蒼天の鳥
(三上 幸四郎著、(株)講談社、2023年8月21日発行、第1刷、320ページ、1,750円+税)
デニマルさん : 2月号
今回紹介の本は、第69回江戸川乱歩賞の受賞作品である。この「話題の本」では色々な文学賞を取り上げているが、江戸川乱歩賞は初めてである。そこで、この文学賞を少し紹介したい。1954年、日本推理作家協会(旧・日本探偵作家クラブ)は、江戸川乱歩氏の寄付金を基金に探偵小説を奨励するために江戸川乱歩賞を設立。受賞者には、正賞として江戸川乱歩像、副賞に賞金500万円が贈られる。また、講談社とフジテレビが後援しており、受賞作は講談社より刊行され、フジテレビによって映像化されると資料にある。その関係から、現在の推理作家への登竜門として知られている。江戸川乱歩賞は昨年で69回目となるが、筆者が読んだ記憶のある本は、第15回の「高層の死角」(森村誠一著)、第31回の「放課後」(東野圭吾著)と第44回の「果つる底なき」(池井戸潤著)等である。余談であるが「直木賞を受賞して消えた作家はいても、乱歩賞を受けて消えた作家はいない」、更に「過去、落選した作者がその後活躍する例があるのが乱歩賞の特色である」とも言われている。その著名な作家では、笹沢左保氏、夏樹静子氏、福井晴敏氏等がいる。話題性の高い文学賞の一つでもある。この作品の概要は後述しますが、著者が小説を書き始めたことと時代背景を大正時代とした点について受賞インタビューで語っている。先ず、著者は脚本家として現在活躍中である。それが何故推理小説にチャレンジしたかに関して、「シナリオの仕事は本当に面白くて、もう30年近くやってきました。そろそろ小説を書いてみたいなと思ったのは50歳手前くらいです。子どもの頃から本を読むのはすごく好きで、特に乱歩賞受賞作はよく読んでいました。現在の仕事の延長で書いてみたら、わりとすんなり書けて最終選考に残ったんです。才能あるかもと思っちゃいました」と冗談の様に話している。一方小説のストーリィを大正時代の実在の女流作家にした点については、「大正はほんのちょっとしかない。しかし、政権がコロコロ替わって落ち着かない時代でもありました。逆に、そういうところの面白さがあるんだと思います。また女性の社会進出や社会主義を目指す活動も玉石混交で、うまくいったりいかなかったりした時代。そこで敢えて地方を舞台にして、大正ロマンとか竹久夢二とかではないところを描きたいと思って書きました」とも語っている。そこで著者は、大正時代を舞台に実在の女流作家の母娘を主人公としたミステリーであり探偵小説を書いたと言う。著者は、1967年鳥取県米子市生まれ。慶應義塾大学卒業後、3年間のサラリーマン生活を経て脚本家となる。1994年、「胸の振り子」でNHKドラマ脚本賞入選。その後、数多くのテレビドラマやアニメの脚本を執筆。ドラマでは、「世にも奇妙な物語」(フジテレビ )、「刑事の現場」(NHK)「特命係長 只野仁」(テレビ朝日)、「特捜9 」(テレビ朝日)。アニメでは「電脳コイル」(NHK-教育テレビ)、「名探偵コナン」(読売テレビ)が有名。他にゲームシナリオでも、「さくらももこ劇場 コジコジ」(マーベラス)を担当していた。2023年「蒼天の鳥たち」(刊行時『蒼天の鳥』に改題)で、乱歩賞を受賞し小説家デビューを果した。
「蒼天の鳥」の時代背景 大正13年(1924年)、鳥取県鳥取市
本書の舞台は鳥取県鳥取市で、時代は大正13年(1924年)である。舞台が鳥取県であるのは、主人公の田中古代子が生まれ育って活躍した土地だからである。それと時代を大正期とした点は、先の受賞インタビューで語っていた通り「女性の社会進出と大正ロマンだけではない時代を書きたかった」を推理小説にした。筆者も時代背景とストーリィ展開について少し触れて置きたい。先ず大正時代だが、大正天皇 の在位したのは15年間と短い期間である。世界は1914年(大正3年)ヨーロッパを中心に第一次世界大戦が勃発している。日本は、近代化を目指した明治時代を経て徐々に国家の基盤を確立している。この第一次世界大戦の戦争特需により多くの軍需品をヨーロッパに輸出して、日本経済は工業国としての基礎が作られていった。その結果、都市の生活は欧米化が進み、現在に繋がる“生活様式”や“食文化”などが生まれた。洋服を着て洋食を食べる等の生活様式が一般化し、大衆文化が発展した時代でもある。この時期の民主主義を唱える動きは「大正デモクラシー」と呼ばれ、民衆の政治への関心も高まっていった。この小説でも、鳥取県に流れ着いた過激アナーキスト集団「露亜党」の活動が殺人事件を引き起こし、主人公の母娘が巻き込まれる筋書きである。その状況は、鳥取市内の劇場で上演中の活動写真「凶賊ジゴマ」の鑑賞中の事件が発端となって、主人公の母娘がニワカ探偵となり犯人と対峙するスリルとサスペンス物語である。その事件の経過と結末については思わぬ展開となるのだが、これは読んでのお楽しみとする。因みに、日本では活動写真(映画)で観客を集めるようになったのは、この大正時代である。
主人公は実在の女流作家 田中古代子(母)と田中千鳥(娘)
本書の主人公は、実在の女流作家であると先に紹介した。地元の鳥取県でも著名な作家ではなかったが、文芸誌等の投稿で仲間内から評判となっていた。その略歴は、1897年(明治30年)鳥取県鳥取市出身、1915年(大正4年)山陰日々新聞社で、県下初の女性記者となる。その後、文芸誌や雑誌や新聞に多くの作品を投稿し文学青年の崇拝を集め、女流作家としての将来が期待されていた。本書では、殺人事件が解決して以降の東京での作家活動が巻末に紹介してある。「東京に来てから、すぐに二つの新聞連載をこなした。だが持病の神経症等に悩まされ、その後は全く小説を書かなかった。1935年(昭和10年)に自らの命を断っている。享年38歳」と著者は記している。また娘の千鳥は、東京に行くこともなく7歳5ヶ月で亡くなっている。だが千鳥は、自由詩40編、作文7編とわずかな日記と創作文を残している。これらの詩や文章は、母・古代子によって「千鳥遺稿」として関係者に配られていた。この遺稿について「わずか7歳の少女の手によるものとは思えない諦観と客観にみちた詩は、多くの話題を呼んだ。百年後の令和になっても『七歳で夭折した天才詩人』『大正期に突然現れた露姫の生まれ変わり』と称され、未だに中国地方で彼女の詩は読み継がれている」と著者は結んでいる。本書は女流作家の母娘が、殺人事件をも解決する活躍をみせる推理小説であり、大正ロマンとは異なる令和のエンターテイメント作品となっている。
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