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「きぼう」日本実験棟開発を振り返って (50)
―「きぼう」第1便の打上げ準備―

PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :1月号

○ 自然との闘い(ハリケーンの通り道)
 フロリダ半島はハリケーン銀座です。2005年8月末、ニューオリンズに上陸したハリケーン「カトリーナ」はミシシッピ川流域に甚大な被害を与え、シャトルの外部タンク(ブースター用)工場も被害を受け、製造が遅れました。2005年9月にはハリケーン「リタ」がヒューストンに来襲、2006年8月には、ケネディー宇宙センター(KSC)での被雷、2007年2月には雹(ひょう)の大被害、打ち上げ直前の機器異常等により、スペースシャトルの打ち上げが何度も遅れました。ハリケーンが来ると退避勧告がだされるため、「きぼう」射場作業の技術者は、空港のホテルに避難し軟禁状態の生活を余儀なくされました。射場作業は、ハリケーンを考慮した計画を立ててはいましたが、振り回されました。最新の巨大なシステムとはいえ、自然の驚異にはかないませんね。日本の種子島、内之浦も台風の通り道で、気象予測に苦労しています。

○ 「きぼう」第1便の打上げ前の状況
 欧州宇宙機関の「コロンバス」(2007年12月)の打ち上げは、発射直前に自動停止しました。原因は、度々起ったスペースシャトル外部燃料タンクの燃料切れ検知器の表示異常でしたが、極低温に冷やされた時だけ起きるので、てこずりましたが根本を突き止め修理し、2008年2月7日に、無事打ち上がりました。
 ISSは50個以上の構成品を順次打ち上げて宇宙で組み立てていくので、構成品ごとに設計・開発・打ち上げ時期が異なります。第1回目から第10回目の実験棟や太陽電池などの 30人余りのVIPが乗ったバス 構成品は、設計を1995年に終え、1998年から宇宙での建設が開始されました。

 2008年3月11日、待ちに待った「きぼう」第1便打ち上げの番がきました。
 (「きぼう」は3回のシャトル便で完成)
 打ち上げ直前に、「きぼう」の開発に携わられた方々を特別招待したKSCツア―がありました。NASAのベテラン技術者が随行してくれて、現役と一緒にKSCの施設の中の本物の宇宙船の間近で説明してくれるのです。30人余りのVIPが乗ったバスが、発射台のスペースシャトルから200mの場所に停車しました。(写真出典)
 シャトルが、目の前にそびえたっているのは壮観で、驚きでした。
 「こんな発射台の近くに関係者以外の人が立ち入ることは、日本ではありえないだろうね。」とVIPは口々に言います。眺めているうちに、“なんとかここに辿りついた。”という思いと感慨に駆られました。“間近で見るシャトルは超巨大で、あの白い荷物室の中には日本実験棟が入っており、打ち上げまできたか!”とジーンとくるものがありました。

 ISSは、これまで想像もしたことのない新しい世界のもので、これが大いに刺激になり、熱気が常にありました。しかし、開発中は、ときどき寝汗をかきました。“いつも不吉な予感は頭の端っこに押しやり寝るのだ”と自分に言い聞かせて寝ていました。それでも不安は消えません、時たまそっと影のように頭の隅に不安が現れました。
 明日、日本人宇宙飛行士の土井孝雄さんが搭乗し、ISSに向け飛び立つのかと思うと、“まだやり残したことがあったのではないか”“あの時、こうすればもっと良くなったのではないか”などが頭をよぎりました。

○ 「きぼう」の打ち上げを迎えて
 今、「きぼう」の打ち上げの時を迎えました。いつも打ち上げは不安だらけです。スペースシャトルのプログラムマネジャーだったウエイン・ヘイル氏が、自身のブログでその不安なリーダーの気持ちを的確に表現しています。

 「打ち上げ準備審査会は、重大な意思決定の場であり、何かし忘れたことはないかを再確認する機会である。この仕事は、我々がすべて完璧にやったとしてもリスクがゼロということはない。危険を前にして、皆が感じているよりはるかに恐怖の克服をする度胸がいる。」

 JAXAでは、ロケットや衛星の打ち上げの前に有志が、神社でお祓いをしてもらうイベントがあります。技術者が、神頼みするのは論理的に矛盾があるような気がして、私は在任中一回も参加しませんでした。その代わり、ミッション毎に少し高級なネクタイをデパートで買い、ミッション中はいつもそのネクタイをしていました。退職するまで危惧したことは何も起きませんでした。願掛けネクタイが効果を発揮したのかもしれません。
以上

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