【平成時代の政治活動の認識と課題への取り組み(1990年~2011年)】
東京P2M研究会 芝 安曇 : 2月号
本論文は第2次世界大戦に敗北した日本国が戦後の荒廃を切り替えて、1990年に製造業世界一を獲得した直後、時代が平成に代わり、この平成時代の活動を期したものである。
1月号はテーマ1.テ-マ2.テ-マ3までを解説した。
テーマ 1 : 1990~2000年:何が問題であったか。
この時期の世界情勢の最大の変化は1991年ソビエト連邦の崩壊であった。
- ● 1995~2000:この時の日本経済はデフレで破綻に近い状態で、1997年に山一証券の自己破産宣言が発せられた。
テーマ 2 : 1995年インターネット通信網が世界中に広がる
ソ連の崩壊で資本主義世界の覇者米国は世界中の国々、世界中の人々との交流をはかるため、最も安定性のある通信網を世界中に構築した。
- ⅰ)インターネットの特徴は何か:国境がないことは、覇者である米国がすべての模範を示すことができる。そのご各国からの入手情報を解析する
- ① 各国は暗号レターのための設備が必要となる
- ② 国境不在のメリットを考えること
- ③ 国境不在のデメリットをかんがえること
- ④ 日本はまだグローバリゼーション時代での付き合い方の手法を持っていない
テーマ 3 : 2000年~2005年:バブル崩壊後の立て直し手法とゾンビ企業の取り扱い法
(国家政策に対する米国の在り方と日本の在り方の相違
A. 健全企業として合格
B. 1部不完全部分を削除し、健全企業として合格
C. 一部不完全部分を削除後健全企業と合併する
D. ゾンビ企業として不合格とする
例外:日本企業の曖昧性を認知するゾンビ企業の認知
- ⅰ)バブル崩壊後政府は破産想定の企業の種分けをA.B.C.D.とした。Aは健全企業、B.には不健全領域があり、不健全部門の排除後、企業縮小で活躍させる。C.は不健全領域を削除し、健全部分を大会社に吸収合併させる。D.はゾンビ会社の解体である。しかしここでゼネコン選ぶことは容易でない。不景気時代に実施するのは景気対策であり、ゼネコンは景気対策の主役である。更に日本は後にオリンピックが控えている。ここでは思い切って全社復帰させようという発想が生まれてもおかしくない。公共投資には向いている。これで次期オリンピック関連の設備構築ができ、オリンピックを放棄しなくて済む。目出度い施設の構築は人々に大きな幸福感をあたえる。このような状況が浮かび上がると人々は集まり、人々は溌溂となり、事業は成功する兆しが見えてくる。そこで公共事業への増築に人々は全力を尽くすことができた。結果的には東日本大震災の修復工事に投入されるゼネコンは傘下の現場工事管理会社を助けたが、全員を参加させるまでにはならなかった。
ここでの公共投資は財務省傘下の企業に委ねられていたが、オリンピック施設の建設には間に合わせてくれた。財務省はこの対策で200兆円規模の公共投資工事の発注を関係企業に委ねた。
ただし財務省は国債を使えるのは、官営に依存する業務だけと取り決め、平成10年まで官営の工事にしか国債を使えないという日銀規則を取り決め実施した。
- ⅱ)然し公共施設限定とは独断的と思う。私は今の日本の現状は老齢者の拡大と人口減少という危機感がある。それにも関わらず、昭和期の大成功で、平成になり気が緩み、霞が関村とそれを取り巻く大企業集団の交流が国内だけにとどまり始めたことに危惧している。
理由の第1は日本の製造業のヒエラルキーの構築に問題がある。
平成に入って180度変わったことは何だろうか? グローバリゼーションに対する積極的な対策である。国内の交流を高めてもグローバリゼーションの勝者にはなれない。他方韓国サムスンはアジア各国に1名以上の人材を派遣し、当地のビジネス環境を明確につかみ、その国の収入に応じた商品の製造を風土に合わせた商品を提供している。サムスンは派遣された人材が、現地化された考えで本国の考案者へ情報を送っていた。この時期に日本人は何をベースに仕事をしていたか、何をベースに本社を動かしてきたか調べてもいなかった。これでは「昭和の日本人は平成人の行動を見て、泣くにもなけない。第2次大戦後の日本人はお先真っ暗な環境から、歯を食いしばって、小さな光を後継者に遺産として残してくれた。昭和第2世代は、その遺産を頑張って宝物にしてくれた。
