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有人宇宙船「スターライナー」地球帰還できず

PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :8月号

〇「スターライナー」は大事なクルー輸送の宇宙船
 ボーイング社の新型有人宇宙船「スターライナー」は有人飛行実験として、2人の宇宙飛行士を乗せ、6月5日に打ち上げられ、6月6日ISSにドッキング、滞在を開始している。
スターライナー  今回の打ち上げ迄は波乱続きだった。当初の計画では2017年に打ち上げ予定だったが計画は遅れに遅れ、2019年にようやく無人試験飛行にこぎ着けた。ところが、ソフトウェアの不具合で誤った軌道に入り、ISSへの到達に失敗した。それから3年後の2022年に無人宇宙試験飛行が成功し、ようやく今回の有人での打ち上げに至った。(写真:NASA)
 今年に入ってからボーイングはアラスカ航空のB737MAX9のドアが離陸直後に吹き飛んだ事故など、技術的な不具合が相次いだ。2018年と2019年には,ボーイング 737MAXの墜落事故が起きている。
 現在、経営難に陥っているボーイング社にとり「スターライナー」の成功はまさに朗報だった。
 すべてのプロセスが計画通りに進めば、スターライナーは2025年からISSへ乗員を乗せて定期的に“運航”する輸送機として正式に就航し、ボーイングはスペースXに続いて人類を宇宙へと定期的に運ぶ2番目の民間企業になるはずである。
 「スターライナー」は、今回の試験飛行を経て6回の飛行契約をNASAと結んでおり、スペースXの有人宇宙船「クルードラゴン」と交互にミッションが実施される予定である。これはどちらかの宇宙船に問題が発生した場合に備えて代替の移動手段を用意し、ISSを孤立させない点で重要である。

〇ISS滞在後もトラブル続き (*1)
宇宙用小型エンジン  ところが、ISSへのドッキングが成功して順調に進むと思われた「スターライナー」にトラブルが確認され、1週間の滞在が1か月以上になり地球への帰還が大幅に遅れている。
 打ち上げ前に燃料の制御に使うヘリウムガスの漏えいが確認されていたが、微量で安全性に問題ないと判断して打ち上げに踏み切った。ISS到着時も、ヘリウムの漏えいが5か所に増えていたばかりか、28基のある姿勢制御用の推進装置(宇宙用小型エンジン:右図)のうち、5基の故障が判明した。
 現在、NASAによれば、ヘリウム漏れの状況は安定しており、推進装置は1つを除いてすべて地球への帰還に使用できる状態にある。安全性を確認するため、地上での推進装置のテストを行っている段階で、帰還時期については、早くても7月中旬以降になるとの見通しを示した。

〇アポロ計画の立て直しはボーイング社のおかげで成功
 米国宇宙開発の歴史を振り返ると、冷戦下の米ソ宇宙開発競争のさなかの1961年5月、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディは“ 1960年代中に人間を月に到達させる ”との声明を発表した。宇宙船の開発は、この目標にもとづき立てられた計画に比べ、大幅に遅れていた。
 それは、アポロ司令・機械船は、それ以前に設計されたどの宇宙船よりも大きく、はるかに複雑であった。特に、システムインテグレーションとマネジメントがうまくいっていなかった。
アポロ1号における予行演習中の発射台上での火災事故  アポロ計画では、人間を月に送り、安全に帰還させるという当初の目的を達成する工程において大きな事故を起こしている。それはアポロ1号における予行演習中の発射台上での火災事故で3名の飛行士を失っている。
 事故1年前にアポロ計画指揮官が、サターンロケット第2段とアポロ司令船の不十分な品質、スケジュール遅れ、コスト超過を含め数多くの問題を指摘していた。しかし、それらを改善せずに計画を先にすすめていた。司令船製造のノースアメリカン社は、膨大な数の企業を統括するが経験が少なく、多数の業者を管理できず、加えてシステムズエンニリングで重要なフェーズドアプローチ(注)を守っていなかった。
(注) システム開発工程を業務分析、基本設計、詳細設計、プログラミング、運用設計、移行、導入など各工程ごとに契約をすすめていく手法。
開発を始める前にまとめて最終工程までを契約する方法と違い正確な見積が可能となる。
* 発注側にとっては開発予算が確定できないのがデメリット。
* 受注するベンダにとっては開発量が膨れ上がるリスクを回避することができる。

