図書紹介
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木挽町のあだ討ち
(永井紗耶子著、(株)新潮社、2023年7月25日発行、第5刷、267ページ、1,700円+税)

デニマルさん : 11月号

今回紹介の本は第169回直木賞(2023年7月発表)を受賞し、愛読家の注目を集めている。 この冒頭の文書は、前月の文章と一部重複している。具体的には、前月が芥川賞で、今月が直木賞の違いだけである。この芥川賞と直木賞の受賞発表は、過去から同時に行われている。このコーナーでは、毎年の受賞発表から特に話題となった本や、筆者の個人的な好み等々でご紹介している。以前、その辺の経緯をチョットご紹介したが、結果として直木賞の受賞作品の方が多くなっている。直木賞は、今回の紹介を入れて10冊目である。過去の資料を調べると、最初は第145回の「下町ロケット」(池井戸潤著)で2011年10月号の紹介であった。それに対して芥川賞は半分の5冊だけで、第130回「蹴りたい背中」(綿谷りさ著)を2004年6月号で最初に紹介していた。さて今年で169回目(第1回は1935年)となる芥川・直木賞は、88年の長い歴史がある。その中で色々と話題になった本があるが、ミリオンセラーとなったものは、芥川賞で3冊(「限りなく透明に近いブルー」(村上龍著)132万部、「蹴りたい背中」127万部、「火花」(又吉直樹)253万部)、直木賞では2冊(「人間万事塞翁が丙午」(青島幸男著)117万部、「鉄道員」(浅田次郎著)155万部)である(出典:芥川・直木賞ホームページ)。筆者は、以前からベストセラー本に関心があり1950年代以降の毎年のランキング上位作品から本を選択して読んでいる。もう少し余談をお許し頂けるなら、最近読んだ「ベストセラーに学ぶ最強の教養」(佐藤優著、文藝春秋刊)から、佐藤氏が「ベストセラー本が時代の特徴を示す」と同時に「現代に役立つヒントが得られる」と述べている点に同感している。前置きが長くなり恐縮です。今回取り上げた本の紹介に戻ります。本書のタイトル「木挽町のあだ討ち」から幾つかの内容イメージを考えた。「あだ討ち」だから歴史時代小説なのか。どの時代が背景となっているのか。誰が誰に対しての「あだ打ち」なのか。「木挽町(こびきちょう)」がどう関係しているのか等々。これらの情報から色々と妄想出来るが、その結果で果たして読者は、本書のタイトルと装丁から興味を持って購入するのであろうか。本書の宣伝用のオビ文に「ミステリーの驚きと人間ドラマの感動!」「このあだ討ちの“真実”を、見破れますか?」とある。歴史時代小説でミステリー小説でもあると書かれてある。直木賞も山本周五郎賞も受賞している。筆者が読んでみたくなる誘惑に駆られた本である。そこで著者を紹介しよう。1977年、神奈川県出身。慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経て、フリーランスライターとなり、新聞や雑誌などで幅広く活躍。2010年に『絡繰り心中』で小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。2020年刊行の『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』(新潮社)で、細谷正充賞、本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞を受賞。2022年に『女人入眼』(中央公論新社)が第167回直木賞候補に。2023年『木挽町のあだ討ち』で第36回山本周五郎賞と第169回直木賞のダブル受賞である。その他著書に『大奥づとめ よろずおつとめ申し候』(新潮社)、『福を届けよ 日本橋紙問屋商い心得』(小学館文庫)など。

題名の「木挽町」から?         物語の所在地が意味すること
本書の舞台は、木挽町である。現在の東京都中央区の東部の地名で、江戸時代に木挽職人(鋸引き職人等)が多く居たのが地名の由来と言われる。また、木挽町には森田座という芝居小屋があったことで当時は有名であった。後に江戸三座(山村座、河原崎座、森田座)に集約されたが、芝居小屋には多くの人で賑わっていた。江戸時代以前から芝居小屋で演じられる歌舞・演劇は蔑まされ、芝居小屋を「悪所」と呼んでいた。そこで働く人を「川原乞食」と称し差別していた。この物語での主たる登場人物は、その芝居小屋の関係者たちである。本書では、複雑な過去を背負いながら芝居に生きる人たちを人情味あふれるストーリィで描いている。その中に木戸芸者(芝居小屋の呼び込み口上を述べる者)、立師(役者の殺陣の演技を指導する者)、衣裳係、小道具、筋書(芝居の筋を書く者、戯曲作家)と云った芝居小屋には、欠かせない役割を持った人たちで構成される。著者は、それぞれの生い立ちと芝居小屋に係わった経緯を含めて六つの章立てにして書いている。話の中心は勿論「あだ討ち」であるが、芝居小屋の関係者が自然と「仇討ち」に密接に繋がっていく筋書きである。これがミステリーかと思わせる「あだ討ち」と人情物語なのだが、後は読んでのお楽しみである。

題名の「あだ討ち」から?         時代と制度が意味すること
次に「あだ討ち」であるが、「主君や直接の尊属を殺害した者に対して私刑として復讐を行った日本の制度。武士が台頭した中世期からの慣行であり、江戸期には警察権の範囲として制度化された。1873年(明治6年)太政官布告により禁止された」と資料にある。それと歌舞伎の「忠臣蔵」も「あだ討ち」として有名な演目である。本書でも冒頭に「あだ討ち」の口上『我こそは伊能清左衛門が一子、菊之助。作兵衛こそ我が父の仇、いざ尋常に勝負』と述べ、見事「あだ討ち」を果たしている。その「あだ討ち」は、多くの人たちが見守る芝居小屋の前で果たされたことが書かかれてある。この一見、普通の時代小説風の物語の様に見えるが、「仇討ち」の成立過程(作兵衛が伊能清左衛門を殺害する理由等)がチョット複雑である。これが物語のポイントとなっているので、本書を読まれることをお勧めしたい。著者は「あだ討ち」に関して、ただの恨み辛み、私怨を晴らすだけではない。本質的な「忠義」を突き詰めると「自分と親や上司等を含む信頼関係」と考えて、本書を書いたと語っている。

題名からは見えない謎?          本書がミステリーであること
本書の「あだ討ち」がミステリーである点は、主君が父親(武士)で殺害者が使用人(作兵衛)という事件構成から始まる。それと「あだ討ち」を果たす主人公(菊之助)が本心から望んでいない事もある。更に、「あだ討ち」を応援する芝居小屋の面々も、主人公の真意を理解しながら、「あだ討ち」を成功させる筋書きを芝居の様に演じている。結果、マジック・ショウの様な「あだ討ち」を成し遂げている。このミステリーは、本書を読まれた方だけが、解明できる仕掛けである。著者の狙った「あだ討ち」の真意も含めて楽しめる内容である。

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