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「きぼう」日本実験棟開発を振り返って (48)
―「きぼう」の広報を戦略的に行う―

PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :11月号

 ロシア侵略に対抗して、ウクライナのゼレンスキー大統領、米国や英国のマスコミが、戦争の現状についてロシアが発表する前に、詳細に発表していくという戦略的広報が話題になっています。
 国民やマスコミが知りたい情報について、そのことが話題になったら直ちに関連情報を提示していくことで、発信側ミッションに対してポジティブな支援を得ることができれば、プロジェクトのステークホルダーとのマネジメントもうまくいきます。そんな戦略広報の経験を「きぼう」プロジェクトでしましたので、その一端をまとめてみました。

○ きっかけ
図 1 「きぼう」船内実験室の窓側の様子  「きぼう」日本実験棟の射場作業をNASAケネディー宇宙センターで始めた頃に、広報部の幹部が次のことに気が付きました。広報リクエストの多くは惑星探査、宇宙飛行士、ロケットや国際宇宙ステーションに関わるものでしたが、その要望も多岐にわたり各本部の広報を担当する複数の部署がそれぞれ独自に動いていて、小人数しかいない広報部ではさばききれず統率がとれていない状況でした。それは、広報部と各本部の役割が明確でないのが原因の一つでした。
 JAXAは、公的資金により運営されているので予算額に見合う成果を上げていることを国民に示す必要があります。そのため、宇宙開発計画が、明確な実用的な意義に加えて、国際社会での日本の存在感の向上や技術的波及効果、幅広い科学への貢献などの活動であることを理解してもらう必要がありました。JAXAの広報活動は、企業の広報とは性格が異なり、JAXA全体の主張や組織のイメージを国民に対してはっきり打ち出すようにしていく必要がありました。
 広報部は、マスコミとの窓口と政府関係機関の調整を、本部広報は、現場との調整とマスコミの対応を行うように役割整理を行いました。TVやラジオでも、宇宙計画について興味深い番組を提供できるようにするため、ニュース素材として印刷資料や映像資料を配布するだけでなく広報部独自のインタビュー番組を制作し配布し始めました。また、メディアが必要とする情報を盛り込んだプレスリリース、国内外への定期広報誌(機関紙「JAXA’s」)、定期的なマスコミとの懇談会を企画、さらに月例での広報連絡会でプロジェクトの開発状況や実機の公開の予定をお知らせするようにしていきました。 (1)
 また、各プロジェクトのシニア技術者を広報担当としてアサインして、メディア対応専門会社のメディアトレーニングを受けさせて、記者会見や公開イベント時に分かりやすく説明できるように事前に準備していきました。筆者は、プロマネになってすぐに広報部からの依頼でこの広報連絡会に出席して「きぼう」の現状を説明するように言われました。広報部につくと、「名刺を沢山もってきましたか?」と聞かれたのですが、10枚くらいしか持っていませんでした。「それではだめです。」そう言って、広報担当の女性は、手際よく筆者の名刺を50枚くらい作ってくれました。連絡会終了後、本当に沢山の記者たちがやってきて名刺交換になりましたが、あっという間に用意した名刺は無くなりました。広報対応とは、こんな状態なのか、と初めて認識しました。これをきっかけにマスコミと密にお付き合いするようになりました。

〇 「きぼう」プロジェクトの広報戦略への取り組み
 「きぼう」のNASAでの打ち上げ準備を進めている頃、筆者は、「きぼう」プロジェクトマネジャーとISSプログラムマネジャーとの兼務辞令をもらい本部全体をみるようになりました。
 そして、「きぼう」の広報を進める上で現状では問題があることに気が付きました。TV局や新聞社から、「特集記事を企画したいが、開発状況とスケジュールはどうなっているのか?」「記者が参加できるイベントはいつなのか?」「ミッション全体と技術的に難しいポイントをわかりやすく説明してほしい。」との要望が出ているのですがうまく対応できていませんでした。マスコミとの関係を良好にするため、「きぼう」広報を戦略的に取り組む必要があり、広報マネジャーとスタッフを増強し広報戦略を作っていくことにしました。この本部広報マネジャーにO女史をアサインすることにし、宇宙実験マネジャーと兼務してもらうことにしました。彼女は広い範囲のプロジェクトの推進経験をしてきたので、込み入った懸案事項でも問題点を素早く見つけ、実行可能な解決策の提案ができる洞察力を持っていました。彼女は、議論が巧みでよほどのことがない限り冷静さを失うことはありませんでした。正しいと思うとチームメンバーを擁護し、上司にも自分たちの論点を尊重するように主張しました。とても明るく友好的でしたので課題を抱えた方は、彼女に相談にいく状況になっていました。

 彼女は着任早々から動き始めました。広報チームは人手不足だったので、マスコミで働いた経験のある人材を期限つきで中途採用をするようにしました。また、技術的な難しさはどこかを含めて読者や視聴者に伝えるため、マスコミが使いやすいような広報資料を作ることにしました。
 仕事をしていくうちに、スタッフは、マスコミが記事を書くためには何が必要なのか、どういう点に興味をもつのか、が分かるようになってきました。
 例えば、ある記者が電話で問い合わせをしてきたら、すぐに同じ会社の方が同じような質問を繰り返すので、ホームページに「きぼう」に関するよくある質問として掲載することにしました。
Oマネジャーの工夫とマスコミへの根回しにより、TV局、新聞や雑誌社が持ち込んでくる特集記事や番組を、個別に相談しながら企画を練っていきました。次第に報道実績を挙げていき、マスコミとの関係は次第に親密になっていきました。「すべての成功は失敗と紙一重、成功に導くのはマスメディアの寛容な姿勢です。マスメディアが失敗を前向きに受け止めてくれなければ議会や大衆の支持も得られない。」、とケネディー大統領の意向を汲んでアポロ計画をソ連の宇宙計画と対照的に開かれた計画にしようとした、NASA長官ジェームズ・ウエッブが、広報改革を行ったやり方を参考にしました。 (2)

〇 宇宙飛行士、HTVの打ち上げで成果がでる
 日本人宇宙飛行士は1年半ごとに打ち上げがあり、ISS無人輸送船HTVは1年ごとに打ち上げがありましたので、その打ち上げの度に広報イベントを企画しました。イベントには、新米記者も沢山やってきましたが、取材陣の多くは知識も豊富で有能なベテラン記者でした。
 彼らは、情報を得る事に貪欲でした。イベント毎に、技術情報を一目で見てわかるように説明資料を作るようにしていきました。これは、記者に口頭で説明するときの補足資料となりました。記者の印象に残るような報道資料は、有益でよく練られた資料にすると報道で取り上げられることが多かったのです。
 また、広報担当が、打ち上げやミッション中に問題がおきたときのために、状況を詳しく説明できる実際に携わっている技術者をスタンバイさせました。Oマネジャーの働きもあり、有人宇宙開発全体が報道機関を通して誰の目にも分かる形で進んでいきました。
 マスコミの苦情が急速に少なくなり、様々な企画提案が提示され、TV特番や新聞の特集記事になっていきました。
 「きぼう」が定常段階になった時に、お会いしたあるJR東日本の幹部は、「広報は、会社全体の主張や組織としてのイメージを一般の方に認識してもらう重要な役割なので、広報部は、第二企画部として扱っています。そのため、社内のエリートを広報部にアサインしています。」という言葉が印象に残っています。

【参考文献】
(1) 機関紙「JAXA's」、JAXA's | ファン!ファン!JAXA!
(2) デイビッド・ミーアマン・スコット他著、関根光宏訳、「月をマーケティングする」、
日経BP、2014年

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