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思い込みに気づく力

井上 多恵子 [プロフィール] :7月号

 「昇進おめでとうございます!」と言う言葉をこれまで、どれだけ多くの人に投げかけてきたことだろう。日本人に対しても投げかけてきたし、外国人に対しても、同様な意味を持つ”Congratulations on your promotion!”と言う言葉を投げかけてきた。それが、相手の昇進をお祝いするのにふさわしい表現だと信じて疑ってこなかった。ところが、だ。この表現は、必ずしも適切ではない場合があるという話を先日キャリアコンサルティングの勉強をしていた時に聞いた。なぜ適切ではない時があるのか。「昇進がすべての人にとって歓迎すべきものだ」という考えに基づいたものだから、ということらしい。
 「え?昇進っておめでたいことじゃないの?」と驚いたが、それは、一般的な社会の価値観らしい。昇進することで責任が増えたり、現場の仕事から離れたりすることを好ましく思わない人もいる。そういうことに思いを寄せることができるか、がキャリアコンサルタントとしては問われているとのこと。確かに、管理職になり部下との人間関係に悩み元気がなくなったり、仕事が忙しくなり家族との時間が取れなくなり悩んだりする人に会ったことはある。だからこそ、一般的な価値観に基づいた発言をする前に、昇進についての相手の想いを聞くといいらしい。例えば、「昇進されることになったのですね。そのことについてどう感じられていますか。」と聞いてみる。相手が「嬉しかったです。」と答えれば、「それは良かったですね。昇進おめでとうございます!」と返せばいいし、「嫌だ、と思ったんです。」と答えれば、嫌だと言う思いを丁寧に聞いていくことが大事とのこと。
 価値観を押し付けたり、思い込みで発言したりする人を普段からよく見聞きする。その中でも私が気になる表現は、「やはり」や「やっぱり」だ。言葉に対する感性を磨いているニュースのアナウンサーの中にも、これらの表現をしばしば口にする人がいる。「やっぱり、若いっていいですね。」と言う表現も然りだ。若い=いい と誰が決めたのだろう?年を重ねてもいいこともあるはず、と年を重ねてきた私は反発したくなる。何かの事実に基づいて、「だから~ですね。」と言われれば納得できるが、突然「やはり」と言われると、「それって、あなたの思い込みに基づいた意見ですよね。」と言いたくなる。キャリアコンサルティングのロールプレイの中でも、コンサルタントとして繰り返しこの表現を使う人がいる。そう言われてしまうと、「なぜ、そんな先走った言い方をするの?私の想いをちゃんと受け止めてくれていない。」と思ってしまう相談者もいるかもしれない。また、部下に対して、「やっぱりあいつはできない奴だ。」という上司がいたら、問題だ。ある特定の部下を「できない奴」とラベルをつけて見てしまうことにより、仮にその部下が何かいい仕事をしたとしても、見逃してしまったり、成果を軽んじたりしてしまうリスクがある。
 6月9日付け日本経済新聞夕刊の文化欄に、映画「怪物」について是枝裕和監督が語った言葉が掲載されている記事があった。「誰もが怪物のように見える世界。それは自分の視野だけで物事を判断し、他者への想像力を欠く不寛容な世界だ。そんな世界が「コロナ禍を挟んだこの5年でますます広がった。」「不寛容な世界」にしないためにも、我々は、自分の視野だけで物事を判断せず、他者への想像力を持つ必要があるのだろう。
 そのためのヒントを日本経済新聞の広告欄に掲載されていた本が教えてくれるかもしれない。「待望の文庫化 逆ソクラテス 井坂幸太郎」という見出しで、書名は、「敵は、先入観。世界をひっくり返せ!」。出版社は、集英社文庫。書かれている宣伝文がいい。「何気ない『思い込み』や『決めつけ』を、鮮やかに翻していく小学生たち。」大人になるに従い、我々は、「社会通念」を学び、経験を通じて自分なりの信念を得ていく。それが「思い込み」や「決めつけ」に繋がるのだろう。子供の頃の純粋な気持ちや素直な考え方を我々は思い出すことができるのだろうか。
 もう一つのやり方は、自分に問いかけてみることだ。「今私が思っていること、結論づけたこと、言おうとしていることは、どんな事実に基づいているのだろうか。私はどんな事実をもとに解釈しているのだろうか。」と。そうすることで、客観的な事実ではなく、「皆がそう言っているから。」や「これまでそうだったから。」などの主観的なことをベースに話をしていることに気づくことができるかもしれない。
 多様な人と接し仕事をするダイバーシティな時代に生きる人間として、この思い込みは特に注意したい点だ。ステレオタイプという言葉が示すように、異質なものに対してラベルをつける傾向を持ちやすいことを認識し、特定の人種や性的指向の人達に対する自分の思い込みがないか、振り返ることを徹底したい。

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