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「エンタテイメント論」(186)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :9月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

7 本質
●「或る本」が薦める「作曲のやり方」で作曲が出来たか? 満足したか?
 筆者は前号で「或る本」が薦める「作曲のやり方」で作曲をトライする様に読者に薦めた。

 この薦めで作曲にトライしたか? もしトライして作曲する事が出来たのなら、もし作曲した曲に満足する事が出来たのなら、筆者が本稿で解説する「作曲のやり方」を読む必要はない。その人物は薦められた作曲のやり方と自分のやり方を基に作曲を続けて欲しい。しかし作曲出来ず又は作曲しても満足する事が出来なかったのなら、筆者の解説を読む必要があるだろう。

 既述の通り、筆者の「作曲のやり方」の解説には「限界」がある。①筆者がピアノを弾きながら作曲する場面に読者を臨場させる事が出来ない。②読者が作曲する臨場で筆者は作曲の支援指導を出来ない。③言葉や絵などでしか「作曲のやり方」を伝える事が出来ないなどである。その為に強い「モドカシさ」を感じている。

 此の限界やモドカシさは、「作曲」の世界だけに限らない。「ビジネス」の世界でも同じ。新しい商品、製品、サービス、事業を生み出す為の「発想(アイデア創出、問題解決策創出など)のやり方」を解説する場合も、限界とモドカシが存在するからである。

出典:作曲
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出典:事業発想
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●実戦行動~実戦理論~理解~体得~心得
 音楽の世界でも、ビジネスの世界でも、「何か(夢など)」を実現させ、成功させる事を支援指導する立場の殆どの人物は、実現と成功の為の「在り方」と「やり方」に関する「理論」を真っ先に教える様である。何故なのか? 「そうするのが正しい」と考える人物が多いからだろうか?

 しかし筆者は、被支援指導者が「理論を先に教えて欲しい」と特に強く望まない限り、最初の第1段階では「理論」の指導を一切しない。その代わり、被支援指導者が従来から採ってきた「思考と行動」に基づいた「実戦行動」を筆者の眼前で実行して貰っている。この「実戦行動」の「実戦」は、「実践」の誤字ではない。戦場(企業現場)で本当に戦う行動を意味する。

 被支援指導者は彼等なりに頑張る。しかし或る段階で行き詰まり、どうしようもなくなる。その時、第2段階として「理論指導」を行う。彼等が行き詰まった状況を此の理論で解決する糸口を如何に掴み、頑張るか等を詳細に観察する。

 もし先に理論指導をすると、彼等は「頭」で理解し、行き詰まっても、「頭」で解決しようとする。これでは「体」を使った真の実戦行動が生み出さない。何としても、彼等に「理論」だけでなく、「行動」を学ばせ、行動を無意識に出来る様にしたいのである。彼等が新しく得た「理論」で「何か」の実戦行動を自然に無理なく行う様になった時、彼等は理論を「理解」しただけでなく「体得」した事になる。

 その後、彼等は、従来から頼りにしてきた彼等なりの「在り方」と「やり方」と新しく獲得した「在り方」と「やり方」を混然一体化させる段階が第3段階である。この段階で彼等は自分自身が納得し、腑に落ちた「実戦行動」をしている事に彼等自身が気付くのである。この瞬間、彼等は実践理論と実戦行動を一体として、全体観を持って「心得」する。この段階で、余程の外的激変要因が加わらない限り、その「何か(夢)」は「成功」するのである。

出典:実践行動の戦闘
出典:実践行動の戦闘youtube.com/watch?v=1r1GPF8Zs5s

 筆者は以上の事を自身が支援指導する立場から解説した。しからば支援指導を受ける立場からは、その内容はどの様に変わるのであろうか?

 コインの表と裏は異なるが、コイン自体は何も変わらない様に、この両者の立場は反転・逆転しても、その内容は全く変わらず、同じである。筆者が指導する場合の被支援指導者は、最初の第1段階としては、自分なり又は自社なりの実戦行動方式で課題や問題の解決に挑戦する。次の第2段階で新しい理論を学び、「実戦行動」に変えて体得する。最後の第3段階で「心得」し、「何か(夢)」を成功させる。

●「理論先行・行動後行」の教育
 さて多くの日本人は、「理論先行&行動後行」を好み、理解し、納得しないと行動しない様である。その原因は何か? 日本の学校教育で原理、定理などを先に教え、それを応用する教育方法を長年行われた為なのか? 問いと答えの記憶競争の受験戦争に長い間、晒された為なのか? 大学で理論中心の講義を数多く受けた為なのか?
 