- ⅲ)昭和天皇が崩御されて、平成天皇は世界行脚して、世界中に謙虚な日本人像を売ってあるいてくださった。その成果もあり、世界中は日本人好きが増えている。しかし、平成の政治家は「グローバリゼーション時代」で何が大切かを誰も模索していない。クール・ジャパンを見ていると日本人に対する好意に、私たち日本人も感動する。私は1995年以降の日本が求めるグローバリゼーションへの道筋を平成天皇が開いてくださったと思っている。この道筋をどのように広めていくかが、日本の進むべき道とおもっている。求める方向は【小さな幸福】だと思う。理由は簡単である。幸福が得られるほどの収入と、自分も、近隣の人たちと楽しく交流できる等身大の大げさなものではない。これがかなえられるのは日本人という近隣人及び遠隔人にも共通な態度で接し、双方で小さくてもいい幸福を楽しむ訓練ができた幸福に満足を見出している。お手本は橘玲著【幸福の資本論】で面白い。
- ⅳ)一方今のグローバリゼーションは巨人が激しく戦うことに執念をもやしている巨人の戦いである。日本ではアマゾンがアマゾン券を発行し、翌日到着するシステムが成功すると、日本の本屋が90%閉店した。
今の欧州は常に戦いが続いている。人間の欲が精神の楽しみより大きい人々が増えているからだ。これでは小さな戦争がグローバリゼーション信奉者の楽しみになっている。最大の楽しみが、金儲けという遊びの競争だからだ。
これに対し、日本ができることは【素晴らしく生きる】ことではないか。苦しさとの付き合いの中でも小さな楽しさを見つけ、高望みせず、生きることの中から、面白さを導き出す趣味を持つと楽しさの中で生きることができる。この問題は感動する仕方に課題があると思う。理由は簡単だ。米国という国が、ヨーロッパという狭い地域での土地争奪戦争から逃れて、未開発の大陸を発見し、苦労の末にアメリカ大陸の北半分を手中に収めた。米国は賢く、欧州諸国の植民地争いに参加しないことを国民に誓って、武力ではなく、北米のあらゆる資源開発に努力し、膨大な資産を利用し、ドルを世界通貨にまで高めた。
しかし、本年のオリンピックでスケートボードでは、令和の若者の気迫がすごかった。十代の若者が真剣に目標に挑んでいた。これを見て心がゆすられ、涙が出てきた。
以上は1月号記載事項である。2月号はテーマ4からスタートする。
テーマ 4 : 1990~2000:日本人のサムスンへの支援
本件は当時のサムスンは3流程度の技術力だったようだ。しかしサムスン財閥は稀代の人材が会長になったことで、日本からの教育を的確に捉え、サムスンの3つの改革を成就した。
- ① 組織と人のイノベーション
- ② プロセスのイノベーション
- ③ 製品のイノベーション
日本人の能力をみな吸い取っていってしまった。
テーマ 5 : 2000~2010:日本人のお人よしの馬鹿さ加減
次の問題はDRAM(半導体政策)政策の権利を日本はうかつにも提供した。
経産省はDRAM政策を日本企業10社に許可を与えた。それは日本人に仲良く一緒にやれよという日本的な発想である。世界の発想は低価格で勝利することである。米国はナイロン開発で、日本の絹への挑戦を果たした。その日本がナイロンを自主開発した時、莫大な特許権を取って、日本での参入を認めた。(米国では使えない契約である)これが欧米の原則である。
ところが日本は特許権なしにサムスンの世界向けにDRAMをつくることを許した。韓国内1社独占である。日本の通産はDRAM製造を10社に認めた。通産の発想は国内10社だから、10社が潤うことを願っていた。一方サムスンは財閥である。1社独占で、世界相手に製品を提供できる。韓国内のDRAMも独占価格で生産できる。そこでDRAM は、全世界に向けて、全量が売れる。しかし、日本が韓国に売るとなると、大量生産の値段では商売にならない。また逆に韓国がDRAMを自社価格で日本に売れば、日本でも自社開発のDRAMを売ることができないはずだ。ところが韓国は日本向けにDRAMを売ることはしなかったが、10社で賄える量の販売はできた。日本人は日本製品を高値で購入することになり、価値の高い商品とはならなかった。
この件に対し誰もクレームを付けていないが、日本企業の発想がまず国内からというグローバリゼーション的な発想を持っていないことである。グローバリゼーション時代に国内を独占管理する発想から抜けでていない。
この発想は2000年の米国企業が行った、グローバリゼーション時代はデジタル化時代であるという発想が日本企業の中から生まれていない。
本件は次に議題となるアベノミクスにもつながっている。
テーマ6以降は日本に関するテーマを取り上げた。
テーマ 6 : 2000~2010 バブル崩壊後のゾンビ企業に対する取り扱い
ゾンビ企業に対する公正な取り扱い。
ゾンビ企業は競争相手に対し、価格が高くなっている。霞が関村判断で再生を図っても、競争に勝てないことを理解していただきたい。
