【平成時代の政治活動の認識と課題への取り組み(1990年~2011年)】
東京P2M研究会 芝 安曇 : 3月号
テーマ 11 : 軽部健介―アフター・アベノミクスー異形の経済政策はいかに変質したか
芝 安曇
私は、民主党の野田政権後に、安倍政権が誕生し、【アベノミクス】が登場したことに希望がもてた。それは小泉政権が2001年に総理となり、活気的な活動が出たことで、安心した。ところが小泉政権は米国との親密な関係的地位を結ぶための活動で得たものは、ブシュ大統領の政策で新自由主義(レイガノミクス)であった。ここでの活動は初めから理にかなっていなかったのではないか。アベノミクス以前の日本はバブル崩壊の後始末として、小渕内閣が1998年森内閣2000年第2次2001年、小泉内閣2001年から2005年、次に民主党関連の政府が続き、民主党のデフレ政策の対抗手段としてアベノミクスが出発した。
民主党は政策として最後の総理野田政権がデフレ政策を示したが、時すでに遅く、安倍政権のアベノミクスが動き出していた。ところが財務省は「デフレ宣言は辞職前に行ったので有効である」と宣言した。しかし、既に安倍政権は『緩やかなインフレ2%』を実施し気勢をあげた。ところが次の月に財務省は強引にも8%の消費税を宣言した。しかしアベノミクス派はこれを拒否しなかった。安倍政権は大蔵省の役人のミスで森友学園の土地買収問題でトラブルが発生していたこと、加計学園認可の問題、安倍総裁の花見の催しが問題になっていた。政治家が政権を取るということは、日本に活気をもたらすためである。ところが小泉時代に米国ブッシュ大統領から、新自由主義(レイガノミクス)を要求され、貧乏対策的政策を実施する羽目になっていた。
アベノミクスはここで復興を目指す発想が求められており、全体として上向きの政策を模索した。最初の攻勢は第一の矢である。戦後からこれまでの政策は都道府県で有望な場所の開発であったが、資金不足で県は貧乏政策を余儀なくされた。資金さえあれば日本は更に活性化できると考えた。私は地方自治の町でアベノミクスと遭遇した。しかし既に予算化されているものばかりであった。ここに第一の壁があった。
第二の壁は今まで使われていない資源の活用であった。有能な女性が集まれば可能性があったが、県、市、町、村のスタッフは余計なことを望んでいなかった。
第三の壁は安上がり予算の活用が求められていた。アベノミックス的幅広い発想が求められなかった。
第四の壁は予算を集めても、仕事をする人材(若者)が不足していた。
第五の壁は賢い有能な女性の存在である。
その意味で海外からの移民の導入は新しい発想である。
ではデフレになると、国民から税金を取ることは何を意味するのか、世間に金がなくなったから庶民から8%消費税をとると、景気が回復するのだろうか?不景気時に庶民から税金をとると、国民が潤うのか?ここが第1問である。江戸時代に頭の良い松平定信の政治はデフレ対策が困難だった。
財務省のデフレも江戸時代にもどっている。
アベノミクスに対する批判は変わって、官僚がデフレ政策をしているが、どんな権限をもって実行するのか。アベノミクスで金融政策として第一の矢を飛ばし、金融力で、2%インフレを試した。それに対する財務省の反応はデフレ政策(消費税5%→8%)をもって、インフレ率を帳消しにした。財務省の言い分は、消費税増税はアベノミクス以前に決まっていた増税を実行したに過ぎないと言っているが、今の時期にデフレ対策をどのように成功させるのかそのことは触れられていない。
ではこの問題改革には別件の対策が求められている。現在の手法は金融政策だった。第一の矢方式である。第一の矢のケースは第一の矢を無限につぎ込むことでインフレ率を高めることを試みた。第2の矢が活動することで景気回復を実行されることに目を向けられると容易に理解される。求められていたものが実行できれば解決が図れそうである。開発にはここでどのような措置がとれるかが問題である。
決定を無視したことを取り上げて、正当性を主張した。この言い分を何故安倍総理が飲んだか国民は理解できていない。内閣がかわったら、変わった内閣の言い分が正当化されるはずである。デフレ対策として緩やかなインフレ政策を実施したことは、理にかなっていたことであり、アベノミクスは財務省のデフレ政策を飲むことは国民に対して無責任な行動と言える。ではなぜ安倍総理は財務省の要求をのんだかというと、安倍総理の花見会が違憲であり、財務省は細かい財務違反を笠に脅しをかけたからだ。財務省の検査官は一度決めたら、とことん違反に対する案件を絞り出し、内閣崩壊を狙えるところまで脅しをかけたと思われる。これが「―異形の経済政策はいかに変質したのかー」検討する必要がある。
芝 安曇のコメント
