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「エンタテイメント論」(190)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :1月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

7 本質
●日本が抱える数々の深刻な問題は何故、起ったか?
 現在の日本は、多くの分野で世界の潮流の「蚊帳の外」に置き去りにされた。その実例のほんの一部を、下記の通り、以前の号で紹介した。
  1. 1 日本の「人材への投資額」は世界の主要国で最低。
  2. 2 日本の「社員の平均賃金」は過去30年間ほぼ変わらず、主要国で最低。また「マネージャー社員の平均年収」は最低ではないが、欧米諸国より遥かに低く、韓国よりも低い。
  3. 3 日本の「時間当たりの労働生産性」は主要国で最低。
  4. 4 日本のベンチャー企業への投資流入額は米国の10分の1で主要国で最低。
  5. 5 日本人の英語力は韓国、中国より遥かに低く、比べる価値がある対象国の中で最低。

 上記の問題に限らず、何故、多くの問題が起ったのか? 筆者が約30年前から主張してきた日本が直面した「構造的危機」が齎した為である。「構造的」の意味は、危機が多くの分野と其れ等に帰属する全ての階層の人物に起こっている事、これ等の危機が相互に影響し合って危機を更に深刻化させている事、危機脱出に成功する為には夢工学が説く「絶対不可欠な成功根源3要因(既述)」の実践などが必要であるが、脱出には相当の年数を要する事などを云う。

出典:構造的問題
出典:構造的問題
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 此の構造的危機を脱出し、多くの深刻な問題を解決させる「モーゼ(救世主)」は、現在の日本をリードする政治家、官僚、学者、評論家などの中に実在するか? 大いに疑問である。唯一頼りになる人物、即ちモーゼは、「企業人(社長&社員)」であると考えている(既述済)。

●「人材への投資額の低さ」を解決するには?
 前々号で以下の指摘をした。
  1. 1 此の解決策は、人材への「投資」で得られる「効果」が「投資」を上回る様にすることである。即ち人材投資の「生産性=アウトプット÷インプット」を向上させることである。
  2. 2 しかし人材への「投資」をしている企業に於いて、人材育成の在り方ややり方に問題がある事、また人材を育成する指導者の能力や経験知にも問題がある事などを解決せねばならない。

 本号で本問題の解決策として以下の事を実践する事を指摘したい。
  1. 1 何を差し置いても、兎に角、人材への投資額を増やし、年齢、性別、学歴、職歴、国籍などに拘らず、「優れた人材」と思われる人物を社内外で探索し、起用し、訓練し、活用し、本物の事業成果を出す事、そして此の成果を出した成功実績を1つでも多く積み上げる事である。
  2. 2 此の成功実績を累積させる事で人材投資の重要性と必要性が社内外で認識される。その結果、人材への投資額が自然に増加してくる。
  3. 3 もし人材への投資に失敗しても、それにめげず、成功させるまで挑戦する事である。最初、小さな成功であっても、其の成功体験に依って次の成功に挑戦する情熱が生まれる。その結果、次の成功が生まれる。この成功の連鎖で成功実績を累積させるのである。「成功が成功の母」である。「失敗は成功の母」ではない。

●苦悩のシンガポールとリー・アンユー首相の涙の演説
 日本が「人材への投資額の低さ」を解決する為に、その根源的元凶の「構造的危機」を脱出する為に、日本はアジアの或る国が実践した事を習うべきでる。或る国とは「シンガポール」である。

 シンガポールは、天然資源もなく、水さえもマレーシアから供給を受けてきた貧しい国であった。その広さは「東京23区」より少し大きい約730平方キロメートル。シンガポール島が最大の島で約60個の小さな島からなる島国である。人口は564万人(東京都の人口の40%)。民族は中華系74%。マレー系14%、インド系9%、言語はマレー語、公用語は英語、中国語、マレー語。

 シンガポールはマレーシアから独立は望んでいなかったが、1965年、マレーシアから突然見捨てられ、分離された。統合を望んだ「リー・アンユー首相」は、この分離に悲しみ、悔しさ、怒り、不安、絶望を抱きつつ、「独立への強烈な想い」を国民に訴え、涙の演説をした。

出典:1965年8月9日 リー・クアンユー首相の涙の会見
出典:1965年8月9日
リー・クアンユー首相の
涙の会見
singapore-style.com/12913/