 事故直後、NASA長官はボーイング社に「システム統合で力を貸してほしい」と依頼。
 約2000人が全てのサプライヤーを統合する任務についた。ボーイング社は、空軍の大型ミサイル開発プロジェクトで経験を積んでおり、全体を統合し稼働させる技術を持っていた。
 NASAとボーイング社は、膨大な業者が担当している複雑なシステムが期待通りに機能するかを詳細に確認した。ポイントは、チェック体制だった。その作業の結果、アポロ計画の危機的な状況は劇的に改善し、14ヶ月後の1969年にアポロの月面着陸を成功させた。

〇ISS計画の立て直しもボーイング社のおかげで成功
 ISSは当初から技術よりマネジメントの挑戦だといわれていたが、開発が始まってから技術問題が山積し、予算も大幅超過になりクリントン政権では参加国を巻き込んだ大規模なプログラムの見直しを断行した。
 1993年にNASA長官は、ボーイング社への開発体制の一元化を行い、さらに航空機開発を成功させているボーイング社のマネジメントを取り入れることにした。
 例えば、航空機開発では、設計段階から顧客のパイロットやエンジニアを参加させた結果、開発期間とコストの大幅な短縮を実現している。同じように、宇宙飛行士や運用管制官など運用部門のエンドユーザーを開発工程に早くから参加させ、運用の観点を設計に反映させるとともに、直接検証する仕組みを導入した。
 また、ISSプログラム全体をNASAと共同で進めるため、ISS副プログラムマネジャーにボーイング社技術幹部を指名し、仕事の仕組みを改革し開発体制立て直しを行って成功に導いた。

〇ボーイング社の技術力に疑問?
 迷走を続けたアポロ計画でもISS計画でも、見事立て直して開発計画を完了させたのはボーイング社の技術力とマネジメント力だった。しかし、「スターライナー」の実用化はスペースXの宇宙船「クルードラゴン」の運用開始から4年遅れており、開発能力を不安視する声が出始めている。航空機の品質問題では規制当局が調査に乗り出しているほか、スペースプレーン、空中給油機、新大統領搭乗専用機などの開発でも追加作業や納期遅延も起こしており、またボーイング社のコスト重視の文化により、社内の安全性の優先度が下がり、品質を担うベテランエンジニアの退職が相次いでいることがマスコミで取り上げられている。
 筆者は在任中にボーイング社の多くのエンジニアと付き合ったが、優れた方が多く、学ぶ事が多かった。その頃は機器・システムの不具合は少なく、ボーイング社は課題解決文化の企業として、安全のための膨大なルールや仕組みを整備し運用し、そこにかなりのリソースをつぎ込んでいた。
 現在、ボーイング社CEOは、問題を発見した従業員に報告を奨励する企業文化へ改革を進めているという。世界をリードする企業は本当に技術力が低下したのか気になるが、昔のような技術力もマネジメント力も備えた企業に戻ることを期待したい。

 最後に、後発企業が先に成功し、なぜ、偉大な老舗企業がトラブルを多発し、ミスを犯すのか!
 根底には現在の企業が置かれた位置づけ(例えば、株価至上主義への偏重等)、技術伝承の仕組みと仕事に対する評価制度の劣化等での士気の低下があるのではないかと考える。
 我々も今日の成果に慢心せず、長期視点(宇宙開発プログラムは20年~30年続く、企業も同じである)に立った、技術の伝承、仕組みの継承、人材の育成と評価制度の構築をしていく必要があると考える。宮大工、故西岡常一氏の口伝に「塔組みは木の癖組み、人の心組み」がある。現在に通じるものがあると思う。

参考文献
(*1)  リンクはこちら

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