日本の企業では部長、課長、係長がいます。ここではプロジェクトを組まないで仕事に入ります。日本の職場では、係長の下では、その上の課長のところに顔出ししません。ここでは課長の下の人間は課長に認められることが肝要です。日本の企業では上司に気に入られることが重要です。そこで日本では直属の長に気に入られないと出世に遅れます。日本で重要なことは、早く重要な肩書を持つことです。日本は人に合うとき必ず名刺を出します。そこで彼の役職が世間にもわかり、早く評価されます。しかし直属の長からにらまれたら、悲劇です。
欧米では名刺で評価はされません。実績で評価されます。プロジェクト制の良いところはそこにあります。
そこでアベノミクスに戻ります。アベノミクスでインフレ率2%を上げないと、成績があがりません。しかし財務省では妨害しても成績は下がらず、ご褒美をもらえます。
これではアベノミクスが勝てるわけがない。今回の勝負はアベノミクスが第一の矢を放ちました。成功しました。一時的にアベノミクスが勝ちました。ところがその後に財務省に邪魔され勝ち負けなしです。そこで起こったことがあります。財務省の戦略はアベノミクスに使う金として、10年間昇給なしの400兆円を霞が関村の大企業に支払いました。そこで財務省は、すべてが終わったところで、大企業の懐に預けた金400兆円を社員への昇給なしで処理しました。国民を馬鹿にした手法をとりました。
財務省の違反捜査官は、違反があれば徹底的に理屈をつけて個人を排斥できる権限を持っているそうである。ホリエモンの違反は通常なら2年間の独房入りはさせる範囲の犯罪でなかった。アベノミクスはお花見で潰され、最後に最悪の事態で幕をしめたといえる。そして財務省の国民にたいする最後のしっぺ返しは、400兆円の大企業に対する減税である。これは高級官僚の天下り資金になっているはずだ。日本人は武家政治のころから、庶民への倹約を奨励し、結果として節約分は金持ちの懐に入る仕組みができていた。当節で言えば小泉総理時代に最低賃金法を受入れ、日本国民の貧乏化政策に貢献してきた。国民もとろいと言える。
格式高き大蔵官僚だったら、もう少し違った方法が取られたとおもいますが、一ランク下の財務省のやり方は、永遠に卑劣だという実績が残ると思います。
更に私が考えるに、財務省の財務管理は国民には複式管理なのに、彼らは単式管理をしています。複式管理であれば、その金は最初に提案した物件にしか使えません。今の財務省では、別件に使っており、日本の財務を預かっている部署が、自在につかえることがわかったら、犯罪ということができます。
財務省の円節約は、国民を貧乏にするだけで、財務官僚への昇給は国民全体の昇給で、国民がさらに豊かになることを妨げています。
我々庶民は、人を活かすことに喜びを感じます。官僚は自分中心主義です。
◎日銀正副総裁 新候補 :
日銀総裁 植田 和男 氏(71)
マクロ経済学や金融論を専門とする経済学者
1998年~2005年に日銀の審議委員金融政策に実務者としても研究者としても精通する。市場関係者の間では金融政策のスタンスは過度な金融緩和論者でも引き締め論者では「バランス型」とみられている。報道陣に「当面は、緩和は続ける必要がある」と話した。 |
日銀副総裁 氷見野良三 氏(62)
前金融庁長官 : 金融庁長官時代は主要国の中央銀行や金融当局でつくる金融安定会(FSB)で要職を務め、同庁きっての国際派として知られた。豊富な国際経験と人脈があり、国内外の市場との密接な対話が求められる日銀の政策運営で、その手腕を期待する声がある。
東大法科部から83年に大蔵省に入省金融庁で国際的な金融規制の交渉に長くかかわり、次官級の金融国際ポストの金融国際審議官を4年勤めた。 |
日銀理事 内田真一 氏(60)
13年3月に就任した黒田東彦総裁の下で、金融政策の企画・立案をする企画局長や企画担当の理事として、大規模な金融緩和を政策面から支えてきた。16年に導入したマイナス金利政策や長期金利操作といった異例の政策の立案を担った。
国会にも出席し、「緩和を続けることで、(新型コロナという)感染症からの回復途上にある経済を支え、持続的な(物価の)2%目標の実現をめざす」
通常日銀の理事は1期(4年)で退任するが、22年4月に再任された。異例の再任について「日銀から副総裁を出す場合に備えて、残留させた」との見方が関係者の間で出ていた。
東大法学部卒業後、86年に日銀に入行、頭の回転の速さや深い知識から、日銀内では「非常に優れた能吏」(幹部)と評され、若い頃から将来のエースと目されていた。 |
日銀正副総裁の新候補者の活動に期待しています。
我々の来月号はアベノミクス側が気付かなかった問題点について、難しさに関し、ご提言されている記事などを取り上げる予定です。
アベノミクスをダメ扱いするのではなく、霞が関村を非難するのではなく、プラスになる結論を国民に示していただくことを願っています。
以上
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