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「エンタテイメント論」(179)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :2月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

7 本質
●「アート思考」への筆者の問題提起
 前号で紹介したエイミー・ウティカーの「アート思考」の本が初めて世に出た以降、日本の多くの学者、評論家、経営コンサル等は、「アート思考」に関する本や論文を数多く発表する様になった。

筆者はウティカーの「アート思考」の翻訳書の他に日本の学者、評論家、経営コンサルなどが主張する「アート思考」に関する本、雑誌やWEBに掲載されている論文を読んだ。ついては彼らの主張に関して気付いた点を以下に簡単に纏めた。

出典:アート思考
出典:アート思考
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  1. ■ 彼らは、夫々の専門分野で様々な自説を主張している。そしてアート思考に自説を付け加え、様々な形の「アート思考」を主張している。しかし結局の処、彼らは自説の正当性、有効性、実用性の主張に終始している様に思えてならない。
  2. ■ 彼らは、様々な形の「アート思考」を主張しているため「アート思考」そのものが定説化されていない。その結果、「アート思考」が一人歩きしている。
  3. ■ 彼らは、一般的な定義として、アート思考とは、ビジネス業界で革新的アイデアを発想し、実現させる為、アーティストが作品を創造する過程(プロセス)を真似する事をビジネスに適用する思考法であるとしている。
  4. ■ 彼らは、アーティストでも、プロ・プレーヤー(後述)でも、ビジネスの成功の鍵となる「優れた発想」を生み出させる「発想理論&発想法」を構築した人物(後述)でもない。そのため彼らの主張する様々な形の「アート思考」其れ自体が「曲解」や「誤解」を生み、実害を引き起す懸念があるかもしれないと思う。

 現在、流行っているものにDXがある。スウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授がDXを初めて主張した。それ以降、日本の多くの学者、評論家、経営コンサルなどは、我も我もと自説をDXに付け加え、「チョメチョメDX論」を主張する様になった。その結果、アート思考と同様に定説が定まらず、DXだけが一人歩きしている。またDXの本質が理解されず、「曲解」や「誤解」を生んでいる。その結果、多くの企業人(社長&社員)を混乱させ、殆ど失敗すると云う実害を齎している(成功率10~15%)。なおDX問題は次号以降で解説する予定。

●プロ・プレーヤーとは? 発想理論&発想法の構築者とは?
 「プロ・プレーヤー(筆者の造語)」とはどの様な人物か? 其の人物とは、アーティストとしての社会的評価を受けていない。しかし「カネ」は稼ぐプロ画家、プロ彫刻家、プロ作曲家、プロ演奏家、プロ歌手、プロ・エンタテイナー等を云う。

出典:プロ画家、プロ歌手
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 ちなみに筆者も東京都内のジャズ・ライブハウスで「トリオ(ピアノ/筆者、ベース、ドラム)+女性歌手」の編成で出演(コロナ危機で出演中断)する一方、企業などから作曲要請を受けて作曲するプロ・プレーヤーである。

 なおプロ・プレーヤーには専業プロと兼業プロ(筆者の造語)がある。筆者の場合、過去も現在も本職を別に持って活動してきた「兼業プロ」である。しかし絵画、彫刻、音楽などを本職とする「専業プロ」は、有名にならない限り、収入源と収入額が限られ、アルバイトなどしながら極めて苦しい生活をしている。彼らを支える柱は「創造する喜び」だけである。

 「発想理論と発想法の構築者」とはどの様な人物か? 其の人物とは、日本が世界に誇る創造理論を構築した「等価変換理論」の市川喜久弥、「KJ法」の川喜田二郎、「NM法」の中山正和などを云う。今、流行りの「デザイン思考」ではスタンフォード大学のデビット・ケリー教授やイリノイ工科大学のビジェ・クマー教授などである。

 ちなみにデザイン思考の語源は建築家ピーター・ロウの著書「Design Thinking」(1987年)に在る。またビジネス業界でデザイン思考を最初に活用した人物は、IDEO社を設立したトム・ケリー、デザイン思考の言葉を流行らせた人物は、同社のCEOを引き継いだティム・ブラウンである。

