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日本危機の認識とプログラム・マネジメントの活用

芝 安曇 : 12月号

Z. 芝さん。不幸なことに安倍総理は最終のアクションを実施することを決められたが、残念ながらアベノミクスは大将不在で作戦も出ず、今回は評価の対象から外した。

芝 安曇: アベノミクスの評価は大変重要ですが、私から見て、今の時期に結論をだすことはできません。今の時期は前回の質問とはことなり、ゆっくりと欠陥を見ることが重要と思われます。
そこで今回は私が尊敬する著者からの執筆を取り上げてみたいと考えています。
寺島 実郎著 日本再生の基軸-平成の晩鍾と令和の本質的課題 初版2022.4.7.から適切な課題を探してお知らせします。
 【平成の30年間は東西冷戦後の30年でもあった】
1989年1月に平成はスタートし、翌年の11月にベルリンの壁の崩壊、12月には、地中海マルタでの米ソ首脳会議(ブッシュ・ゴルバチョフ会談)で「冷戦の終焉」が宣言され、2年後の1991年にソ連邦は崩壊した。そして、この間に世界の動きが構造的に大きく変化してきた。そこで日本が置かれた状況の変化を確認することは、令和という時代のテーマとして認識し、我々自身がどう生きるのかを探る基盤を見つけることで、それを踏まえた令和への課題の設定にあてる。
(私から見た平成は国内的にも、国際的にも戦略というものが不在であった)

  1. ① 最初の課題は米国の金融革命の進行で、悩ましい金融資本主義の肥大化である。
    「冷戦」とは、資本主義対社会主義という体制選択を軸に世界が分断され、米国とソ連を頭目として対決していた緊張状態をイメージしがちだが、冷静に振り返るならば、米ソ二極の下に、民族や宗教などの地域紛争要素と社会問題が封印されていた状況ともいえる。その冷戦のマネジメントに失敗したのが米国であり、冷戦の勝利者だったはずの米国はリーダーとしての制御力を後退させた。
    冷戦の終りは二つの意味で世界史のパラダイムを変えた。政治的には、冷戦の終了直後「米国の一極支配」と言われた政治構造は、米国の交代によって変化し、明らかに世界は多極化、多次元化しているのだが、深層底流に於いて政治と異なる次元での構造変化が進行したことを見抜かねばならない。

  2. ② 金融革命の進行
    1. ⅰ)1987年ニュヨークでの生活を始めた時、「ジャンクボンドの帝王」マイケル・ミルケンの存在を知った。ジャンクボンドのような金融の仕組みが、与信リスクの高いベンチャー企業にも金が回る仕組みとして機能し、IT革命をになったITベンチャーを支えた。しかしその年1987年ダウ平均株価が23%下落し「ブラックマンデー」が起こる。
    2. ⅱ)1990年、ビジネスを取り巻く多様なリスクのマネジメントを金融ビジネスモデルとする「ヘッジファンドの帝王」ジョージ・ソロスの存在が目立ち、ビジネス活動に伴うリスクのマネジメントを金融商品化する新しい動き「ヘッジファンド」が台頭してきた。
    3. ⅲ)金融技術の高度化には冷戦の終焉の持つ意味が重かった。冷戦期、米国の理工系大卒者の3分の2以上が軍事産業に吸収された。しかし、冷戦が終わり、理工系の卒業者が金融にまわった。
    4. ⅳ)1999年、冷戦後の新自由主義という思潮が反映され、「銀行と証券の垣根」を設定した法律は廃棄され、より手の込んだ金融工学に立つ金融商品が生まれた。
    5. ⅴ)2008年のリーマンショックをもたらしたサブプライム・ローンは、与信リスクの高い貧困者にも金を貸す理論と持ち上げられ、この理論枠を構築したマイロン・ショールズとロバート・マートンは1997年のノーベル経済学賞を受賞した。
    6. ⅵ)1990年にはビジネスを取り巻く多様なリスク・マネジメントを金融ビジネスモデルとする「ヘッジファンドの帝王」ジョージ・ソロスの存在が目立った。寺島氏はソロスと面談する機会が3回ほどあったが、ビジネス活動に伴うリスク(例えば為替変動)のマネジメントは金融商品化する新しい動きをするのが「ヘッジファンド」だった。
    7. ⅶ)2016年の大統領選挙で、当初ヒラリー・クリントンを応援していたウオール街の懲りない人々は、トランプ当選となると、2017年の1年でダウ平均を25%跳ね上げる「トランプ相場」を盛り上げ、2010年にオバマ政権がリーマンショックの教訓として、制定した「金融規制改革法」は大統領令で見直しが指示され、規制緩和への法改正が実現した。
    8. ⅷ)リーマンショック後の金融資本主義は、「ハイ・イールド債」「仮想通貨」と新手の金融商品へと資金を引き込み、スーパー・コンピューターを駆使したフィンテックなど高度な運用へと突き進んでいる。もはや全体像を理解・掌握するのは困難というレベルに至っている。「金融資本主義の総本山」たるウオールストリートが発信し続けているメッセージは「借金してでも経済を拡大させようという」ことであり、今や世界中の国家、企業、個人が抱える借金(債務)の総額は、世界GDPの四倍を超したという。
    9. ⅷ)冷戦後の三十年の「資本主義の勝利」の後に進行したものは経済の金融化(金融資本主義の肥大化)であり、この債務の膨張は「資本主義の死に至る病」が進行しているといえる。チャールズ・P・キンドバーカーの『熱狂、恐慌、崩壊?金融恐慌の歴史』は1978年に初版、2000年に第四版が出たが(第四版邦訳、日本経済新聞社、2004年―金融恐慌の歴史)、繰り返される金融危機の制御する視野は見えていない。そして、「経済の金融化」という流れは、マネーゲームの恩恵を受ける人と、取り残される人の「格差と貧困」という問題を際立たせ、それが世界の構造不安の潜在要因となっていることは否定できない。

  3. ③ 情報ネットワーク技術(IT)革命の進行―データリズムの時代へ
    金融革命という複雑で、暴落という危機との戦い、博打的な危険性を述べたが、次の大きなテーマはITである。
    IT革命は冷戦後の軍事技術の民生転換を起点として進展している。
    1. ⅰ)今日のインターネットと言われる情報技術の原型は、1962年にペンタゴンの委託を受けたランド・コーポレーションのポール・バランによってコンセプトが作られた。1969年にはペンタゴンの情報システムとして完成していたARPANETである。冷戦時代、ソ連から核攻撃で中央制御のコンピューターが破断されるリスクを回避するために「開放系・分散系の情報ネットワーク技術」として作られたのがARPANETであり、冷戦の終りを受けて、軍事目的で創った技術の民生での活用を図ることで生まれたのがインターネットであった。まさに1989年が学術ネットへの技術解放がなされた「インターネット元年」であり、その後、1990年代に入って商業ネットワークへの開放がなされ、世界はIT革命の時代に入ったのである。
    2. ⅱ)これまではIT革命の初期の時代であった。寺島氏は1990年からの米国の発展を見てきた。この時からインターネットに各種機能を持った会社が、インターネットと接続することによって、収益を上げてきた。アップル、マイクロソフトが活躍し始め、1997年ステーブ・ジョブスがアップルにもどり、マイクロソフトはウインドウス3、0で、OS分野を席巻し、2019年ではIT革命をリードした5社が時価総額4.0兆ドルとなり、モノつくり日本のトヨタ21兆円、日立3兆円、新日鉄2兆円である。

12月号はここまで書きましたが、「米国人の」発想と日本人の発想に大きな相違があることに気が付いてもらえたでしょうか!

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