PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(183)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :6月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

7 本質
●筆者の作曲の「在り方(基本的考え方)」 その4 歌の場合は「歌詞」を基に、器楽曲(歌詞が無い)の場合は「イメージ(画像&心像)」を基に作曲する事を好み、作曲動機とすること。

■その4の① 自称「ソングライター」

 筆者は、以前、自ら作詞・作曲していた。或る日の夜、筆者の某友人の作詞家と一杯飲んだ。彼に筆者の作詞・作曲した「楽譜と歌詞」を見せた。

 彼は筆者が書いた歌詞を読み、暫くの間、ブツブツ言いながら手直し始めた。書き終えた歌詞を筆者は読んだ。筆者のお粗末な歌詞は、作詞の基本コンセプトを変える事なく、簡潔に要を得て全面的に書き直され、見事な歌詞に変身。その内容に圧倒され、驚きを越えて感動した。

 この事があって以来、自ら作詞をする事を止めた。現在は、プロやセミプロの作詞家が作詞した歌詞を基に作曲している。アマチャー作詞家から依頼され、作曲する事もある。「器楽曲」を作曲する場合、絵、写真、小説などから浮かんだイメージ(画像&心像)を基に作曲している。

出典:作詞家と作曲家
出典:作詞家と作曲家
出典:イメージ想像
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 何かの機会で、筆者が作曲した「器楽曲」を聴いて、気に入った作詞家は、不思議な事に、筆者が何も頼まないのに、自発的、自主的に作詞する。その結果、その器楽曲は「新たな命」を吹き込まれ、生き生きとした「歌」に変身する。その度に、歌詞が持つ「魅力と威力」をまざまざと感じさせられ、得心させられる。

 この様に歌詞に感銘を受けた時は、作詞したくなり、「よせばよい」のに作詞する。めったに起こらないが、自分でも「満足できる作詞」に仕上がる時がある。その時は「決まって」作曲したくなる。この様な時に作曲した曲は、ほぼ確実に「満足」できるレベルに仕上がる。ややインチキであるが、バカな年寄りの見栄であるが、自分を「ソングライター」と自称し、その事を名刺に書いている。

■その4の② 筆者は「歌詞先行型」、「イメージ先行型」の作曲家
 上記の事から分かる通り、筆者は「歌詞先行型」&「イメージ先行型」の作曲家である。
  1. 1 筆者は歌詞を読んで「感じた事(右脳的感性)」と「理解した事(左脳的理性)」と「納得した事(前頭葉的認識)」を紙に書き留める。この作曲の「在り方」と次号以降で解説する「やり方」で纏められたものが「夢工学式作曲論」である。余談であるが、筆者が経営・業務の仕事をする時の「在り方」と作曲する時の「在り方」は、その本質的部分で酷似している様だ。心の中の動きは経営の仕事でも、作曲でも一体融合するからだろう。
  2. 2 筆者が作詞を読んで感じ、理解し、納得して書き留めた内容が正しいか否か?を作詞した人物に質問し、正しい場合、作曲を開始する。
  3. 3 筆者の書き留めた事が間違っている場合、訂正して貰い、作曲を開始する。作詞した人物が筆者の質問で作詞を変更する場合もある。変更された上で作曲を開始する。

 筆者は、子供頃から今も、旋律が歌詞やイメージで自然に湧いてくる不思議な習性を持っている。その為、作曲する事が楽しく、全く苦にならない。ジャズ演奏家は誰でも「即興演奏」をする。筆者は以前、サキソフォン(アルトとテナー)とフルートを、今はピアノを弾いてお店で出演している。この即興演奏は「リアルタイム」の「待った無し」の作曲である。「ノン・リアルタイム」の「バッチ式」が世に云う「作曲」である。即興演奏によって筆者の作曲に磨きが掛ったと思う。ちなみにクラシック音楽も昔は「即興演奏」が行われたのは周知の事実である。

 さてプロの作曲家、誰しも作詞家が「歌詞」で主張したい基本コンセプト、訴えたい事、歌詞の裏にある感情の流れなどを正しく把握する様に努める。筆者の場合、其れ等を紙に書き留め、要点を纏め、作詞家に報告して確認する結構シンドイ作業まで行う。この作業が「歌」の作曲作業の大半を占める。また器楽曲を作曲する場合も、絵、写真、物語などから筆者自身が描いた画像イメージや心像イメージを書き留め、要点を纏める。シンドイ作業である。この作業が「器楽曲」の作曲作業の大半を占める。

出典:シンドイ作業
出典:シンドイ作業
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 更にシンドイ作業は、企業から要請されて、「企業イメージ・ソング」や「CMソング」を作曲する場合である。当該企業の経営理念、経営目的などを適切に認識せねばならない。CM対象の商品やサービスの目的や機能なども良く理解せねばならない。これ等のシンドイ作業をキチンと事前にやっておけば、誤認、誤解、曲解を防ぎ、「やり直しの作曲」が無くなる。こうした準備の上で、筆者の得意分野である作曲を伸び伸びと楽しく、進め、完成させる。兎に角、作曲でも、経営・業務の仕事でも、シンドイ事前準備作業は重要且つ不可欠である。