 日本の小・中・高校では物理の法則、数学の定理などを、大学では高度な理論を「先」に教える。最近、盛んに教育改革が叫ばれている。しかし理論先行・行動後行などの実態は何処まで変わるか? 不透明である。

出典:小・中・高校
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出典:大学
大学
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 ならば、その前に次の事を教える事を提案したい。それは、①先駆者達が法則、定理、高度理論などを生み出す源になった「直観」や「発見」は何であったのか? ②その発見を基にどの様な事が「ヒント」になり、最初の理論を構築したのか? ③如何なる「工夫」をして当該理論を確立させる事に成功させたのか? ④そもそも先駆者達は何故、その様な事に人生を賭ける「実戦行動」をしたのか? などである。

 以上の様な実戦行動等を具体的に教える事で理論と行動を共に身に付け、共に実行する様になる。しかし多くの学者、教授、教師などは、何故か? この様な事に時間を掛けて教えない。一方多くの日本人は、何故か? この様な事に時間を掛けて学ぼうとしないのか?

●禅の行入と理入の修行を極めた末の「悟り」
 「何か」を最初に「理解」し、思考と行動の苦悩と苦闘の末に、「或る瞬間」、「何か」を「体得(体への浸透=無意識行動化)」する。その体得を基に、更なる苦悩と苦闘の実戦行動を続けた末に、「或る瞬間」、「何か」を「心得(3脳への浸透=意識&無意識の納得感、腑に落ちる感など)」する。心得した人物こそ、ビジネスでも、音楽でも「何か(夢など)」を成し遂げる様である。

 ちなみに夢工学は、「或る直観」から「夢の発見」がなされ、それが契機となり、「夢」をヒントに「工夫」した結果、誕生した「総合プロジェクト・エンジニアリング」である。夢工学は説く。「夢」を実現させ、成功させるためには、「理論先行・行動後行」の人物にも、「行動先行・理論後行」の人物にも、そして如何なるタイプの人物にも、誕生以来、「理解~体得~心得」を求めてきた。其の後、筆者は、「或る日」、「或る時」、「或る事」に気付いた。

 それは筆者が約30年前、「夢工学」を構築した時、無意識に「禅の教え」をヒントにしていたと云う事であった。

出典:座禅
出典:座禅
shinshoji.com/
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 禅には、理入(理論を理解して禅を学ぶ)と行入(行動を実行して禅を学ぶ)の修行がある。しかし禅には理入と行入の「2種類」があると考える人がいる。これは間違い。何故なら禅が持つ二面性を表したに過ぎない。理によって禅の道に入り、行によって禅の道に入ると云う2つの入口を禅の開祖:達磨大師が便宜的に区別して表現したと言われているからだ。更に禅ではどちらかを「選ぶ必要」があると思い込む人もいる。これも間違い。更に「片方のみを禅の修行」と考える人もいる。これも間違い。

 禅では、「理」の修行を極め且つ「行」の修行も極めて、理入と行入の二面を合わせて、禅の全体を把握し、初めて禅の「悟り」に至る。筆者が「夢工学」で主張した「理解」は、禅の「理入」に、「体得」は、禅の「行入」に、「心得」は、禅の「悟り」に付合する様である。

 しかし筆者は「禅」を悟った人間でない。けれども「私事で恐縮」であるが、筆者は禅との個人的な関わりを持っている。筆者の今は亡き姉の嫁ぎ先は、仏教学者で禅の世界的普及に尽くした禅の大家でもある「鈴木大拙(1870~1966)」の直系一家であった。

 その影響で筆者は子供の頃から両親や姉から「禅」を教えられた。成人してからは「座禅」までさせられ、少々閉口した。その為か? 禅の教えの一部が体の中に残り、上記の「付合」を引き起こした。それが夢工学を構築する時に無意識に作用したのかもしれない。

 なお本章の最初の部分で、筆者は、経営現場で、理論指導からでなく、実戦行動を重視した「行動先行・理論後行」の支援指導をしていると解説した。だからと云って筆者を「行動先行・理論後行論者」であると誤解しないで欲しい。筆者は「理論なき実践は暴挙」、「実践なき理論は空虚」と確信する「理論・行動両立論者」である。そして被経営指導者が「理論偏重タイプ」ならば「実戦行動」を叩き込み、「行動偏重タイプ」なら「実戦理論」を叩き込んでいる。

●社長教育や社員教育の教育指導者の実態
 さて「禅の教え」は別として、日本の多くの教育研修会社や経営コンサル会社等は、多くの大企業や中小企業から要請され、「社長教育」や「社員教育」に関する座学研修(セミナー)、実践研修(セミナー)等を日々実施している。特に今流行りの「DX」に関わる教育研修は民間企業だけでなく、官庁でも盛んに実施されている。更に今流行りの「学び直し」、「リカレント教育」も盛んである事は周知の事実である。

出典:研修
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 しかしこれ等の社長教育、社員教育、リカレント教育などは、主催者が期待した成果や受講者が期待した効果を教育研修会社や経営コンサル会社等から本当に獲得しているか? 筆者は極めて大きい疑問を抱いている。労力と時間と金などの無駄使いにならない事を期待している。しからば何故、筆者がその様な疑問を抱いているのか? 次号で解説したい。
つづく

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