今月のひとこと
先号   次号

 PMAJでは何故日本酒の講演が多いのか 

オンライン編集長 深谷 靖純 [プロフィール] :12月号

 宴会という程ではないけれど、集まって飲食する機会が徐々に増えてきました。和の宴会では、ビールで乾杯をした後にそのままビールを続ける人、焼酎のお湯割り派と水割り派・ロック派、日本酒の燗派に分かれたものです。冷やした日本酒が出るのは高級な宴会場でしょうか。中華だと紹興酒、ディナーとかパーティーとかカタカナの会ではワインなどが選ばれることが多いようです。酔って前後不覚になるリスクがあるものの、人と人のコミュニケーションに酒類の効用は絶大です。私たちが取り組むプロジェクトの世界でも、お酒は欠かせないものだと信奉する方を多く見かけます。
 だから、PMシンポジウムやPMセミナーではお酒の関係者の講演が多いのだと理解されている方が多くいらっしゃいます。あえて否定はいたしませんが、お酒を飲めないのにお酒の話を聞くのは苦痛だと思われる方もいるでしょうから、言い訳も込めて、何故日本酒の講演を多く取り上げるのかをご紹介したいと思います。

 明治から昭和にかけて、国税に占める酒税の割合はトップの地位を占めていました。その当時、酒税の大半は日本酒です。その後、日本酒業界は大きく変化していきます。統廃合等もあり単純比較は難しいのですが、明治期に1万以上あった酒蔵の数は、現在1400程となっています。それでも、1970年代までは年々生産量を増やしてきました。
 不思議なのは、生産量がピークだった1970年代に世間に知られる日本酒の銘柄数が、極めて少なかったということです。流通していたのは、灘(兵庫県)伏見(京都府)のお酒ばかりで、他の地方のお酒は現地に行かないと入手できず、お酒マニアを除くと全国的に知られることもありませんでした。これは「桶取引」の扱いが圧倒的に多かったためです。「桶取引」とは、OEM取引のことです。
 日本酒の蔵の99%は中小企業ですので、自社ブランドのお酒を製造しても遠くの地方で売るだけのマーケット力が不足していました。そこでOEM取引を選択したのです。灘や伏見の大手蔵にお酒を卸せば、マーケット費用が掛かりません。さらに、酒税を払わなくても済みます。桶取引で余ったお酒を地元だけで販売していたというわけです。
 マーケットへの努力なしに儲かるビジネスモデルは、1990年頃から崩れていきます。様々な規制緩和が進み、大手蔵が桶取引(桶買い)に頼らず自社生産を増やすようになり、多くの酒蔵において、大手蔵との取引がなくなっていきました。こうなると廃業するか、あるいは大手蔵と異なる特色のある製品の開発や新たなマーケットの開発に取り組んでいかねばなりません。
 地酒ブーム、吟醸酒ブームという言葉をご存知の方も多いと思いますが、1400蔵のいずれかが、単独であるいはグループを作って取り組んできた事業改革の成果です。規模的にはまだ少量ですが、海外への輸出や現地製造といった取り組みも活発に行われています。日本酒製造という一つの業界の中で、1400ものイノベーション事例が集まっています。しかも、現在進行形です。
 PMAJでは、多くの業界の事例紹介と併せて特定業界の中での様々なイノベーション事例を取り上げていこうと考えています。日本酒の製造に伴う発酵技術の転用に取り組む蔵があり、日本文化の形象としての日本酒表現に取り組む蔵があり、花酵母を使った日本酒・古代米を使った日本酒・徹底的にコメを磨いた日本酒など様々な取組みを紹介してまいります。

 思い起こしていただきたいのですが、PMAJが提供するP2Mは以下の略語です。
 Program & Project Management for Enterprise Innovation
以上

ページトップに戻る