テーマ 7 : 2000~2020:財務省のデフレ対策の愚かさ
- ① デフレ環境に対し、国民からの消費税の取得と大企業に対する減税を認めた
- ② 霞が関村と経団連というエリート集団の自己評価への要求
- ③ しかし、霞が関村集団からの具体的成果があげられていない
- ④ 国民から幸福を奪い取る仕打ちであることに気づいていない。
テーマ 8 : 霞が関村の機動力の低下
- ① 霞が関村経団連集団が負うべき日本のグローバリゼーションの具体策が見えない
- ② 官の研究テーマから成果が出てこない
- ③ 大企業からの成果が乏しい。縦型組織の継続からタテ・ヨコ型組織への変換が必要である
テーマ 9 : 2008年米国:リーマン・ショックを乗り越えたアメリカの知恵」:
2008年からのリーマン・ショックに対するFRBの対応
- 芝 : ここで残念なことを申し上げたい。それは日本人がデフレに対する危機意識がないということです。欧米は経済成長率が2%以下になると、デフレ対策に突入します。経済破綻が怖いからだけではない。米国のFRBは大蔵省と違う。日本で大蔵省がトップの座を占めているのは、国家予算の作成者で、経団連をはじめとする日本の大企業、中堅企業の予算決定者でもあるわけです。言葉を変えると1990年までは上り坂経済で国家権力を握り、天下を牛耳っていたが、デフレ経済への対応ができずに大蔵省の権力は下がっていった。
これに対し米国のFRB(米連邦準備制度理事会)は米国の中央銀行に当たります。FRBは金融政策の実施を通じて、米国の雇用の最大化、物価の安定化、適切な長期金利の維持を実現し、その結果として米国経済を活性化することを目標としている。
- ① リーマン・ショック後、アメリカはサブプライム・ローンのバブルが崩壊すると、アメリカは急激なドル高とデフレ寸前の状態に見舞われた。
ここまでは日本と同じ状況だったが、違うのはその後の対応だった。当時のFRB議長のベン・バーナキン氏はデフレの怖さを十分理解していた。実際、既に2002年には、FRBのスタッフが、「日本のように中央銀行(日本銀行)が金融緩和を渋っているとデフレが生じ、金利をゼロにしても救済できない状態に陥ると言っていた。
バーナキン氏は2003年に来日した際、講演で「日本は早急にリフレ政策を実施すべきである」と語った。
- ② FRBはリーマン・ショック直後、2008年に量的緩和第1弾(QE1)を実施。2010年にも量的第2弾(QE2)を行い、2012年には2%インフレ・ターゲットを設定し、量的緩和は第三弾(QE3)まで続いた。
- ③ それに対して日本は、バブル崩壊以降、積極的な金融対策に踏み切らなかった。その結果、円高とデフレが進み、リーマン・ショックにおいても当事国でないのに、アメリカやイギリスに比べて大きな痛手を受け、15年以上にわたって景気停滞に陥っていた。
テーマ 10 : 津波情報への無視と防波堤建設の無視
- ① 東北電力からこれまで最大級の津波発生の予想状況があり、東電に確認し、許可を得て防波堤増強に踏み切る手続きをとったが。津波発生はないとの返事があった。
- ② 東北電力は中型規模の会社で、もし津波が来たら、破産するとの発想で、自社の責任で堤防建設を進めた。
- ③ この時点で日本原子力発電(株)は独自の見解で堤防建設を進めた
東電の津波情報への無視とその最大の事例が東日本大震災で原発への津波の襲来で壊滅的な破壊現象が起こされたことだ。ところが小さな原発2企業は経産省、東電の指令がなくても、危険を感じて事前に防波堤を高く設置したため、被害から免れた。それは情報があって、実施しなかった場合、確実に倒産の憂き目を見るとわかっているからだ。ところが東電は情報を得ながら何もしなかった。しかし、日本のように官僚の権限が一段高い国では、官僚への指示待ちをしたはずである。私の推定だが、経産省はこのような過去に経験しなかった大地震が簡単におこることはないと決断した。最大の津波を起こす大地震の発生の正確な予測を推定することができなかったと言い訳さえしなかった。他方、現実の損害者は津波の被害を受けて、逃げ延びたとしてもなんの対策も教えて貰っていない。それは欧米各国と違い、責任者をつくらず、責任集団から被害者を出さない方針で、ことを進めているからである。
3月号はテーマ11としてアベノミクスの成果とは何かを提供できます。
岩波新書 軽部健介著【アフター・アベノミクスー畏形の経済政策はいかに変質したのか】が発刊されました。新しいアベノミクスへの評価を次号で載せたいと考えています。
以上
|