図書紹介
先号   次号

ともぐい
(河﨑 秋子著、(株)新潮社、2024年1月25日発行、第4刷、295ページ、1,750円+税)

デニマルさん : 4月号

2024年1月17日、第170回芥川・直木賞が発表された。芥川賞は「東京都同情塔」(九段理恵著)、直木賞は「ともぐい」(河﨑秋子著)と「八月の御所グラウンド」(万城目学著)であった。筆者は、例年通りならマスコミ報道の発表と選考過程の資料等を基に、どちらかの著書をここで紹介すべく購入して原稿作成の準備に掛かる。しかし、今回は、芥川賞の「東京都同情塔」と直木賞の「ともぐい」の2冊を読んでから紹介の本を決定することにした。以前にも少し書いたのだが、芥川賞と直木賞の書籍紹介の選択に関してはマスコミ報道と個人的な好みで選んでいたので、両者の読後から選択したことがなかった。ここでご紹介する以上、もう少し公平に比較して確たる理由を持って選ぶべきだと以前から考えていた。そんな経緯から今回は、芥川・直木賞の両書を読んでから紹介本を選択したのです。だが、結果は全く個人的主観が勝っての選択で、チャットGPTを駆使する様な最新AIの芥川賞を敬遠してしまいました。従って、直木賞の「ともぐい」を紹介することに致しました。本書は、自然環境下での人間と動物の“生きざま”が生々しく書かれてある。題名の「ともぐい」の意味することと、主人公の“生きざま”に筆者は注目してご紹介するしだいです。本書は明治時代後期の北海道東部を舞台に、人里離れた山の中でひとり野生の動物を撃って暮らす主人公の猟師・熊爪の物語。どう猛な熊を執念深く追い続ける熊爪との命を奪うか奪われるかの激しいせめぎ合いが臨場感あふれる描写で表現されている。同時に時代が移り変わる中、人間的な暮らしと獣たちの生きざまの間で揺れ動く猟師の生涯が描かれている。主人公・熊爪と熊とのせめぎ合いの争いは、「ともぐい」とは言わない。しかし、著者は敢えて「ともぐい」と書いているには、それなりの理由が本書から滲み出ている。筆者は泥臭い人間味ある著書を好む傾向があるからでしょうか。是非、本書から「新たな熊文学」(出版社の宣伝文)を堪能頂きたい。さて近年、熊と言えば人への被害が相次ぎ、昨年は東北地方を中心に200件以上の人的被害が出ている。加えて昨年の流行語大賞にもなった“OSO18/アーバンベア”というのもあった。これは北海道のオソツベツ地区での前足18センチのヒグマが牛を襲い多くの被害が出たニュースからの新語である。最近では、熊が人家の近くの市街地まで出没するのでアーバンベアとも言われ多くの被害が出ている。熊がエサを求めて人里まで出没するのと同時に、山でのハンターが高齢化等で不足して、狩猟が出来ない等の諸々の結果である。そんな現況だが本書は孤独な猟師と熊の物語で、色々な側面から「ともぐい」の視点で書かれている。著者をご紹介すると、1979年北海道別海町生まれ。北海学園大学経済学部卒業後、実家の酪農業に従事。2012年「東陬遺事(とうすういじ)」で第46回北海道新聞文学賞(創作・評論部門)受賞。2014年「颶風の王」で三浦綾子文学賞、同作で2015年度JRA賞馬事文化賞、2019年「肉弾」で第21回大藪春彦賞、2020年「土に贖う」で第39回新田次郎文学賞を受賞。他書に「鳩護」「絞め殺しの樹」(直木賞候補作)等。

ともぐい(その1)        動物の同種間での現象か?
本書の題名の「ともぐい」について調べてみた。「①同類の動物などが互いに食いあうこと。または害しあうこと。②転じて、仲間のもの同士が互いに利を求めあい、その結果共に不利益をこうむること」(広辞苑から)とある。生物の生存競争の中で起きる現象であるが、一般的には同種間では無制限には成立していない。特異な状況(極端なエサ不足等)の場合に「ともぐい」行動が起きると言われている。しかし生物学的には、まま見られる配偶行動でのケースがある。有名なのが、カマキリの交尾で雌が雄を食べる例は知られている。これは蜘蛛やサソリも同様で「ともぐい」の部類に入るとある。哺乳類では、チンパンジーやライオンや北極熊のオスが血の繋がりのない子供を殺してしまうことも知られている。本書でも、「冬眠から覚めた母熊は穴の中で産んだ子熊を一頭か二頭連れていることが多い。この母熊とまぐわうことを目的に、雄熊は邪悪な子熊を殺すことがある。母熊から子を奪うことで、母親でなく雌として、無理やりに自分の胤を植え付けるのだ。珍しことではない。雄熊は事を終えると殺られた子を前に狼狽える雌熊を残して去る。」(“五、春の孤闘”から)との事例が書かれてある。北極熊でなくも北海道東部の白糠(本書の舞台)でも「ともぐい」の詳細が紹介されている。「ともぐい」は、子孫の繁栄と雄の権力誇示にも利用されている。

ともぐい(その2)        本書の視点(人の生きざま)か?
先に本書は主人公の猟師・熊爪の物語であり、冒頭から人間と熊との命を懸けた猟とその獲物をさばく様子がリアルに綴られている。そして著名の「ともぐい」だが、猟師が狩猟するのは「ともぐい」とは言わない。それを敢えて「ともぐい」とした点が本書のポイントであろうと筆者は考える。先ず本書が書かれた時代は、明治期の日露戦争直前の設定である。日本は農業や狩猟採取の時代から近代化(鉱工業の振興)で、北海道の山村にも石炭採掘の波が押し寄せている。猟師・熊爪が生活の糧とした獲物の買い取り店(門屋商店)やその主人や関係者にも大きな変化が生じている。特に商売上の凋落や、そこでの養女・陽子(はるこ、盲目の娘)と猟師・熊爪との接触を含めて物語後半の大きな山場となる。前半の猟師・熊爪と熊との死闘は、生きるための動物同士の「ともぐい」の範疇なのか。その獲物をさばく状況表現が凄い。「開かれた腹の中には、剥き出しの内臓がつやつやと横たわっている。裂け目に近い腹筋が、魂は消え去ったというのにひくひくと動いた。腸も胃も動きを止めた白さが、肝臓の鮮やかな赤紫色を引き立たせた」とある。物語の後半で猟師・熊爪は、追い詰めた熊との死闘に勝ったものの腰骨を骨折する大ケガを負う。これを救うのが猟犬であるが、一人山小屋で痛さと孤独に耐え自然治癒に頼らざるを得ない。何とか治っても歩行には杖が必要であり、狩猟を続ける不安が残る。狩猟を止めて山を下り、里での生活を選ぶか。猟師・熊爪の生きる葛藤は、食うか食われるかの「ともぐい」に等しい。そして主人公は、門屋主人の子供を身ごもった養女・陽子を嫁とし、山に戻って二人の生活を始める。物語はまだまだ続くのだが、本書「ともぐい」は、先の辞書以外の“人の生きざま”を描いている。

ページトップに戻る