 シンガポールの歴史の概要は以下の通り。
1511年 ジョホール王国
1819年 英国人ラッフルズが上陸、商館を建設
1824年 英国の植民地となる
1942年~1945年 日本軍による占領
1959年 シンガポール自治州が誕生。
1963年 マレーシアが誕生。シンガポールはその州の1つになる。
1965年 シンガポール共和国が誕生(マレーシアより分離)。リー・クアンユーが首相に就任。
1965~1990 リー・クアンユー首相がシンガポール国家戦略を実行。建国の父と評価される。
2005年 カジノ産業合法化
2008年 マリーナバラージ巨大ダム建設開始。シンガポールの弱点の淡水の確保
2010年 2つのIRを建設(ベイサンズとセントーサ)し、大成功
2011年 建国の父「リー・クアンユー」が内閣から引退

出典:シンガポールの国旗
出典 シンガポールの国旗
ja.wikipedia.org/wiki/ Flag_of_Singapore.svg

●リー・クアンユー首相のシンガポール国家戦略の概要
 リー・クアンユー首相(1959-1990首相在任期間)と其の後のリー・シェンロン首相の下で国民は必死で頑張り、世界が注目するに国に発展した。リー首相の国家戦略の概要は以下の通り。

リー首相の国家戦略 公営団地建設と持家政策
 昔のシンガポールは極めて貧しく、国民の生活はギリギリ。島内はどこも貧民窟ばかり。リー首相は地震統計を調べ、過去300年間地震がない事に気付き、数十階の高層建築を安価に数多く建設。其れ等を公営住宅に活用し、貧民窟の住人に提供。「一定額の家賃を払い続ければ、自分のものになる」と云う施策も実施。多くの賃借者達は必死で働いて家賃を払う努力をした。

リー首相の国家戦略 海外企業誘致と優遇税制措置と雇用創出
 リー首相は国民に「働く機会」をより多く与える為に「或る施策」を計画。世界の有力企業にシンガポールに進出するなら土地を無償提供し、税も殆ど取らないと云う海外企業誘致戦略と優遇税制措置を実行。松下電器、ソニー、フィリップス等が進出。その結果、新しい雇用が次々と生まれ、多くの人が収入を得て、家賃を払い、高層ビルのマンションを次々と自分の持家にした。

リー首相の国家戦略 市場開放で世界の金融機関が投資~
 リー首相はモノ作りの産業振興の成功を基に、更なる競争力を生み出す産業振興を目指した。モノ作りに必要となる「原料」ではなく、「知識と情報」が必要となる金融産業の誘致を実施。そのため極めて良い誘致条件と規制緩和で市場を開放。その結果、世界の主要な金融機関の銀行、証券会社が進出。特に欧米の金融機関は巨大な投資を行った。この政策が成功で、シンガポール人は高度な金融産業で働ける様になり、高給を得る事になった。

 更にモノ作り事業、金融事業などビジネス分野では「デジタル技術」が必須。デジタル化、機械化、システム化の国家戦略が実施。2023年の世界のデジタル化競争力は、米国1位、オランダ2位、シンガポール3位、韓国6位、日本32位、マレーシア33位。シンガポールを見捨てたマレーシアの極めて低いレベルに日本は落ち込んだ。昔のマレーシアも、シンガポールも「日本を見習って発展した国」であった。此の事を今の日本人は知っているのか? 日本は情けない国になった。

リー首相の国家戦略 シンガポール国立大学に世界の英知を集結させる施策
 シンガポールは、先進国の所得水準に急速に近づき、追い抜く勢いで発展。リー首相は、この発展の勢いに乗り、世界の英知をシンガポール国立大学に集結させる施策を実行。同大学を世界の超一流大学になる事を支援し、その通りになった。

 発展の原因は、シンガポール人を優遇しない事、世界の優れた人に門戸を開放した事、シンガポール人に同大学に入る為の猛勉強を促した事、同大学が世界から情報、ナレッジ、テクノロジーを集結させた事、其れ等が益々相乗効果を生んだ事などである。同大学を出ると世界最高所得を享受する事が可能になった。

 リー首相は大学だけでなく、優秀な人材を育てる国内の教育制度を充実させる一方、優秀な人材を育成し、政治家、官僚に積極的に起用する制度改革も実現させた。天然資源の無い国では「人材こそ最強の資源である」と云う戦略は、今の日本が学ぶべきことである。

出典:シンガポール国立大学の遠景
出典:シンガポール
国立大学の遠景
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 リー首相の国家戦略の解説は次号に続く。また日本が抱える「社員の平均賃金の低さ」、「時間 当たりの労働生産性の低さ」、「ベンチャー企業への投資流入額の低さ」、そして「英語力の低さ」を如何に解決するべきか? 次号で解説する。なお「作曲の解説」が中断されている。以上の解説を終わらせるまで、しばらくお付き合い願いたい。
つづく

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