PMプロの知恵コーナー
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PMプロフェッショナルへの歩みー2

向後 忠明 [プロフィール] :1月号

PMプロフェショナルとは?

筆者の考えは:
  1. ① あらゆる分野において、社内のみならず社外(国外も含む)において与えられた顧客要件を読み解き、単独技術の利用のみでなく、インテグレートされた関係するあらゆる知識と技能を複合的に体系化したエンジニアリング手法で目的とする要件を全うする、第一線級の実務能力を備えたハイエンドなプロジェクトマネジャを言う。

 勿論、上記の条件だけではなく、与えられたミッションに必要なリソース(人、モノ、金)を有効に活用し、ミッションの具現化とそこに示す目的とQCD(品質、コスト、スケジュール)を守りながら最終目標を達成するといったプロジェクトマネジメントの体系を十分理解し、実行できる人材です。
 特に変革期(イノベーション)に必要な人材については、前月号で紹介したようにP・Fドラッカーの著書にて下記のような人材の育成について提唱されています。

  1. ② さらに筆者のイメージするPMプロフェショナルはもう少しその役割は幅広く、国内及び海外の双方のプロジェクトを与えられたミッションの基本構想からプロファイルによりそこにある問題を発見、そしてその解決策を整理し、企画書またはマスタープランに落とし込み、そこに示される具体的な目標を計画書に落とし込む能力を持ち、上記①に示すプロジェクトマネジメント手法により達成するといったプロジェクト推進力を併せ持つ人材と考えます。

 このように考えると企業内にもゼネラリストと呼ばれる役割が変わってもそつなく業務を遂行できる人がいる。企業内の関係する専門分野の知識を学び、適材適所で与えられた職務をマスターする。さらにその上の組織に順応することに長けていて、業務の流れ、意思決定のプロセスにも熟知し、ボトルネック(リスク)回避にも長け、仕事を次々に解決するスーパーゼネラリストという人がいます。
 しかし、現在は企業を取り巻く環境が様変わりし、これまでの社内の慣習にとらわれた決められたルーチン業務をうまくこなしてきただけのスーパーゼネラリストでは、昨今のビジネスを取り巻く環境変化に弱く対処できないでいます。これから求められる人材は、見えないものを見る力、発想力、分析力、インテグレート力、そしてこれからの激しいビジネス環境変化に対する理解と想像力そして対応力が必要となってきます。
 よって、日本企業の多くが採用している機能的組織においては各部門を渡り歩き、スーパーゼネラリストと言われる各部門の技術、知識を最大限利用する立場にあっても、PMプロフェショナルと同等の役務をこなすことは難しいと思います。
 何故なら、機能的組織で構成され事業運営では組織が必要な機能や職能ごとに部署を編成した組織体制となっていて
  1. ① 業務が細分化されていて企業全体として課題に対応することが難しい。
  2. ② 同じ機能を持つ専門性を担当するスタッフが一つの組織に集まっている。そのため各組織の専門性が高いといった特徴がある。
  3. ③ その専門性の高い部署の技術や技能・知識をインテグレートできる組織体制になっていない。

 この場合は企業または組織に必要な各種の情報を分析して、会社または組織から与えられた一定期間行わなければならない集団(課、部、事業部)の目的・目標を決定することに重点が置かれている。日本の場合はこの機能的組織からなる企業がほとんどである。

 冒頭の筆者の考え①にて述べたようなプロジェクトの場合は顧客要件が明確なケースであり、プロジェクト組織を立ち上げ、独自に与えられた例外事項を多く含む要件内容を整理し、関連する組織やほかの企業の知識・技術を最大利用し、独自の判断と自由裁量で要件を判断し、目標を決定し、そのプロジェクトに示される条件をクリアーしながら計画、実行するといった目標完遂型の事業運営、すなわちプロジェクトマネジメントを主体とする企業もあります。
 その代表的企業が石油化学プラント設備関連プロジェクトを主業とする企業であり、その代表格はプラント設備建設業である。他の企業と比較しても関連する産業及び技術は非常に多く、また対象は国内に限らず海外にも進出している。筆者はこのような会社に入社した(1968年ごろ)が、当時では特異な会社でした。
 筆者は入社当初は一人の専門技術者として毎日決められた設計業務をルーチンワークとして毎日をこなしていました。そのためプロジェクトにかかわる仕事ではなく学校で学んだ工業化学専門の技術者として設計業務に携わっていました。
 しかし、5年もすると設計業務からさらに多様な技術の集約から構成されるプラント設備を扱うプロジェクト部門に移籍したいと思うようになりました。筆者のプロジェクトマネジメントへの挑戦はここから始まりました。
 何故設計部門からの移籍を考えたか?
 設計部門の仕事は:
  1. ● 仕事の内容が自部門だけで完結し、いつも一緒に仕事をする人は同じであり同じことの繰り返しである。
  2. ● 仕事の手順も何度も繰り返し、技術も手段も手順もマニュアルに従った仕事である。
 それに比較し、この会社はもともとプラント設備全般に対応した多様な技術専門部門を持ち、プロジェクト部門によりそれらの技術を顧客要求に従い、その多様な技術の集積(インテグレート)により、顧客要求の目的を達成するといった機能をもったいわゆるエンジニアリングコントラクター会社と言われているものでした。
 それだけにここでの仕事は各種利用技術、利害関係、技術・利害インターフェスの数、そして不確定性・複雑性そして各種リスクが多く内在する難しいプロジェクトを対象としていました。
 技術者としてさらに自分を高めることを目的に多様な知識を学ぶことができると思いプロジェクト部門に移籍した次第です。

 この当時はまだP・Fドラッカーの「プロフェショナルショナルの条件」とは「何か」をわかっていませんでしたが、たぶん自分の気持ちが前月号での下記の①②の考え方を適応し自分をさらに高めることができると思ったことも理由の一つです。
  1. ① 各ビジネスに関連するあらゆる種類の専門技術や各知識労働者のもつ知識を全体最適にインテグレートするマネジメントの専門家の育成を訓練することができていない。
  2. ② 単独技術の利用のみではなくこれらをインテグレートした知識と技能を複合的に体系化した技能、すなわちエンジニアリング手法といった科学的、定量的手法の開発が必要とされている。

 移籍してからすぐにプロジェクト部門での仕事はこれまで経験してきた設計業務に関係する設備の設計から機材調達そして現場までの一貫したEPC(engineering Procurement Construction)方式のプロジェクトでした。与えられた職種はプロジェクトエンジニア(PE)として委嘱されました。
 これが筆者の最初のプロジェクトでした。このプロジェクトは大きなプロジェクトの一部でもあったが、プロジェクトマネジメントの内容は筆者としてはかなり挑戦的でした。しかし、何もわからない筆者には丁寧かつ実践的な指導の下で仕事をすることになり先輩から初歩的なプロジェクトマネジメントを学びました。
 その後、徐々に大小の複数のプロジェクトに参加し、多くの先輩PMの指導やそのやり方を盗む徒弟的な方法でプロジェクトマネジメントの実際を学んでいきました。

 来月号に続く

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