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【昭和・平成時代の政治活動の認識と其れと異なる令和に向けた豊かな課題への取り組み】

P2M研究会 芝 安曇 : 4月号

オンラインジャーナル4月号の新しい取り組み
Z. 今月号はアベノミクスの行方に関する日銀、財務省、アベノミクス責任者からの種々の発表がありますが、少し前に戻って昭和、平成、令和を眺めてみたい。
I. 昭和天皇の御活躍期間は1926年(昭和元年)から1989年(平成元年)までで、ご苦労は第2次世界大戦の幕開け(1941年)から降伏までの期間(1945年)。
日本人はまじめで騙されやすい性格がある。太平洋戦争が起こった経緯をまずお話しします。当時の米国は厳しいデフレに遭遇しており、時の米国大統領ルーズベルトは「デフレの解消は手っ取り早いが戦争である」と覚悟を決めていた。ところが米国はモンロウ宣言があり、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸・ヨーロッパ大陸間の相互不干渉条約を締結し、国民はヨーロッパでの戦争に反対だった。ところがこの時期にドイツのヒットラーに追い込まれた欧州(フランス、イギリス)は米国への緊急支援要請を大統領に届けていた。しかし米国民は欧州への参戦を望まなかった。時の大統領ルーズベルトは日本との戦争を考えて、日本に難題をぶつけてきた。その難題とは日本国に対する石油輸出禁止令を欧米諸国に通達し、日本の参戦を誘導した。このため日本海軍は戦争ができる状態がとざされ、仕方なく参戦を決断した。戦争への道はオランダ領インドシナの石油確保であり、そのための日本の戦略はハワイの米国海軍の連合艦隊の絶滅であった。切羽詰まった海軍の戦術は、ハワイ艦隊の絶滅でした。日本国は相生宣戦布告を決断し、急遽宣戦布告を行い真珠湾攻撃で見事な大成果をあげたが、宣戦布告所が届かなかった。そこで米国国民は真珠湾の敗戦に憤りを感じ、米国の参戦を認め、米軍は欧州の戦場へ駆けつけ、イギリス、フランス軍は米国の支援をうけ、勝利し、終戦となった。
私はいつも感じることがあります。問題は戦時の日本人の発想と欧米人の発想の相違です。「戦争では死ぬことが名誉と考えさせられています」。米国海兵隊の発想は「生き延びる」ことです。「捕虜でもいいから生き延びろと日本人はいいません」。「日本陸軍は戦争に負けたら玉砕させます」。「名誉の戦死」の通達があるだけです。「広島の原発1号」でこの戦争はやっても無駄よと、誰も言い出さないから、「2発目に見舞われて」慌ててポツダム宣言を受理する。トップの決断のなさが非難されない。庶民のみじめさがある。ところが米国人は戦局が如何に不利であっても、捕虜になっても生き返ってこいという軍の決まりがある。一方日本は米国に追われて軍隊が沖縄にまで追跡され勝ち目がないのに、辞める決断ができず、その間に日本は最初の原爆を広島に投下された。更に長崎も被害者になった。
芝. 私もアメリカの海兵隊の訓練記を読んで感激しました。海兵隊の訓練は「どんな状況でも生きて帰れが最高の訓練だ」と示してあったのに感激した。

