言葉の本質 ことばはどう生れ、進化したか
(今井むつみ、秋田喜美著、中央公論新社、2023年6月10日発行、再販、277ページ、960円+税)
デニマルさん : 9月号
今回紹介する本は、今年5月末に発売され6月に10万部超えの大ヒットとなった。現時点でも東販(トーハン)や大型出版店の売れ筋ランキング(新書部門)で上位に位置している。どうして本書がこんなに人気を博しているのか。業界筋の方に色々聞いてみた。人気の背景にチャットGPTとかAI(人工知能)の話題が大きく影響していると言う。本書の「言葉の本質」とチャットGPTやAIとは何の関連性もなく、筆者の認識ではチョット理解出来なかった。しかし、本書を読んでみると何となく問題の本質が分かった様に思えた。大まかな概要では、我々が理解している「言葉の本質」と将来我々の生活を変えるかも知れない可能性のある「チャットGPTとAIの本質」の類似性と不安感がある。それは著者が本書で指摘するキーワード「オノマトペ」と「記号接地問題」と「アブダクション推論」に関係があると筆者は強く感じた。少し論理の飛躍があるので順を追って説明する必要がある。それが本書の人気を解明するポイントと思って、著者が指摘する三つのキーワードを紐解いてみたい。
オノマトペとは?
オノマトペとは、言葉の擬音語や擬態語のことである。擬音語は、物体や生き物が発する音や声を、文字にした言葉で、本書では「感覚イメージを表す言葉」とも書いている。擬音語では、生き物の鳴き声を「ニャー」「ワンワン」「モー」などを上げ、擬態語では「ザラ」「ヌルッ」「チクリ」など感覚情報を上げている。それとオノマトペには、繰り返し語形の特徴があり「ザラザラ」「ヌルヌル」「モーモー」等々がある。このオノマトペは、人が幼児から子供への成長過程で言語を習得する重要な役割を果している。人間の言語の歴史的進化で、文字より先に言葉を発して、相手(幼児の場合は母親)に意思を伝える手段としてオノマトペがあったと言う。その幼児が、話し言葉を身に付ける過程を追うと、人間の脳の視聴覚的知能と物体なり言葉なりの関連性(意味の結合)が一体化されて成り立っている。著者は、それを『身体的な経験』と纏めている。だからオノマトペには、身体的経験が前提となって会話が成立している。故に、身体的経験を伴わないオノマトペは単なる記号なのである。
言語の異なる外国人との意思伝達は?
言語は、相手に自分の意志を伝える重要な手段である。先に幼児の言語取得の過程でオノマトペを紹介した。そのオノマトペは、具体的な物体や生き物等を連想する想像的な言語の役割を果たしている。それと同じ様に多くの人が言葉の通じない外国に行った場合、身振り・手振りを交えたゼスチャー(動きの形を見せる)を使う。この方式は、物を簡単な図案化した携帯メール等で使われているアイコンに似ている。本書では「表すもの(音形)と図表化された(感覚イメージ)に類似性がある」ので、物事を聴覚的に写し取るのが「オノマトペ」で、視覚的に写し取る絵文字などを「アイコン」と称している。それは脳がオノマトペを言語記号として認識すると同時に、ジェスチャーをアイコン的要素としても認識している。この二重処理等を通じ、身体的経験から言語と記号類の意味を一対化して理解を深めている。
言語の「記号接地問題」とは?
本書の副題が「ことばはどう生れ、進化したか」とある。著者は、認知科学での未解決問題の「記号接地問題」と「ことばの関係」を解明する研究から本書を纏めたと、冒頭の「はじめに」で述べている。然らば、「記号接地問題」とは何か。言葉の意味(内容)が理解されていれば、その言葉を知った人との会話は成立する。しかし、言葉の意味が全く理解されていなければ、その言葉は単なる「記号」に過ぎない。言葉の意味を本当に理解するには、視聴覚機能だけなく味覚や嗅覚等々を含めた『身体的経験』が必要である。一般的に人は身体に根差した(「接地」した)経験から、言葉の意味を体得していると認識されている。だから言語が、相互に共通する「理解された言葉」と成るには、『接地』(身体的経験)が不可欠なのである。そこでポイントは、チャットGPTやAIの「記号」が、我々の理解している「言葉」なのであろうか。本書では、言葉は人間が成長する過程で『身体的経験』を経て身に付けた貴重な叡智である。AIの膨大なデータベースやディープラーニングは「記号」を超えているのか。本書は、この本質的な問題の解決を含めて「記号接地」の問題を提起している。
言語の「アブダクション推論」とは?
本書には、人類の言語の歴史的進化についても書かれてある。その中に「オノマトペ」や「記号接地問題」に加えて「アブダクション推論」もあると言う。アブダクション推論とは、論理学での演繹法や帰納法と並ぶ「推論」の一種で、日本語では「仮説形成推論」と言う。本書では「観測できる事実や普遍的な事象から、観測不可能な原因を推論する方法」と書いてある。専門的な言語の進化を探る過程での理論的な検証手段を述べている。素人には仮設の設定等々と少し難しいので説明を省略させて貰う。しかし、本書の「ヘレン・ケラーとアブダクション推論」では、分かり易く書かれてある。目も見えず、音も聞こえず、言葉も知らないヘレン・ケラーがサリバン先生と出会って言語を習得し、カレッジでの学位習得まで果たしている。その言語理解の過程で、手に書いた文字と身体的事象で徐々に文字を言葉と理解している。歴史的に人類が言葉から言語を習得する進化の過程は、人間自身の進化等の永い時間を必要としていた。本書でも、一朝一夕に音や言葉が言語として成立した訳でない事を丁寧に述べている。現在、チャットGPTやAIの急速な進歩で、一部では人間の仕事を奪ってしまう不安も色々と心配されている。確かに、それらは人間の色々な質問には即座に回答を出して呉れる。そのAIは記号接地を全くしていないが、ビックデータの記号から「学習」している様にみえる。これを確認する方法として「仮説形成推論」が適用可能なのかと研究されていると言う。人間しか持ちえない「言語」は、現在のAI同様に解明途上にある。
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