図書紹介
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目の見えない白鳥さんとアートを見にいく
(川内 有緒著、(株)集英社インターナショナル、2022年8月6日発行、第7刷、335ページ、2,100円+税)

デニマルさん : 3月号

今回紹介の本は、題名から内容が想像しづらくミステリアスで興味を抱かせる。表紙のオビ文には「2022年Yahoo!ニュース本屋大賞ノンフィクション本大賞ノミネート」とあった。この本を購入したのは昨年の9月で、その年の11月に第5回Yahoo!ニュース・ノンフィクション本大賞が発表され、見事大賞受賞が決まった。筆者は、過去にここでノンフィクション本大賞の受賞作品を第1回目から継続して紹介している。その関連もあるが、今回紹介の本はタイトルとは別に内容の深さに感動して取り上げました。今年の1月号の「嫌われた監督」(鈴木忠平著、(株)文藝春秋)も大宅壮一ノンフィクション賞の受賞作品であったが、いい本はジャンルに拘らずご紹介したいと思っています。
さて本書であるが、出版社の宣伝文には『“目の見えない人とアートを見る?”タイトルへの素朴な疑問は、やがて驚きとともに解消されます。全盲の白鳥建二さんと現代アートや仏像を前に会話するたびに現れるのは、これまで見えていなかった世界。生と死、障害を持つということ、差別意識、夢について、アートの力……。まるでその場で一緒に鑑賞して、おしゃべりをしているかのような読書体験のなか、常識が気持ちよく覆され、知らなかった自分自身も姿を現します。数多くのアート作品と画像や、本に隠された仕掛けもお楽しみください』とある。
そして著者は、本書を書いた経緯を受賞後のインタビューで『この作品はとくに読み終わった後に、めちゃくちゃ深い感動を覚えるとか、ドラマがあってスペクタクルがあってクライマックスがあって……みたいなものはありません。いろんな会話がただ淡々と流れていく、そんな本だと思うんです。(中略)これは別に私が白鳥さんを助けてあげる話でもないし、白鳥さんが何か大きな困難を乗り越えるわけでもない。日常がただ繰り返されていくような本なんです。(中略)私たちの日常は、ドラマやスペクタクルに溢れているわけではなくて、障害がある人もない人も、同じように毎日淡々と日常を送って、その中で楽しみを見つけている。そういうことを実は描きたかった。』とストレートに語っていた。
筆者は、著者の考えや素直さに付いていけず、健常者と視覚障害者の違いや視覚障害者が絵画をどう鑑賞するのか、そして絵画から何を感じるのかといった目先の壁にぶつかった。そこで『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗著、光文社新書)を読んで視覚障害者の理解を深めるように努めた。しかし、本を読んで分かる様な簡単な問題ではなかった。健常者が目を閉じて、単純に何も見えない世界が視覚障害者の世界ではない。空間認識、手足を含む五感での認知、運動神経と身体の使い方と等々。健常者では想像も出来ない視聴覚神経が身に付いている。本書の白石さんの話の中で「耳で見て、目で聞いて、手で触って、足や五感で感じる。身体全体で見る」と云うのが世界観ではなかろうか。そこには、その人の生きてきた、感じてきた人生観があり、生活観がある。健常者とは違った、それぞれ自分が培った長年の世界観がある。だから著者は「その中でお互いに楽しみを見つける美術鑑賞」と書いている。
著者を紹介しよう。1972年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業後、ジョージタウン大学で中南米地域研究学修士号を取得。米国企業やシンクタンク、フランスの国連機関に勤務し、国際協力分野で働く。2010年以降は評伝、旅行記、エッセイの執筆を行う。『バウルを探して地球の片隅に伝わる秘密の歌』で新田次郎文学賞、『空をゆく巨人』で開高健ノンフィクション賞を受賞。ドキュメンタリー映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』の共同監督。余談だが、筆者は『空をゆく巨人』(現代アートのスーパースター蔡國強、2018年版、集英社)を4年前に紹介予定だったが、原稿未着手のままにある。

白鳥建二さんとは?          ――全盲の美術鑑賞者、写真家――
著者が白鳥さんと一緒に美術館巡りを始めたのは、美術館に勤める友人からの誘いからだと書いている。「白鳥さんと作品をみると本当に楽しい」との言葉で全てがスタートした。先ず「目が見えない人が作品を見るって、どういうことなんだろう」という興味であった。それが、何回か美術館巡りをしている過程で徐々に分かるというか、納得してきたという。一般的な美術鑑賞は、見るべき絵画の前でジックリ全体を眺め、個々の作品の構成や色彩や雰囲気等々を味わっている。その絵画の前で周りの鑑賞者と感想を語り合うことは殆んどない。しかし、白鳥さんとの美術鑑賞は、4、5人の仲間と一緒に絵画の前で、見た感じや印象を語り合う。それを白鳥さんが全て聞いて、幾つか質問しながら鑑賞を深めている。だから一つの絵画で相当の時間(20分位)を費やし、静かな美術館内には話し声が聞こえる。著者は、「白鳥さんは、言葉で、耳で、会話でアートを鑑賞している」と理解したという。

目の見えない人の美術鑑賞?      ――白鳥さんの美術鑑賞法を探る――
白鳥さんは「俺が美術鑑賞をする時は、皆で一緒に喋りながらアート作品を鑑賞する。その会話の中から、自分の持っているキーワードを頭の中でつなぎ合わせてイメージする。敢えて例えるなら、本の行間を読むような感覚」と話している。著者は「白鳥さんが誰かと一緒に作品を見ながら話す“場”、そこには作品展示室の空気感や、一緒にいる人たちの声量、身体の向き、声の圧力、色々な要素を含んで、その全部を“鑑賞”と理解している」と纏めている。加えて、白鳥さんの独り言「目が見える人は何が見えていて、視覚障害のある自分は何が見えていないのだろう。何を見ていないことになっているのか」というドキリとする哲学的な言葉が胸に刺さる。筆者は「人によって見えているものが違う」という常識的な言葉の中に、視覚障害者を含めて考えていたのかの疑問が過ぎった。見えている者は健常者だけの世界という偏見があったことに気づかされる鋭い内容の本なのである。更に、この本は、視覚障害者と同じ様に美術鑑賞が出来る仕掛けがある。第9章“みんなどこへ行った”に、白鳥さんを含む参加者の会話が記されてある。その絵画は黒く塗られ内容が全く分からない。その会話から絵画(風間サチコ作、ディスリンピック2680)を楽しむ工夫が成されている。本書を読み、参加者の会話から美術鑑賞も体験できるので、ご一読をお勧めしたい。

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