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「アルテミス計画」と日本の位置づけ

PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :4月号

 昨年末から今年にかけ月探査機が続々月面着陸を行っている。アメリカの宇宙新興企業やロシア、日本の民間企業も失敗した後、インド、JAXA(SLIM)、アメリカの宇宙新興企業(インテュイティブ・マシーンズ)の月探査機が着陸に成功した。
 この月をめぐる壮大な“アルテミス計画”と日本の位置づけを紹介する。

〇 アルテミス計画を巡る国際協力 (*1)
有人与圧ローバー  日本も参加する月探査国際プログラム「アルテミス計画」はアメリカ主導の下、国際協力(34カ国・地域の参加)で進行している。
 アルテミス計画はアポロ計画(1962~1972)以来、半世紀ぶりに人類を月面に送り、月での人類活動の構築を目指す。月周回軌道に有人宇宙ステーション拠点「ゲートウエー」を建設し、そこから月面をめざし、月面探査車(有人与圧ローバー)による探査活動を行う計画になっている。

有人宇宙ステーション拠点「ゲートウエー」

当初の計画より遅れているが、概略以下のような5段階にわたる計画になっている。
  • 第一段階 無人月周回試験飛行(2022年11-12月、成功)
  • 第二段階 有人月周回試験飛行(2025年9月予定)
  • 第三段階 女性初の月面着陸(2026年9月予定)
  1. * 4人のアメリカ人が宇宙船オリオンに搭乗、SLSロケットで打ち上げられ、月周回軌道で月着陸船と合流、2人の宇宙飛行士(女性)が月面に着陸、資源探査の後、月周回起動で待機しているオリオンに合流し、地球に帰還する。
  • 第四段階「ゲートウエー」組み立て完成(2028年予定)
  1. * 推進モジュールと居住モジュールの一部は2025年にスペースXロケットで打上げられる予定。
  • 第五段階 月面探査車による月面活動(2029年予定)

 アルテミス計画はトランプ大統領だった2017年に実行に移され、対中国を見据えた米国の競争力強化政策を超党派で推進している。この計画には、日本のほか、欧州宇宙機関、カナダ、イタリア、豪州、インド、韓国、UAE、ウクライナなど34か国・地域が参加している。この計画の目的は、米国のリーダーシップを示し、宇宙探査への世界の国々の参加や商業パートナーシップを促進し新しい地政学的な環境に対応するもので、冷戦時代の国家主導の宇宙開発とは大きく異なり国境を越えた協力を活発化させている。また、ニュースペースと呼ばれる宇宙新興企業を加え、民間企業のダイナミズムを活用している。

〇 UAEが「エアロック」モジュールを開発 (*2)
 今年1月、UAE宇宙センターは「ゲートウエー」のエアロックを開発し提供する契約をNASAと締結したと発表した。エアロックは宇宙ステーションの内部から外部へ宇宙飛行士や実験装置が出入りするためのモジュールで、ドッキングポートも具備し、2030年に打上げる予定としている。また、NASAによれば契約の一環として、UAEの宇宙飛行士が「ゲートウエー」に滞在する予定だと述べている。これまで、UAEは2019年に自国の宇宙飛行士がISSに短期滞在を実施、2023年には宇宙飛行士がスペースXの「クルードラゴン」に搭乗し、ISSで半年間の長期滞在を実施した。さらに現在、ジョンソン宇宙センターでは宇宙飛行士候補2名が訓練を受けている。
 米国主導の国際協同プログラムではお互いのコスト削減と国家間協力関係強化の目的でバーター協定を締結することがよく行われる。
 筆者はISSで、このバーター協議を多く経験したが、米国が必要とするものを自国が提供できるか否かで協議の成否が決まる。国際協同プログラムでは米国がコア部分を握るが、他国が提供するものが米国にとって価値があれば採用し国家間の結びつきを強化させている。UAEとの協力もその例である。

〇 日本はアルテミス計画の主要パートナー
HTV-Xが「ゲートウエー」に接近している様子、出典:JAXA  「きぼう」日本実験棟やISS補給機「こうのとり(HTV)」の開発・運用で培ってきた成果がアルテミス計画で活かされる。具体的には、「ゲートウエー」のミニ居住棟への機器への提供、欧州宇宙機関とNASAとの連携による国際居住棟の環境制御・生命維持装置での参加などの重要なプロジェクトを担っている。
 また、月面探査の分野では、日本の自動車メーカーと協力して有人与圧ローバーの提供を予定し、さらにゲートウエーへの補給ミッションもHTV-Xで行うように開発が進んでいる。(図はHTV-Xが「ゲートウエー」に接近している様子、出典:JAXA)

 このような状況をみて、筆者が宇宙開発事業団(現JAXA)に入社した時の島秀雄理事長の話を思い出した。島氏は国鉄の技師長として東海道新幹線建設の指揮をとり、東京オリンピック(1964年)が始まるまでに完成させた技術者でありプロマネでもあった。
 当時日本の宇宙開発は世界から大きく遅れており、島氏は着任後それまでの自主開発路線を変更し、米国よりの技術導入に舵をきった。島氏はその意図を以下のように述べている、
日米の宇宙技術の格差の大きさに、せめて基礎教育だけは学校に通わせていただきたい、早く卒業してご期待に沿い、それから先は修得した力を自ら磨いていきます。出藍の誉れを現わし、立派な改良改善を創出して師に報いるところです。」、「早く“手段”を確立し、我が国の本格的宇宙開発の参入を実現、日本のためはもちろん、世界人類のためにも報いるところがあるべきです。」(宇宙開発事業団社内報より)

 この方針変更は功を奏し日本の宇宙開発を世界レベルに引き上げることができた。筆者も関与した「きぼう」の開発では、有人宇宙開発の新参者として大きな壁があり苦労したが、経験を積みながら「世界には複雑な相互関係があり合意形成のためにはしなやかな強さをもたなければならないこと」を学びNASAと協同して多くの壁を乗り越えてきた。
 「アルテミス計画」ではこれまでの開発・運用の実績が評価され、現在NASAの主要パートナーとしていくつかの重要なプロジェクトに参画している。こうした日本が新しい時代に突入した状況を踏まえながら、あらためて島氏の存在を思い出していた。

 参考文献
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