 なお筆者の場合、ピアノを弾きながら旋律を編み出す時、浮かんだ「数小節の断片的な旋律」や「より長い小節の旋律」などを片っ端から楽譜に書き込む。また歩いている時や電車に乗っている時、急に旋律が浮ぶ事もある。その時は、いつも携帯している「小さなメモ帖(ポストイットの束)」に五線紙を書き、旋律を書き留める。最近はスマフォの録音機能を使って小声で唄って記録し、後で再生して五線紙に書き留める。

出典:メモとスマフォ
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 これ等の「旋律メモ」を大型ファイルに数多く、大事に保存している。何故か? 作曲のイメージが在っても旋律が湧かない時、作曲の途中で作曲発想が行き詰まった時、「旋律メモ・ファイル」から無作為にメモを取り出し、ピアノで弾く。

 次の瞬間、下水管の詰まりが除去され、一挙に水が流れ出す様に、期待する旋律が流れ出て来るのである。デック思考が「発想促進法」の1つとして説く「即時、即場でメモせよ」、「メモを読み、活用せよ」は、作曲に於いても「大いなる効果」を発揮している。

 さて筆者の作曲は、歌詞の頭から作曲したり、歌詞の展開部(サビ)から作曲したり、歌詞の最後のエンディング(終結)から作曲したりする。側から見ると「いい加減な作曲姿勢」と見えるだろう。しかし何故そうするか? それは歌詞の中で最も強く感じた箇所を最も重視して、その感覚が失われない内に真っ先に自由に作曲したい為である。そして完全自由発想の「デック思考」やその基盤にある「夢工学」に準拠した作曲をしたい為でもある。

 なお筆者は、ピアノを弾きながら作曲した旋律音を録音する事をしない。録音すると再生して聴き直す必要がある。更に聞いた旋律を五線紙に採譜せねばならない。二度手間になるからだ。

 また作曲した旋律が「ベストだ!」と感じても、必ず「冷却期間」を設定し、後日、作曲した旋律をピアノで弾き直して精査する。この事を前号で解説した。冷静に曲を聴き直すと「それほどでもない」と思う事の頻度は低いが、やはり起る。興奮して作曲した為か? 自惚れていたからか? この様な事が起った度に、筆者はいつも自分と自作内容を見つめ直す重要性と必要性を痛感する。

●筆者の作曲の「在り方(基本的考え方)」 その5 夢工学が説く「パトス論(理念論)」と「ロゴス論(技術論)」に従った所謂「夢工学式作曲論」で作曲すること。

■その5の① イデア(理念)とメチエ(技法)

 作曲家「池辺晋一郎」は、現在、日本経済新聞の「私の履歴書」を執筆中である。2023年5月14日・第14号で彼が書いた内容は、筆者にとって大変興味深く、示唆に富んだものである。

 彼は「東京芸術大学の学生時代、私の恩師:三善 晃教授から“イデア(理念)”と“メチエ(技法)”を高い次元で合体させるのが作曲であると抽象的だが根源的な事を学んだ」と書いた。

 筆者はこの様な「高次元の作曲」はしてこなかったし、そもそも出来ない。その代わり、昔から、心から楽しんで、時には「遣り甲斐」と「生き甲斐」まで感じながら作曲を続けてきた。そして1985年頃に構築された夢工学が説く「パトス論(理念論=イデア)」が筆者のそれ迄の作曲の「在り方」と多くのの点で合致していた事、其れが説く「ロゴス論(技術論=メチエ)」が筆者の作曲の「やり方」と多くの点で合致していた事に気付いた。今後も「夢工学式作曲論」で作曲していく所存である。

出典:パトスとロゴス
出典 パトスとロゴス
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 筆者は、以前、電通、博報堂など下請け会社又はその孫請け会社の「映像、音楽会社」から作曲の要請を受け、本職の合間で作曲していた。音楽業界には筆者の様に音楽以外の分野で「本職」を持ちつつ作曲活動をする「兼業プロ作曲家」と作曲活動を含めた音楽分野だけの「本職」を持ちつつ作曲活動をする「専業プロ作曲家」がいる。

 池辺晋一郎の様な有名作曲家でない限り。専業プロ作曲家は日々の収入が少なく、生活は極めて苦しく、厳しい。彼らは電通、博報堂、その下請け音楽会社などから作曲の要請を受け、安値で受諾している。勿論、筆者も同様であった。

 またジャズ演奏家では、筆者の様に非音楽事業分野での本職を持つ「兼業プロ・ジャズ演奏家」とジャズ演奏を含む音楽事業分野だけの本職を持つ「専業プロ・ジャズ演奏家」がいる。専業プロ・ジャズ演奏家は、専業プロ作曲家より更に収入が少なく、更に生活は厳しい。ちなみに「専業プロ」「兼業プロ」の用語は、筆者が昔、便宜的に造語して使っていた。其の後、巷で使われる様になった様である。

出典:専業と兼業
出典:専業と兼業
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 筆者は、上記の通り、電通の下請け会社等からの作曲の要請を受け、作曲していた。しかし其の後、全て断る様になった。本職が多忙になった事も理由の1つであったが、それ以上に、超短期間の作曲要請(酷い時は3日以内)、作曲料の値引き強要、超安価の作曲料、予想外の作曲追加変更要請など「弱い者虐め」に頭に来た事が最大の理由であった。しかし電通や電通の下請け会社などを通さない直接の作曲要請を受けた時は、本職の仕事をやりくりして作曲している。
つづく

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