投稿コーナー
先号  次号

NASAは開発段階別にまとめ役を変えていく
~プログラムはステージ毎に求められるマネジャーの資質が違う~

PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :1月号

 NASAはアポロ宇宙船開発の時、宇宙船の設計を素早く固めていく時期にはシステム技術者が指揮をし、飛行運用への配慮が重要になってきた時期はユーザーの意見に耳を貸し、技術問題を関係者の了解をとっていくまとめ役が指揮をしていた。
 ISSプログラムマネジャーも同様で開発ステージ毎に交代し、NASAの日本担当マネジャーも開発ステージ毎に交代していた。そのいくつかの経験を紹介する。

〇 「きぼう」の基本・詳細設計フェーズ
 筆者が「きぼう」開発に参加したのは、NASAと参加国との分担がほぼ決まり、開発に入る1989年だった。この頃、ISSプログラムオフィスはNASA本部直轄のワシントンDCに置かれており、日本担当は兼任で、国際パートナー担当が片手間にやっていた
 この段階のISSプログラムマネジャーは政治に翻弄され4人が次々に交代していた。1993年、クリントン政権の財政赤字対策の一環として、ISSも大規模な見直しが行われ、プログラムオフィスはワシントンからヒューストンに移動した。
 ヒューストンで、ベテラン技術者が「きぼう」のプログラムを詳細にチェックした結果、複雑な構造物を宇宙で組立てるには、打上げ毎に組み立てを統合(インテグレーション)しなければISSの完成は不確実であることがわかり、打上げる便毎にLaunch Package Manager(開発プロジェクト監督)を置くことになった。

〇 「きぼう」の製作・試験フェーズ
 プログラムオフィスがヒューストンに移動した後、ISSプログラムマネジャーは開発経験豊富な方が就任した。欧州(コロンバス実験棟とATV)と日本(「きぼう」実験棟とHTV)の開発プロジェクト監督(以下、Launch Package manager))は宇宙システムの開発経験がない中堅の技術者だった。人当たりは非常に良かったが、技術調整を進めていく中で、山積する「きぼう」の技術課題が複数のサブシステムと絡み合っており、NASAの技術者と詳細なすり合わせや技術判断をする必要が頻繁に出てきた。この問題を処理するには、各技術要素の諸課題を把握し、ISS全体の中において「きぼう」やHTVが関わる部分を理解した上で、判断を下していく必要があったが、彼には技術的に無理であった。
 結果として、ある段階から日本の「きぼう」開発技術者の中にNASAとの調整の進みが悪いことに不満を持つものが増えたが、私はなんとか付き合って進めていった。このフェーズが佳境に入るころ、突然、Launch Package manager交代の連絡がきた。
 NASAも彼の問題点に気づいていて、ISSプログラムマネジャーが時期をみて交代させたようだった。後任はサブシステム担当技術者として経験豊富なヒューストンの技術者であった。
 Launch Package Managerを引き継いだラルフ・グラウ氏は、宇宙船のモジュール全体を担当するのは初めてだったが、責任感のあるプロジェクト管理者で、他者の意見を聞きつつも全部を把握し、集団で取り組む仕事の仕方を心得ていた。NASAでは珍しくPMP®を保有し、名刺にタイトルを印刷していた。
 また、グラウ氏はコンポーネントから全体システムまで技術的に把握できる能力を持っていて、言いたいことを存分に言わせながら論点を絞っていき、気になる点があると説明を止めて確認し、結論はシステム開発と飛行運用の両面から判断し、なぜこの判断をしたのかを全員に説明をするというやり方だった。
 会議が終わるとJAXAもNASAの技術者も混沌とした中から抜け出して、目標の達成を信じるようになった。
 彼は、山積する課題を私たちと共同で片付け、2003年3月の「きぼう」開発完了審査を無事合格させ、ヒューストンの外国機関調整室に異動になった。その後も、時折助け船を出してくれた。

〇 「きぼう」の運用準備・初期運用フェーズ
 次の段階の射場運用フェーズと並行して、マイク・ロドリグス氏(Launch Package Manager)と付き合うことになった。彼は、ヒューストンの飛行管制官や運用計画担当を経験した飛行運用本部の中堅であった。
 彼の判断の基本は、宇宙飛行士や管制官の意向は“論理的なシステム分析の判断が必ずしも全体的な視点での判断ではない”ことを念頭においていた。
 「きぼう」は“運用体制”“運用訓練”“運用計画”“運用手順書”“運用規則”などの準備が非常に遅れていたが、彼の仲介と指導により加速的に作業が進んでいった。
 運用計画や運用規則などの作成の段階では、飛行運用チームでは難解な高等理論の理解はいらないが、宇宙船の設計の特徴や保守上の制約を考慮した作業を進めるので、雑多な技術概念やデータを素早く吸収する能力が必要である。特に、関係者との人と人とのコミュニケーションを大事にする必要がある。
 我々「きぼう」チームはNASAの運用体制に似たものを構築し、考え方に柔軟性のある若い技術者を集めたので、熱気にあふれた雰囲気がいつもあった。そして人命にリアルタイムでからむ飛行運用組織を作り上げることに成功した。「きぼう」の組立てを成功させ、本格的な運用段階に移行できた。
 彼は、「きぼう」の最もクリティカルな組み立て・起動および初期運用を我々と連携して進めた後、有人月探査プログラムに異動した。

〇 まとめ
 長い開発期間のプログラムでは、一人のまとめ役が最初から最後まで担当するのは能力的に困難であり、開発段階に応じて異なるタイプのまとめ役が指揮を執ることで、国際的な大規模宇宙プログラムを成功に導くのは、合理的に思える。
 「きぼう」の開発・運用プロジェクトも“システム技術を必要とする時期”、“多くの企業を統合して進めるシステムインテグレーションの時期”、“運用準備から運用初期段階”までJAXAでは3人のプログラムマネジャーが開発ステージ毎に担当した。
 プログラムにおいては、マネジャー(監督)は、ステージ毎に求められる必要なスキル(資質)が違う、プログラムマネジャーはそこのところを見極めて人を選び、任せるべきである。人によって、成功・失敗が決まるのだから。

[参考文献]
*1 :佐藤靖著、「NASAを築いた人と技術」、東京大学出版会、2008年

ページトップに戻る