称される2つを加えて3つの名前があった。経歴に少し触れると、1889年(明治23年)秋田県出身で北海道帝国大学農学部(旧札幌農学校)を卒業。第一次世界大戦時(1914年~1918年)に、日本はドイツから輸入していた硫安が不足した。それをアメリカに輸入変更して大儲けして「山下商店」を設立。その後、満州開拓企業に関係して、満鉄本社の社宅建設・管理の包括契約に成功して巨額の富を手にしている。そのタイミングで「満州太郎」と称されたと著者は書いている。しかし、1945年(昭和45年)に日本は敗戦を迎え、資産家となった山下太郎は、GHQから全ての財産は没収された。しかし、その後の活躍で先に述べた「アラビア太郎」の功績を残している。その功労者が何故「ヤマ師太郎」と呼ばれたのであろうか。夫々の太郎の時代に巨額の富を手にするが、諸々の理由で財産を失っている。それも個人的な利害でなく人生で3回も繰返している。その過程でヤマ師(勝負師)と蔑ませされたのか敬われたのか。著者は、その理由を読者の方の素直な判断に委ねられたのであろうか。最後に、山下太郎の末期について触れて置きたい。アラビア石油が石油を掘り当てて多くの利益をもたらしたが、1964年に心臓発作で倒れた。そして「まだやりたいことの3%もできていない」と語りながら、67年に78歳の生涯を終えた。山下氏が生前に残した言葉 「冒険心をなくした国は滅びる」は、現在社会にも通じる名言であると著者が締め括っている。

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