 なおデザイン思考は「1→10」の発想法と云われている。此れに対して「デック思考」は「0→1」の発想法であると主張し、デザイン思考を活用する際、デック思考も併用する事を薦める人物がいる。其の人物とは、夢工学式発想法の別名「デック思考(The Dream Engineering based Creative Thinking=DEC Thinking)」を命名した佐藤義男PMAJ副理事長である。デック思考と別命名して貰った結果、此の名前が一挙に広がった。同氏に感謝している。

●筆者の子供の頃からの「夢」
 筆者は子供の頃から今も持ち続け、何としても叶えたい「或る夢」を持っている。此の夢の中身を以前、本稿で紹介したと記憶する。此の度、「アート思考」を論ずる観点から再度紹介したい。

 筆者の「夢」は、①楽器演奏家になり、作曲した器楽曲や歌(歌詞付)を舞台で演奏する事、②作曲した「歌」がヒットし、多くの人に唄って貰える事である。

 さて本稿の読者は子供の頃、どの様な「夢」を持っていたのだろうか? その夢を叶えたのだろうか? 今も持ち続け、何としても叶えたい「夢」を持っているのだろうか? 是非、知りたい。

出典:あなたの夢は何か?
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 最近、PMAJのP2Mクラブ事務局の岩下幸功氏は、自らの発案でP2Mクラブの中に「夢工学サロン」を開設し、成功裡に運営させている。ついては読者の参加を薦めたい。本サロンで「自分の夢」を語り、その「成功物語」や「失敗物語」を披露して欲しい。

●筆者が持つ不思議な特性
 筆者は子供の頃から、不思議な事に、幾らでも曲が頭に浮かんでくる特性を持っている。この特性は今も続いている。此の奇妙な事実に気付いた中学校の音楽の女性の某先生は、筆者に音楽の道に進む事を強く薦めた。そして家庭訪問した機会に此の事実を両親に伝えた。

 しかし両親は「息子をチンドン屋にする気か!」と激怒し、先生を追い出した。大好きな音楽の道は完全に塞がれた。またピアノの練習をさせて貰えず、ピアノが受験必須科目になっている音楽大学(作曲科)への道も完全に消え失せた。

 此の事を契機に、筆者は両親が期待する大学にも、職業にも進まず、筆者の決めた道を選び、進んできた。しかし「音楽の夢」は捨てず、学生時代は勉学の合間に、会社勤務時代は本職の合間に、大好きなジャズを楽しみ、好きな楽器を練習し、演奏した。と同時に作曲をコツコツと続けた。

 楽器に関しては、大学生の時は、大学の音楽倶楽部のスイング・バンドに入部し、ジャズギターを弾いた。会社に入社した以降は、社内にジャズバンドを結成し、最初はギター、其の後、フルート、サックス、そしてピアノに転向した。何故楽器を変えたか? それはギターを弾く人、フルートやサキソフォンを吹く人が次々と入社し、同バンドに入会してきた為、筆者の演奏パーツを彼らに譲る一方、新しい楽器を習い始めたからだ。最終的にはピアノに特化し、今も弾いている。

 作曲に関しては、歌謡曲、ポピュラー、ジャズ、ロックなど幅広いジャンルで作曲。社歌、応援歌の他に、TVコマーシャルソング、企業イメージソングまで手掛けている。なお筆者は「歌詞」を基に作曲するタイプである。作詞はあまり得意でない。その為、昔から作詞家と一緒に作曲している。

●筆者の「夢」と「ある偶然:その1」
 筆者は約30年前の或る日、東京都内の有名なジャズ・ライブハウスの「東京倶楽部(水道橋)」に遊びに行った。偶然、知人のプロ・ピアニストが出演していた。彼に薦められ、酔った勢いでピアノを彼のバンドメンバーのベースマンとドラマーと共に演奏した。

 筆者の演奏を聞いた店主は「出演して頂けませんか」と筆者に尋ねた。筆者はお世辞の冗談と思い、酔った勢いもあって承諾した。そして数日後、或る電話が入った。

 「川勝さんですか? 当店でベースマン、ドラマー、歌手を揃えました。来月ご出演頂けませんか」と言われた。びっくり仰天。平謝りして断った。しかし同店長は「断られると大変困ります。出演予定者全員の出演案内ハガキを多くのお客様に発送済みで、貴方のお名前が記載されています」と一歩も引かなかった。約束は約束である。遂に失敗を覚悟して承諾した。

