嫌われた監督 ――落合博満は中日をどう変えたのか――
(鈴木忠平著、(株)文藝春秋、2021年12月30日発行、第11刷、476ページ、1900円+税)
デニマルさん : 1月号
今回紹介の本は、昨年5月に第53回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。この大宅壮一ノンフィクション賞は、1970年に第1回の受賞作品(「苦海浄土、わが水俣病」石牟礼道子著)を発表した長い歴史があり、業界では著名な賞の一つである。ご参考までに大宅壮一氏とノンフィクション賞についてチョット紹介したい。大宅氏は、明治生まれのジャーナリト、評論家で「マスコミの帝王」とも言われ、昭和の言論界をリードした。物事の本質を端的に捉え分かり易い言葉で表現し、造語の名人と称された。「一億総白痴化」「口コミ」「太陽族」などの流行語を生みだしていた。特に、先のノンフィクション賞を創設されて、ライターの登龍門とした点と、生前に集めた膨大な雑誌や資料から大宅壮一文庫の礎を創った事が上げられる。大宅壮一文庫は氏が亡くなって設立されたが、雑誌等を専門とする図書館として知られている。この大宅壮一ノンフィクション賞に対して、別なもう一つのノンフィクション大賞について触れて置きたい。2018年に「Yahoo!ニュース、ノンフィクション本大賞」がスタートした。これは本屋大賞(書店員等が独自に選ぶ文学賞で、2004年設立のNPO本屋大賞実行委員会が運営)が、ノンフィクション部門を対象に選定・発表するノンフィクション本大賞である。このコーナーでも、第1回受賞作品(「極夜行」角幡唯介著)から毎回取り上げて紹介している。因みに、今回紹介の本も2022年のノンフィクション本大賞の候補作品に挙がっていた。
さて本題に戻ろう。今回紹介の本は、プロ野球の中日ドラゴンズの監督であった落合博満氏の監督時代をドキュメンタリー風に纏めたものである。題名にもある通り「嫌われた監督」である。落合氏は中日ドラゴンズが4度もリーグ優勝を果たす結果を出しているのに、嫌われていたとの評判があった。何故なのか、著者は日刊スポーツ(中日新聞配下のスポーツ紙)の記者として、落合氏と直接取材等で身近に接した関係から本質に迫る作品を書き上げた。大宅壮一ノンフィクション賞の選考評から、本書の概略を紹介したい。後藤正治氏(ノンフィクション作家)は『落合監督が中日の主力選手やフロントに投げかけた「言葉」を起点に、監督の手腕と人物像を解いていく。プロ野球の監督をこのような方法論を用いて描いた作品ははじめてではないか。落合にかかわって、「異形」「冷徹」「清冽」といった評が散見される。平然と〈個〉を押し通す生き方への形容であろうが、それらがどこかで著者と響き合っていたのだろう。』また、別の選者の佐藤優氏(作家)は、『スポーツ・ノンフィクションの枠を超えた、リーダーとなる人間の悲哀を描いた歴史に残るノンフィクションの傑作だ。著者が、落合博満氏と中日の選手たちに深く食い込んでいるが、心情に流されず、できるだけ冷静に落合博満という人間を描いている。』
と語っている。本書は落合監督が嫌われた理由を人間関係から掘り下げた点を評価している。著者を紹介すると、鈴木氏は1977年千葉県生まれ。愛知県立熱田高校、名古屋外国語大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を16年間経験、Number編集部を経て2016年にフリー。著書に「清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実」。取材・構成を担当した本「清原和博 告白」「薬物依存症」がある。本書同様に評判の好い本を書いている。
落合博満(選手)とは? ――プロ野球史上、最高のバッター――
本書は落合監督と中日ドラゴンズ時代の選手との関係をテーマに種々のエピソードを書いている。従って落合選手の生い立ちや現役時代の輝かしい実績等は書かれていない。しかし、落合監督を見るには、選手時代の活躍を知った方がより幅広い判断がし易いと思い、筆者は敢えてこの点にも触れてみた。1974年、社会人野球チームの東芝府中で70本塁打を打つなど、アマチュア野球全日本代表となる。1978年、25歳でロッテ入団。1980年にレギュラーとなり、翌年にオールスターゲームでは4番打者で活躍。1980年に首位打者。1982年に史上最年少で初の三冠王。1985年から2年連続での三冠王。1986年、中日ドラゴンズに移籍。日本人初の年俸1億円プレーヤー。1994年から巨人に移籍、長嶋監督率いるチームで2度のリーグ優勝に4番打者として活躍。1997年に日本ハムに移籍。1998年末に現役引退している。バッターとして3冠王を3度も獲得したのはプロ野球史上初で天才打者とも言われた。
落合博満(監督)とは? ――中日ドラゴンズ、常勝チーム化――
天才打者の落合選手は現役引退後、2004年に中日の監督に就任した。1年目にしてリーグ優勝を達成。2006年、2010年、2011年もリーグ優勝し、2007年には日本シリーズも勝って日本一を達成している。結果、落合監督は中日ドラゴンズで8年間の在任期間中に、リーグ優勝4度と日本一にもなり全てAクラス入りの成績を残していた。「名選手、名監督にあらず」というスポーツ界の昔からの言葉がある。しかし、落合監督は、その言葉を覆し「天才選手が常勝チームの監督」を見事に達成してみせた。本書は、この落合監督が在任8年間で出会った11名の選手とのドキュメントを克明に掘り下げて書いている。その一つ一つを追って行く過程で「嫌われた理由」の真意が見えるのか。これは読んでのお楽しみとして置こう。
どうして落合監督は嫌われたか? ――人間・落合博満を探る――
筆者は中日ドラゴンズのファンではないが、落合監督がチーム勝利の為に取った幾つかのニュースを覚えている。2007年日本シリーズで完全試合目前の、山井大介投手を降板させた件や、2009年のWBC(World Baseball Classic)では、中日だけ選手の派遣を拒否した。それに加えて、本書に書かれた11名余の選手との壮絶な物語があった。落合監督は、全てチームが勝つために取られた当然な思考や行動であった。しかし、球団経営者や他球団関係者や一部の中日ファンは納得していなかった。その結果が「嫌われた監督」となったのか。
当時のマスコミは落合監督を評して、「落合流」とか「オレ俺」と呼んでいた。だが本書に書かれた選手からは「嫌われた監督」ではなかった。中日ファンの多くは、落合監督の采配の結果に熱狂していた。本人は「口下手だから説明しない」とも言い、マスコミ不信があったのか。監督の職務はPMである。本書はリーダーとしての在り方を書いた良書である。
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