図書紹介
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地図と拳
(小川 哲著、(株)集英社、2022年12月30日発行、第6刷、633ページ、2,200円+税)

デニマルさん : 6月号

今回紹介の本は、第168回の直木賞(2023年1月発表)を受賞した作品である。筆者は、この直木賞が発表される以前に書店で購入し、完読し終わっていた。読書中に感じたことは、この600ページを超える分厚い大作は直木賞を受賞するかもしれない予感と、これをこの話題の本にどう纏めて紹介出来るのかと不安を感じていた。しかし、テンポ良く書かれた本書は時間を忘れさせ、史実とフィクションが入り混じり、国家の変貌が地図上から現れて消え去った印象が強く残った。この点に関して直木賞選考委員の伊集院静氏は「タイトルが語っているように、氏の小説に対する実直さを感じた。」「作品の中心になっている満洲国については、今も日本人の幻想の国家として息づいていることへの配慮がこれでいいのかと思った。」「『燃える土』『燃えない土』という表現は大変に興味深かった。選考委員からこれほど多くの支持を得たのだから、何かがあるのだろう。」と指摘する。また角田光代氏は「圧倒された。」「小説が描き出すのは戦争の正体ではなく、そこに向かわざるを得ない時代と、その時代に生きる人々である。」「緻密なエピソードの集積を読むことは、見たことのない建築物ができあがるのを見守るような興奮があった。人の作り出すもっとも美しきものともっとも醜いものを、非常に新しい手法で描き出した小説だと思う。」と選考結果を語っている。本書は、1899年(明治32年)から戦後の1955年(昭和30年)までの56年間、旧満州の架空の町を舞台に史実に沿いながら、この町で生きる道を全うしようとする架空の人物たちが描かれている。この期間に日本では、三つもの歴史上の戦争を戦って勝利したり、厳しい敗戦を経験してきた。この歴史の流れを背景に物語は展開される。本書は序章「一八九九年、夏」、第一章「一九〇一年、冬」と言う様に数年毎に章立てされて、第十七章と終章まで年表形式で綴られている。その期間には、先に書いた日露戦争(1904年~1905年)の勝利で、朝鮮と中国東北部での日本の安全を確保し、南満州鉄道を設立(1906年)。その後、韓国併合条約を結んで植民地化した(1910年)。満州開拓から満州事変(1931年)を経て、満州国建国(1932年)となる。1937年の盧溝橋事件が引き金となって日中戦争(日華事変とも称され、1941年12月太平洋戦争の第二次世界大戦となった。)に発展して、1945年8月の日本敗戦へと繋がる。一方で1949年に中華人民共和国が成立し、1956年に日ソ共同宣言を交わし、国交回復する。本書の最終章(一九五五年、春)で物語は終結するが、この章で小説の纏めとなるのだが、本書をお読み頂き著者が意図する「地図と拳」をご確認頂きたい。ここで著者を紹介したい。1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。『ゲームの王国』(2017年)が第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞。『嘘と正典』(2019年)で第162回直木三十五賞候補となる。収録短編の「魔術師」が中国で銀河賞の銀賞受賞。2022年、『地図と拳』で第13回山田風太郎賞を受賞、第43回日本SF大賞の最終候補、2023年1月には第168回直木三十五賞を受賞している。

地図上の地点(満州)         ――地図から消えた国家――
本書の主たる舞台は満州である。満州を資料で確認すると「中国の東北一帯の俗称」とある。
先にも書いた通り1932年に満州国(執政は清国最後の皇帝である愛新覚羅溥儀)が誕生したが、当時の大日本帝国の傀儡国家である。この満州は、世界地図上で一時存在したが、1945年の日本の敗戦で消滅し、現在は存在しない幻の国家であった。然しながら、満州には、石炭や鉄鉱石などの豊富な資源が取れる地域で、資源の乏しい日本にとっては欠く事の出来ない要所で生命線的な存在であった。その関係で満州国には、日本の関東軍が政治的支配をし、その背後に南満州鉄道株式会社(俗称、満鉄)が鉄道網だけでなく、経済・産業的な支配をしていた。そうした背景から、当時の満州国は、新たに作られた日本の期待と希望を実現するための理想郷的な存在でもあった。本書は、満州という白地図に「李家鎮(リージャジエン)という理想郷を建設すべく企画・設計する段階からのストーリィである。その当時存在していた満州国は歴史的に知られざる部分が多いが、地理的には隣接するソビエット連邦(現在のロシア)と朝鮮(当時は、日本領で関東州を含む)とモンゴル人民共和国と中華人民共和国の東北部(黒龍江省、吉林省他)には地図上に現存する国家として残っていた。

地図上の登場人物           ――暗躍する五族協和の人々――
満州国のスローガンは五族協和、王道楽土である。五族(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)は、王道によって治められる安楽な土地を目指すのが満州であるとした。その意味で、本書には多くの異国人が登場する。先ず“細川”だが、オビ文にも「日本からの密偵に帯同し、通訳として満州に渡った」と紹介されている。次に“須野“は、細川のスカウトで満鉄に入社した気象学者。ロシアが作った地図に存在しない島が載っており、その秘密を解き明かすことに専念する。それと“須野明男”は、須野の息子で温度や湿度、風力を体感から言い当てる特殊能力を持ち、李家鎮の建設に尽力する。彼の名前を逆から読むと、ギリシャ神話の水の神「オケアノス」となり、準主役的な存在である。他に“クラスニコフ神父”(ロシアから鉄道拡大のために派遣された神父)や“孫悟空”(中国の馬賊で李家鎮の王となる)や“孫丞琳”(ソンチョンリン、抗日ゲリラの女戦士)等が自国を背負って暗躍する。

「地図と拳」が意味するもの       ――満州国に群がる人と思惑――
本書は、先に述べた通り実在した満州国を舞台にしている。その歴史の中に日本や他国の思惑が絡み合って、勢力争いが戦争とへ発展して十数年で消滅してしまった。著者は、そこに理想国家計画を盛り込み、国家の誕生から消滅を物語として構想した。史実上の国家と戦争をフィクションにした二重構造化した様に思われる。これは筆者の個人的な感想であるので、「地図と拳」の意味するものが何であるか、ジックリお読み頂きたい。著者はSF(空想科学)作家であるが、この作品から新しい空想歴史小説の作家としても活躍しそうである。

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