Z. ここで平成天皇に話を変えるが、戦争のない国創りに貢献され、平成の名の通りに平和な国を造り上げ、世界中の各国に平和な日本国の姿を見て頂く仕事に専念し【クールジャパン戦略】を見事に成功させ、成田空港での来日外国人との面談にも成功し、更にクールジャパンは外人だけでなく、日本人にとってもクールな仕事となり、毎週月曜日19時からのテレビが人気番組になったことは大きな進歩であった。
芝. 私も同様にクールジャパンのファンです。
クールジャパンの発展は日本に大きな繁栄をもたらす力があります。日本では正月に「百人一首」のかるた取りが各地で模様されます。驚いたことに外国人だけの試合があり、各国からはせ参じてきましたが、なんと呼ばれたカードを目に見えぬ速さで弾き飛ばし、優勝までしていました。今やクールジャパンは日本の文化ではなく、グローバルの文化となってきました。
今グローバルを眺めますと、各国でグローバルクール子供遊び、グローバルクールスペシャルYYがでてきます。世界共通のクール生活方式が出てくると世界は憎み合うのではなく、困難が起きた時即座に困難が楽しみにする人々が増えるかもしれません。万葉時代から作り上げた日本の高度な文化の高級化への宣伝に使うことですが、欧米のように高級品に対する姿勢に欠けている気がします。
何故か、日本人は高級化に対して関心が薄いのです。出しゃばりが好きではないからと思います。高級化という概念は人類に高級な力量を提供することに誇りを感じうる観念に乏しいのではなく、すべての表現の高度化を図ることで生活レベルを上げるという方向に私たちは邁進する必要があります。
Z. テレビでクイズ番組を行っていますが、日本人高度化で難しい漢字を読ませるクイズが盛んです。答えが正しいと、難しい漢字の回答者は鼻高々になります。今の東大受験にそれも一つの方法ですが、彼らからは高度な生活環境をつくる面白さ、楽しさをつくる努力、新しい発想をつくる面白さがありません。高度化とは感覚の高度化、話のうまさ、場を明るくする能力のようなものだと考えています。未来環境をつくる努力が一番必要だと思います。

芝. 日本は二つの流れができました。歴史ある霞が関村族の日本経営とアベノミクスは成功していません。では霞が関村が繁栄しているかというと、最低賃金を大切にする日本国が幅を利かせています。そこには200兆円を支配する公共投資族、400兆円を支配する経団連族が優雅な生活を求めて活動しています。しかしこの集団から果敢なIT活用が得られていません。
芝. アベノミクスが成果を上げていないのは、日本には仕事をしない老人集団が増えていること、更に大切なことは1950年に、24歳以下の若者55%いました。2030年には24歳以下が18%になります。その実現は若手の人数が少なく、老人が多くなるとその集団を使って素晴らしい仕事ができるとは思いません。安倍総理は既にお金があれば十分な仕事で成果を上げられることを学んでいた。それが第一の矢の役割と考えていた。ところが現金は豊富になったが、働く若者がいない現実に気が付いていなかった。若手メンバーをだれが育成するのか。大きな問題が現実にネックとしてあっても補給できないという現実に遭遇します。この問題は別件として後で検討します。

Z. 次の問題は何でしょうか。
芝. 霞が関村の秀才エリート官僚集団の活動です。この軍団は昭和の成功者が大勢います。
日本の官僚機構は東大出の秀才が権力を持っております。秀才はいますが天才がいないところに「味噌」があります。官庁の素晴しいところは最高地位(事務次官)の任期は通常1年か2年です。ところてんになって下から出世し、短期でリタイアします。

経団連の企業のトップは最低4年ですが、権力者がでると長期に居座り経営がおろそかになり、経営が弱体化します。
ところが日本の官僚組織はトップ次官の任期は1年か2年です。そこで交代するので独裁者がでません。毎年昇格するので、官僚全員が昇格の楽しみを味わっています。
Z. それは結構なシステムですね。
芝. 結構なシステムですが、困ったこともあります。明治時代の以前の人間の寿命は50歳でした。定年退職が50歳です。今は100歳まで生きられます。秀才が50歳で退職して家に居るわけにもいきません。そこで官庁は定年後の軽い仕事を探してもらい70歳まで20年間仕事をしてもらいます。天下りという仕事は何をするのか、そこから成功する案件を創り出す仕事ができるか疑問です。
ところが現職の位が高い人は納得しません。そこで大物天下り人物には勲一等XX賞という貴族が使っていた名称が与えられます。私は新聞で見ているだけで、正確な位をどう決めるかは調べていません。
Z. なるほど、日本は天皇制でしたな。
ところが人間の寿命が長くなりましたので、これらは天下り事業ということになり、退職官僚の仕事は再就職探しで、収入が異なることがあります。
芝. 上記の問題は霞が関村のお金の勘定の問題です。アベノミクスには関係がありません。
仕事をするにはそれに見合った人材、職業、人数が必要です。国民が消費税を出しても目的は達成できません。新しい製品をつくり、それに人気が出て、商売が発展することでアベノミクスが成功するのです。そのためには購買者をうならせるアイデアがあり、継続できそうな案件が求められます。
Z. さて、本論文はここにきて素晴らしいお話を提供します。

