図書紹介
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続 窓ぎわのトットちゃん
(黒柳 徹子著、(株)講談社、2023年10月3日発行、第1刷、253ページ、1,500円+税)

デニマルさん : 1月号

今回紹介の本は、今現在最も話題が豊富で出版関係以外でもニュースとなっている。その話題は紹介の作品だけでなく、前作の「窓ぎわのトットちゃん」の本から始まっている。「窓ぎわのトットちゃん」と言えば、本書を手にしなくても多くの方々に知られたミリオンセラー本である。著者の黒柳さんも八面六臂の活躍でテレビ番組「徹子の部屋」だけでなく、ユニセフ親善大使等々でも有名である。さて「窓ぎわのトットちゃん」は、1981年3月に刊行された。現在までの累計発行部数は日本国内で800万部、全世界で2500万部を突破したと言われている。それに世界35ヶ国で翻訳され、1985年にポーランドの文学賞「ヤヌシュ・コルチャック賞」を受賞している。中華人民共和国では「窓辺的小豆豆」と訳され累計発行部数が1000万部を突破している。日本だけでなく世界中の人々の心を捉え、時代や国境をも超えたロングセラーとして、今なお世代を超えて愛され続けている本です。そして著者の黒柳さんは、この本の印税全額を寄付して「社会福祉法人トット基金」(身体障害者授産事業等の活動目的)を設立している。更に、1987年「トット文化会館」を完成させ、就労継続支援活動や日本ろうあ者劇団活動等の社会貢献にも尽力されている。その著者が2023年10月に前作の続編を書き上げた。42年振りの出版に世間の注目が集まり、本書だけなく前作も含めベストセラーとなっている。続編の出版について著者は「私は、どう考えても『窓ぎわのトットちゃん』よりおもしろいことは書けないと思っていました。私の人生でトモエ学園時代ほど、毎日が楽しいことはなかったから。だけど、私のようなものの「それから」を知りたいと思ってくださる方が多いのなら、書いてみようかなと、だんだん思うようになったのです。よし!と思うまで、なんと42年もかかってしまった」と本書の冒頭に書いている。そして現在、更に話題となっているのが、「窓ぎわのトットちゃん」がアニメ映画化され、2023年12月から全国東宝系で公開されている。筆者も機会があったらこの映画を観てみたいと思うが、話題の豊富な本である。ここで著者を紹介しよう。東京・乃木坂に生まれる。父はバイオリニスト、NHK交響楽団のコンサートマスター。トモエ学園から香蘭女学校を経て東京音楽大学声楽科を卒業しNHK放送劇団に入団。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。その後、日本で初めてのトーク番組「徹子の部屋」(1976年2月開始、テレビ朝日)の放送は、同一司会者によるテレビ番組の最多放送世界記録を更新中。著作「窓ぎわのトットちゃん」(講談社)は、前述の通り空前のベストセラーである。他に「トットチャンネル」(新潮文庫)、「チャックより愛をこめて」(文春文庫)、「トットちゃんとトットちゃんたち」(講談社)などがある。1984年よりユニセフ親善大使となり、39ヵ国を訪問し、飢餓、戦争、病気等で苦しむ子どもたちを支える活動も続けている。日本ペンクラブ会員。ちひろ美術館(東京・安曇野)館長。東京フィルハーモニー交響楽団副理事長。文化功労者。

前作「窓ぎわのトットちゃん」とは       世界的なベストセラー本
「窓ぎわのトットちゃん」が出版されたのは1981年3月で、著者の小学校1年時から戦争で疎開(青森県)するまでの学校生活とお友達のことを生き生きと書いている。この本の「窓ぎわのトットちゃん」のタイトルについて触れてみたい。先ず「トットちゃん」だが、著者が幼い頃、自分のことを「テツコ」と云っても舌足らずで「トット」と言っていたことからのあだ名だと言われている。次に「窓ぎわ」であるが、著者がトモエ学園転向前の小学校で授業中に、「窓ぎわ」まで出てチンドン屋を待っていたことと、学校で何となく疎外感を感じていたことに加えて、当時の流行語の「窓際族」(会社組織で閑職に追いやられた中高年社員)に由来すると云う。さて本書での小学校生活を過ごしたトモエ学園と、その学校長である小林宗作先生に著者は大きな影響を受けたことが書かれてある。詳しくは本書をお読み頂きたいが、ここではトモエ学園の特徴について触れて置きたい。トモエ学園は1928年に自由が丘学園として設立された。その後、幼稚園と小学校がトモエ学園に変更されたが、戦後の1964年に廃校となっている。現在、自由が丘高校だけが存続している。トモエ学園は、自由教育を提唱して「リトミック教育」を日本で最初に導入した学校で知られている。リトミックとは、子どもの発達過程に合わせた音楽との触れ合いを通して、潜在的な基礎能力を育む創造教育法と言われている。トモエ学園は、子供の個性を重視した教育を実践していた学校で、著者はその影響を受けて育ったと本書に書いている。それと著者が敬愛するトモエ学園校長の小林宗作先生は、リトミック教育を自らヨーロッパで学び日本で実践された方である。余談であるが、東京・自由が丘の地名は、自由ヶ丘学園の名称に由来する。

「続 窓ぎわのトットちゃん」とは       42年後に続編を書いた意味
続編の出版は2023年10月で前作から42年の歳月が経過しているが、出筆した経緯については既に触れた。本書の書かれた時代は、太平洋戦争での東京空襲からの疎開生活をせざるを得ない時期から、学生時代を経て女優となりNHKで活躍された30年近くを書いている。特に、当時11歳での戦争の空襲等の生々しい体験を書いている。本書では「夜なのに空があまりに明るいので、防空壕を飛び出して家に戻り、ランドセルから本を出して庭で広げてみた。そうしたら本が読めたという。約十万人が犠牲になった夜、トットちゃんは眠れずに過ごした」と記している。更に、青森県諏訪の平に疎開した経緯と母親が行商人となって生活を支えた活躍は、逞しさと明るさを感じさせる。その後、疎開先から東京に戻っての生活となり、徐々に戦後の復興を取り戻す様子を書いている。これらは70年前に実際にあった体験談である。本書が出版された今年、中東での空爆で子供を含む多くの人命が失われている。2年前にはロシアのウクライナ侵攻で同じ様な戦争が行われ、毎日テレビや新聞のニュースで空虚な破壊と殺戮が報じられている。著者は本書の終りで、『48年も続けた「徹子の部屋」で、毎回の対談で皆さんに戦争の話を聞いている。それは今、ここで聞いて置かないと戦時中の事が忘れられてしまう。だから多くの人が体験した戦争の話を書き残したいと思って、本書を書くことにした』と結んでいる。著者は、平和の尊さも強く訴えている。

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