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伝わる力

井上 多恵子 [プロフィール] :5月号

 「相手に伝わったことが伝えたこと」という表現がある。最近そのことを実感することが何度かあったので、今回は、「伝わる力」について考えてみたい。
 4月23日付の日本経済新聞に、「マナーのツボ 相手が知っている前提で話さない」という題の記事が掲載されていた。NPO法人日本サービスマナー協会理事長 澤野弘氏が執筆者になっている。その中で澤野氏は、「プライオリティーの高い案件」と上司が言っても部下はわからないかもしれない、という例を紹介し、回避策として、「〇〇についてご存じでしょうか」という質問をしてから本題に入ることをあげている。私はこれまで、「伝わる力は、誤解を防き、求める結果を得るために大事」と考えており、マナーという側面から捉えたことがなかったので、澤野氏の視点は新鮮だった。
 先日参加したスポーツクラブでのシェイプパンプのレッスンでは、こんな「伝わらないこと」があった。熱心に話すインストラクターが、「骨盤を立てること」の重要性をレッスン中何回も繰り返した。だが残念ながら、彼が冒頭にした「骨盤を立てること」の説明が理解できなかった私には、それらの説明は、意味が無いものだった。それどころか、雑音にしか聞こえなかった。マイクの音量を大にしていたインストラクターの「骨盤を立てて」という声がけは、ガンガンと響いた。そのうち、「そう言っても、わかんないんだから。もう言わないでよ!」と叫びたくなる自分がいた。私より理解力が各段に良い夫も、冒頭の説明は上手く理解できなかったという話を後で聞いて、わからなかったのは自分だけじゃなかったと、ほっとした。
 道案内をしてくれる人の説明も、わからないことが多い。元はと言えば、紙の地図が読めなかった、そして今では、グーグルマップを読めない私がいけないことはわかっている。しかし、問題は、そんな私でも、待ち合わせ場所に一人で行かないといけない時があることだ。人々の道案内力は、グーグルマップの普及と共に、著しく低下したのだと思う。レストランに行こうとしてウエブサイトを見ると、ほとんどの場合、グーグルマップのみ表示される。グーグルマップに頼らない行き方の説明があるのは、横浜にあるアンパンマンミュージアムをはじめ、数少ない。アンパンマンミュージアムの近くにあるビルに行く必要があったので、写真入りでわかりやすかったアンパンマンミュージアムへの行き方を参考にさせてもらった。写真の撮り方も、訪問者目線で何が見えるか、という観点からなされており、普通の地図が読めない私でも、目的地に迷わずにたどり着くことができた。
 それと比較すると、先日行ったレストランへの行き方を知るのは、かなり苦労した。事前に電話で確認した時のやり取りを再現してみよう。
 私:「JRの〇〇駅から、お店への行き方を教えてください。」
 店員:「〇〇駅から△通りを通ってください。」
 私:「〇〇駅のどこの改札口を出ればいいのですか?」
 店員:「ちょっと待ってください。(しばらくたって)xx口です。」
 私:「xx口から△通りにはどうやって行けばいいのでしょうか?」
 店員:「目の前にありますから、それをまっすぐ行ってください。」
 私:「xx口を出て右ですか?左ですか?それともまっすぐですか?」
 店員:「右に行ってください。そのまままっすぐ行くと、〇〇が見えてくるので、
 そこで左折してください。」
 私:「〇〇は右側に見えるのですか?それとも左側でしょうか?」
 店員「右側です。」
 私:「左折するところまで何分ぐらいかかりますか?」
 こういった感じのやり取りが続く。やり取りをしながら、英語の教科書に載っていた道案内のフレーズを思い出していた。地図の絵があり、それを見ながら正しく英語で誘導するためのフレーズだ。覚えていらっしゃる方もいるかもしれない。“Please turn to your right and go straight for about 5 minutes.”(右折して、5分ほど、まっすぐ行ってください)と言ったような表現だ。あれは英語力に加えて、元々の説明力を磨く効果があったのだろう。
 スマホでなんでも気軽に調べることができるようになったこともあり、全体的な説明能力が低下する一方、ユーチューバーなどは伝える力を磨き続けるという二極化が進んでいる。説明能力の低下は、仕事面でもマイナスだ。例えば上司が部下に仕事をアサインする際、上司の説明が不十分で部下も確認しないと、部下が誤解したまま仕事を進め、後で上司の期待と違っていたことがわかり、やり直しになったりすることがある。在宅勤務だと、お互いに伝えないと様子は伝わらないので、職場でお互いの様子を見聞きしながら仕事をしているのと比較すると、認識のズレが大きくなるリスクが高い。
 コーチ、ファシリテーターとして生きていこうと決めた私は、この「伝える力」を心して磨き続けていこうと思う。

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