グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第175回)
手探りの80歳台を迎えて

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :10月号

 
 本号がオンラインされる日から3日目に80歳を迎える。
 
 最後の大病をしてから21年、よくここまで生きてこられたと思う。自分でもかつて想定できなかったが、70歳台は実に生産性が高い10年であった。
 
 研究者として、フランスの大学院大学で5名の博士の指導教員を務めた。彼らは、各々ラトビア、中国、イラン、セネガル、ロシアと、数は少ないが、世界と共に生きるという筆者のポリシーを具現できた。また、博士論文の審査員を15回、最終弁論(Ph.D. defense)のレフリーを合計25回務めた。修士・博士レベルでの授業では、コロナ前までは、年間でフランス1科目、セネガル2科目、日本で6科目を教えていた。学術論文は、すべてヨーロッパで、14回採用され、出版された。しかし、一匹狼的な自らの性格から、今身を寄せる学派は無い。
 
 グローバルPMプロフェッショナルとしては、米国PMIからヨーロッパに活躍の場を移して10年経つが、70歳台では、IPMA世界大会で3回の基調講演、英国とセネガルでの初めての基調講演、地盤であるロシア、ウクライナ、カザフスタンで、インドで合計8回の基調講演を実施できた。国際大会は卒業を決めている。
 
 いまは、成人第4期のグローバル研修実施ステージで、コロナ禍時代で、オンライン大会、研修になってからは、いかにオンライン研修をライブ化するかでユニークな方式を開発し、海外向けの公的な研修は、22年度から対面研修が復活したが、今、コロナ前の3倍のコールがかかり、かねての海外向け公約である「満80歳を迎えたら引退をする」は守れなくなり、気持ちを改めて残されたミッションにあたっている。しかし、80歳台は手探りと感じている。
 
 本コラムの6月号で、4月に研修を行なったケニア電力公社向け研修で、研修団から、「田中先生ケニア名」として“TANAKARIUKI” 省略形”TANAKARIS”(意味はTanaka rebornd)を拝受したことを書いたが、8月に記念として、マサイ族の衣装が送られてきた。長方形の布が3枚で、どのように衣装の恰好をつけるのか難しかったが、先人のアドバイスで形を付け、記念写真を撮った。腰のベルト以外は留め具は一切ない。
 
 マサイ族は、ケニアでも少数民族であるが、元々狩猟民族で、自然と対話をしながら、自由に俊敏に生きるというのがライフスタイルだそうだ。ささやかな研修のお礼に、すばらしい、エスプリの効いた贈り物をいただいた。

マサイ族の衣装の贈り物

 グローバル研修を毎月やっていると、人生のひと時夢中になって取り組んだ事々の局面が一瞬よみがえる出会いがある。9月に実施した石油・天然ガスの顧客側プロジェクト開発・プロジェクトマネジメントの研修では、メキシコ、コロンビア、ペルーの石油公社から各一名の研修生がおり、楽しい交流ができ、また、彼らの発表資料のスライドは半分ほどスペイン語のままであったので、社会人になりたての頃、南米の顧客のスペイン語の技術文書を英語に直す仕事をしていた際に覚えた石油精製装置や石油プロジェクトの用語を英語に直すサービスもやった。
 
 ★★
 
 夏の高校野球甲子園大会を盛り上げた「エンジョイベースボール」の慶應義塾高校や「青春はすごく密なので」の仙台育英高校は、共に秋季県大会の準々決勝で敗退し、来春の選抜甲子園大会出場は絶望的となったが、仙台育英高校の須江監督の「人生は敗者復活戦。いつも、負けてから始まる」、の状況となった。慶應の関係者が義塾高校の全国優勝に熱狂したのは、常勝はあり得ないことを知っていたからであろう。
 
 東京六大学野球が大好きな筆者は、プロ野球で今期嬉しかったことは、タイガース大竹耕太郎投手(早稲田大学出身)、バッファローズ山崎福也投手(明治大学出身)、カープ矢崎(加藤)拓也投手(慶應大学出身)の大活躍である。高校時代や六大学時代の彼らの活躍は頭に焼き付いているが、その後故障やプロになってからの低迷の期間があっただけに、「負けてから始まる」は、実に真実味がある。   🤍🤍🤍

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