今月のひとこと
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 ソクラテスとシンポジウム 

オンライン編集長 深谷 靖純 [プロフィール] :1月号

 昨年は、青果物の価格が大きく乱高下しました。気候変動の影響だといわれますが、地球上のあちらこちらで大規模な不作・凶作が発生しています。日本国内に限っても、新潟のお米など様々な地域から異常を伝える報道が頻繁にありました。この記事執筆中にも、原材料・光熱費高騰に加えてイチゴが不作でクリスマスケーキが大幅に値上がりしたとのニュースが流れていました。このニュースには、それでも子供に甘い親は購入するとのおまけが付いており、なんだかんだといってもこの国は平和なのです。

 ギリシャの哲学者ソクラテスは、裁判で有罪となって亡くなりました。逃げることができたにも拘わらず「悪法でも法は法だ」と言って逃亡を拒否したと、倫理社会のテキストに載っていました。高校時代、編集子は「このことについて論ぜよ」という試験問題に回答することを拒否して落第点をもらっています。半世紀以上も昔のことですが、当時の倫理社会の教師が何故この問題を出したのか、いまだに理解できないでいます。
 社会人になり、さらにPMに携わるようになって様々な場面で自ら判断をしなければならない場面に遭遇してきましたが、その判断の根拠となるのはあくまで事実の積み上げです。テキストの数行の説明だけでは哲人ソクラテスがどういう人かも、裁判が開かれた背景も分からず、ただ「悪法も法なり」についてどう考えるかという設問はあまりにも乱暴だったのではないかと今でも思います。禅問答ということであれば、このような観念だけの設問もあり得るとは思いますが、この教師は何を意図していたのでしょうか。不思議でなりません。
 思い起こしてみると、このソクラテス問題の教師と同様に観念の世界に囚われたまま議論を展開しようとする方にはちょくちょく出会っています。そんな方が会議の場に紛れ込むと、議論を止めてしまうことになるので困ったことが何度かありました。その方が何にこだわっていたのかは、理解できなかったこともあり全く覚えていません。ソクラテス問題の際は落第点が伴っていたのでかろうじて覚えていました。この教師の青春時代は治安維持法等の悪法全盛の昭和初期ですから、悪法を受容するということに特別な思いがあったのかもしれませんが、悪問は悪問です。

 このソクラテス、存命中はアテネの有名人でシンポジウムにはよく招かれていたそうです。現代のシンポジウムは討論会とか講演会を意味しますが、当時(紀元前5世紀頃)はお酒を飲みながら様々なテーマについて論じ合う酒宴のことだったそうです。以前この欄にPMシンポジウムで日本酒造りを取り上げる理由を書いたことがありますが、そもそも酒宴が語源のシンポジウムですからお酒の話をしないと始まらないというのが真相だったのかもしれません。
 コロナ禍が続き、PMシンポジウムでは長く懇親会を取り止めていましたが、ぼちぼち本来のシンポジウム(酒宴)に戻してもいいかもしれませんね。
以上

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