 ジャズ・ライブハウスに出演するプロ出演者達は熟練の演奏技術を既に持っているため、コンサート出演やイベント出演などでない限り、事前のバンド練習はしない。彼らは本番演奏の際に簡単な打ち合わせで演奏する。その結果、筆者はバンド練習無しで、いきなりの本番演奏となった。

 極度に緊張した。無我夢中で演奏した。ミスの連続であった。しかしプロのベースマンとドラマーの温かい支援でミスをカバーして貰い、何とか3ステージを終える事が出来た。「此れで責任を果した」と思った瞬間、汗と疲れがどっと出て来た。ピアノ演奏を「道楽(趣味)」として弾く事とギャラを貰って「仕事」として弾く事の差を痛感した。

 出演終了後、予想さえもしなかった意外な事が起った。「川勝さん、もし良しければ、今後も出演して頂けませんか」と店主から言われた。更に筆者の下手なピアノを支え、ミスまでカバーして最後まで支援してくれたベースマンとドラマーまで「是非、一緒にやりたい」と言った。ビックリ仰天した。勿論、丁重に断った。しかし断れば、断るほど説得された。彼らの温かい好意、支援の姿勢に心を打たれた。此れ以上断る事が出来なくなった。またもや失敗を覚悟し、今回は素面で承諾した。

 本職の合間で出演を続けた。最初1年は無我夢中であった。しかし次第に慣れてきた。此の時から現在までの約30年間、「トリオ(ピアノ、ベース、ドラム)+女性歌手」の編成で、「The Kings  Trio+One」の名前で、ライブハウスでプロ出演を続けてきた(コロナ危機で出演を中断中)。そしてコンサートホールでも出演する様になった。

 筆者の子供の頃からの「夢」、楽器演奏者になり、自分の作曲した器楽曲を演奏し、作曲した歌を歌手に唄って貰う「夢」は、「偶然」の出来事で実現した。

●筆者の「夢」と「ある偶然:その2」
 筆者はその後も出演を続ける内に、或る日、更なる「偶然」が起った。

 筆者のバンドは、以前からお客さんがリクエストする曲、女性歌手が唄いたい歌などを優先して演奏してきた。しかし最後のステージでお別れの演奏をする時だけは、筆者が作曲した器楽曲をバンド演奏し、作曲した歌を女性歌手に唄わせた。

 それを聞いたお客さんの或る人が出演終了後、筆者に「最後に器楽演奏された曲と唄われた曲を大変気に入りました。アメリカで流行っている曲ですか?」と尋ねてきた。

 「アメリカの曲ではありません。私が書いた曲です」と答えた。彼はビックリして筆者の顔をまざまざと見た。彼の表情が可笑しかった。彼はその場で直ぐに「(株)ビクター・ミュージックアーツの音楽プロデューサーをしています」と名乗り、名刺を差し出した。その為、筆者も礼を尽くすべきと、本職の「岐阜県理事」の名刺を渡した。彼は更にビックリし、「お偉いお役人ですか!」と大きな声を出し、筆者の顔を更に見つめ直した。そしてお互いに爆笑した。

 この事が契機になり、同社は筆者を音楽活動する作曲家としてスカウトし、同時に日本音楽著作権協会(JASRAC)に紹介した。その結果、JASRACは筆者をプロ作曲家と認め、筆者が作曲した歌(歌詞付き)を同社を通じて同協会に提出すれば、音楽著作権を無償で賦与される様になった。名実ともにプロ作曲家となった。

出典:(株)ビクターミュージックアーツ
出典:(社)日本著作権協会
出典;(株)ビクターミュージックアーツ www.victormusicarts.jp/
     (社)日本著作権協会 www.bing.com/images/search=jasrac

 筆者の子供の頃からの「夢」、作曲家になる「夢」は、「偶然」の出来事から実現した。その結果、電通やその下請け音楽制作会社などから筆者に作曲依頼が来る様になった。嬉しかった。

 しかし筆者が作曲した「歌」がヒットし、多くの人が唄っている「夢」だけは叶えられていない。何とか叶える事が出来ないか? 此の続きは次号で説明したい。
つづく

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