海の沈黙 公式メモリアルブック
(倉本 聰著、(株)マガジンハウス、2024年10月24日発行、第1刷、187ページ、
1,800円+税)
デニマルさん : 2月号
今回紹介する本は、副題にもある通り映画「海の沈黙」の公式メモリアルブックである。本書は著者が長年構想を温めていた「美とは何か」をテーマとした映画の公式ブックである。著者である倉本氏は、映画・テレビ等の脚本家として著名であり、映画に関しては、前作の「海へ、See you」から36年振りの映画脚本であるという。著者は大学で美学を専攻した関係から「美の本質」を長年考察してきた。特に、永仁の壷事件にあった“本物と偽物(贋作)論議”から制作者と鑑賞者と評価者のそれぞれの人間性に注目してきた。因みに、永仁の壷とは「永任時代(鎌倉時代後期)に制作された国の重要文化財の『壷』が、実は現代陶芸家・加藤唐九郎の作品であることが判明し、1961年に重要文化財指定から取り消された」という経緯があった代物である。その結果、壷の価値が暴落したことから、鑑定家や研究者や陶芸家・加藤の顛末はどうなったのか等々の話題になるのだが、本書では触れていない。芸術品である絵画や骨董品等は、画商や骨董品店やオークションで商品として売買されている。いわゆるビジネスとしての側面がある。またプロや素人のコレクターは、有名・無名を問わず珍品を求めているのだが、いつの時代でも類似品や贋作も出回っているという。そんな関係も含め、哲学者アリストテレスは「美に利害関係があってはならない」とも言っている。テレビ番組に「開運、何でも鑑定団」というのがあり、現在でも多くの愛好家に人気がある。その背景に、評価対象物が本物か鴈作かの判定に注目が集まる。勿論、評価価格もその対象となる。そういえばバブル期の1987年に「ゴッホのひまわり」(1887年作、東京・SOMPO美術館所蔵)が53億円の巨額で競売されたニュースを思い出した。世界的な芸術作品には、贋作や類似作品の話題が付いて回る。著者は今回の作品で、それぞれの関係者の人間性をテーマとしたと書いている。ポイントは、「本物か偽物か」という二元論でなく、芸術の持つ力やその価値を決めるのは誰なのかという普遍的なテーマにも迫っている。だから、有名な画家の作品だから素晴らしいのか、それとも絵そのものの美しさが重要なのかという本質的問題から、作品の価値は、観る者の心に何を訴えているのか等々。この映画の核心的なメッセージは、芸術に対する評価が時代や社会の価値観によって変わり得ることを訴えている。そして本書には、具体的な作品『落日』(高田啓介・絵画監修作)が紹介されている。映画では重要な役割を担った作品で、この公式ブックから映画を想像し早く観たくなる狙いもある。著者のプロフィールを簡単にご紹介しよう。1935年1月生まれで、東京都出身。脚本家、劇作家、演出家。東京大学文学部美術学科卒業後、1959年ニッポン放送入社。1963年脚本家として独立。1977年北海道富良野に移住し、1984年から役者やシナリオライターを養成する私塾「富良野塾」を主宰。代表作に、1981年から2002年まで放送されたTVドラマ「北の国から」、「前略おふくろ様」(75から77)、「昨日、悲別で」(84)「ライスカレー」(86)、「優しい時間」(2005)、「風のガーデン」(08)、「やすらぎの郷」(17)等がある。2006年から「NPO法人C・C・C富良野自然塾」を主宰し、閉鎖されたゴルフ場に植樹して元の森に還す自然返還事業と、そのフィールドを使った環境教育プログラムにも力を入れている。
海の沈黙(その1) 登場人物の経歴書
本書は映画の公式ブックであるから、登場人物の紹介とその相関関係図が書かれてある。その図表から自ずとストーリィが浮かび上がるのだが、そんな単純な構成にはなっていない。主要な登場人物を5名に絞り、生まれた時から亡くなるまでの経歴が書かれてある。その資料は、出演俳優からスタッフ関係者にも配られたとある。映画製作の関係者全員がシナリオと同じ様に情報が共有されている。そこには贋作事件に関係した幾つかの事件が隠されていて、物語の鍵となる内容である。ネタバレにならない範囲で少し概要を紹介すると、物語は世界的な画家・田村修三の展覧会で展示された作品が贋作であると判明したことから物語が始まる。田村は展覧会の開催中だが、マスコミに贋作の存在を公表した。これで事件は世間の注目を集め、贋作を所有していた美術館の館長が自殺する。この事件の捜査過程で、かつて天才画家と称された津山竜次という男が浮上する。一方北海道で、全身に刺青を施された女性の遺体が発見される。この死亡事件から津山竜次の捜索へと繋がっていき、竜次は贋作作家として国際警察にも追われることになる。刺青と贋作の関係や、画家・田村やその妻・安奈と竜次の繋がりが次第に判明していく。サスペンス色も入ったアート作品である。
海の沈黙(その2) シナリオの完全版
本書の後半には、映画「海の沈黙」のシナリオ完全版が108ページに亘って掲載されている。映画シナリオであるから場面設定と出演者のセリフや情況等々が書かれてある。普段我々が映画を観る場面が文字となっているので、ストーリィの流れをスムーズに理解するには、多少の慣れが必要であるろうか。全体の場面(舞台で言う幕)が最後のエンドマークまで139もある。このシナリオには、読者の理解を鮮明にする意味で俳優が演じたカット写真が挿入されてある。その写真を見ながらシナリオのセリフを追うと映画のシーンがイメージされるようになっている。その中でポイントとなる絵画「落日」(油彩、1988年)と女性の背中一面に彫られた刺青と主人公・竜次が海辺での焚火と入水場面に注目してみたい。これらの写真から改めて登場人物の経歴と相関図とシナリオを繋げて、主人公が何故贋作を制作したかを考えさせる作品でもある。天才ゆえに画壇を追われ、ひたむきに美を追い求めた主人公・竜次、それに対して彼を追いやり富や名誉も手に入れた画家・田村。二人の人生のどちらが幸福であったのかも考えさせる。一方で本物か偽物なのかの論議で本物の美と偽物の美の価値対比は、どう判断されるのか。芸術を追求する過程で制作者の心のありようや生きる姿勢,価値観や信念がどこまで貫かれているかが作品に現れる。著者の課題である“美とは何か”の問は、制作者とそれを鑑賞する者に求められる。同じように映画を観る我々の鑑賞力も試されている。著者が求める美を、映画から我々に問いかけられている。
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