芝. 今私はデービッド・アトキンソン著
大変革時代の生存戦略「日本人の勝算」

を読み始めています。ご紹介します。

はじめに「日本人の勝算」を読み始めています。
  日本には今大きなパラダイムシフトが訪れています。パラダイムとは、ある期間、ある集団の中で、常識として認知されている「思考の枠組み」を意味しています。一方、シフトという英語には、変える、移すなどの意味があります。パラダイムが変わる、つまり、それまで常識と認識されていたさまざまな事柄が大きく変わること、これがパラダイムシフトです。
  1. ◎ 日本で今まさに起こっているパラダイムシフトの原因は、人口減少と高齢化です。日本ではこれから、人類史上未だかつてない急激なスピードと規模で、人口減少と高齢化が進みます。人口が右肩上がりに増えるというパラダイムが、右肩下がりで減るというパラダイムにシフトしたのです。これまでの認識が、すべて当たり前でなくなり、日本は大きなターニングポイントに立たされた。

  1. ① このままでは日本に「勝算」はない
    この現象は冷静かつ客観的に分析すれば見えてくる確実な日本の未来です。
    今すぐ対応しないと、日本は3流先進国になり下る。
    消費税の引き上げは小手先での芸。

  2. ② 必要なのは「これまでの常識に囚われない」考え方。
    今求められているのは「これまでの常識」から距離を取り、前提条件に囚われず
    解決策を見出すことです。
    日本は既に少子化が始まり、子供の数が減っている。1950年に全人口の55%もいた24歳以下の人口は、2030年で18%まで低下する。人口の55%が24歳以下だった時代、大学教育の対象が若い人だったことは、大学の経営戦略としても国家の教育の在り方も理にかなっていた。しかしその数が18%まで減少すると、大学の在り方そのものを転換しなければならない。国民の55%を対象としていた延長線上で国民の18%の教育をどうするかではなく、国民の82%をどう教育するかが課題となってくる。
    「人生100年時代」と言われる中、刻一刻と変化するこれからの世の中で、何十年も前に学校で学んだ知識や一個人の経験から得られた知見だけで、物事に適切に対処していけるとは思えない。この観点からも、25歳以上の成人の再教育は間違いなく必要になる。その際には大学が大きな役割を担うべきである。
    しかし今、各大学は既に少なくなってしまった子供たちの奪い合いを、血まなこで繰り広げている。これこそ、今までの枠組みに囚われ、固定観念に染まっている証拠である。

日本人の勝算は「外の目」でこそ見いだせる。
  平時であれば、日本の状況に詳しい、日本人こそ、何をするべきかの答えを見出すことができる。その場合、何も国外の知見や力を借りる必要はありません。
しかし、日本は今、大変革の時代を迎えています。もはや平常時ではありません。
皮肉なことに。大変革が起こると、それまでの仕組みや、枠組みに詳しければ詳しい人ほど、固定概念に囚われてしまい、新たな発想を生み出すことができなくなります。これは何も日本に限った話ではなく、世界中の国々に共通して見られる傾向です。
だからこそ、大変な変革が訪れるときは、国外の知見や力を借りることの重要性が増すのです。

本書の執筆にあたり、日本経済を経済事情ごとのパーツに分けて、そのパーツを研究している海外のエコノミストの論文を探しました。最終的には118人の外国人エコノミストの論文やレポートに目を通しました。正に目から鱗が落ちる経験の連続で、読む前とは全く違う世界が見えてきました。
それらの分析結果を日本の事情に当てはめて、人口減少・高齢化の影響を検証しました。また、この歴史的なターニング・ポイントにある日本経済を維持・成長させるためにどうすればいいかについても、数々の分析結果を基に考察しました。
その結果、人口減少・高齢化がもたらすパラダイムシフトに打ち勝ち、日本が再び一流先進国の地位を確かなものにできる「日本人の勝算」が見えてきました。本書ではそれらを余すところなく、ご紹介していきたいと思います。
 
デービッド・アトキンソン

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