PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (143) (課題解決と問題解決)

向後 忠明 [プロフィール] :9月号

 これまでMT法による不確実性が内在する事例として中央銀行のシステム開発にかかわる課題解決について話をしてきました。
 この事例は「ほかの可能性のあるソリューション(現状からの脱皮、多様性への対応)を対象にしたもので、現状の置かれた状況から離れて多様な可能性を求める課題解決レベルの範疇のものでした。
 一方、本事例に関連して付随的目標として会社の海外事業進出の可能性も想定されていました。この付随的目標とは、これまでの国内事業だけではなく多様化を目的に事業の国際化を社是とし、現状からの脱皮を図ることを事業方針と会社は考えていました。
 すなわち、それは電気通信事業からシステム開発への挑戦及びビジネス習慣の異なる海外プロジェクトへの挑戦といった「可能性の範囲が見えるソリューション(新技術による既存業務利用のイノベーション)」分野への挑戦でした。
 本件については本号の後半で説明します。

 筆者が働いていたエンジニアリング会社においても不確定要件を含む案件が発展途上国のプロジェクトで見られるようになっていました。
 すなわち、これまでは大手のメジャーオイルは入札の際にエンジニアリング会社に対して入札の際に必要な顧客としての要求のすべてをパッケージとして競争入札が可能となるような仕組みを取っていました。入札会社はそのパッケージに示された要求仕様や条件に従って入札に参加し、適切な顧客審査を受けて受注し、すぐにPDCAを回しながらプロジェクト目標に向かって、設備建設及び試運転までを一括契約で行うことのできるようになっていました。
 しかし、発展途上国の場合は大手メジャーオイルのように自分たちの要求をパッケージとしてまとめることができないため、エンジニアリング会社が発注者の行うべき工程を代行しながらプロジェクトを進めるフロントエンジニアリング(FEED)という手法でプロジェクトを進める必要が出てきました。すなわち、FEEDの結果で発注者の意図やそのプロジェクト特有の条件などをもれなく織り込み、EPCの段階で大きな変更がないようにする方法で仕事を進める必要がありました。FEEDのパッケージ作成期間はプロジェクトの規模にもよりますが、LNGプラントのような大型案件では約1年にも及びます。顧客と密なコミュニケーションを取りながら進める必要があるためエンジニアリング会社のオフィスに顧客が常駐して行われるのが通例となっていました。
 もちろん、この期間は随契(随意契約)でコストプラスまたは部分的コストプラスといった契約で作業を進めます。
 このFEEDはこれまで話をしてきた課題解決事例の手法と似ています。プロジェクトの対象がシステム開発やプラント建設であっても、昨今の顧客の不確実な要件を含んだプロジェクトの規模や複雑さとは異なりますがこれまで話をしてきた手順は共通に利用できると思います。
 FEEDではリスクの特定、プロジェクトの範囲と予算、スケジュールを明確に定義することが可能となります。
 今回の中央銀行の事例の場合でも予算やスケジュールは実際のプロジェクト実施での基本設計まで随契契約としているので、構造物、装置、システムに係るシステム概案書が固まるまで顧客との密なコミュニケーションにより決めていったのでFEEDと全く同じことになります。

 ここで話を、「会社が事業の国際化を社是とし、現状からの脱皮を図ることを事業方針とする」といった冒頭の話に戻します。すなわち、中央銀行のシステム開発の成功が会社の海外事業進出の大きな目標に連動した課題としてとらえた新規事業創造の範疇と考えました。このレベルの業務はプロマネレベルではなく企業戦略の部類となり、「ゼネラルなプロ136」にて下記のように説明しています。
 企業戦略は、市場、人、組織に関する状況変化を展望し中長期的視点で企業のあるべき姿をデザインすることです。すなわち、これは経営企画室や経営戦略室の仕事であり、経営者の思いをマクロ環境分析し、各種戦略用フレームワーを駆使し、経営目標や経営戦略の立案を行い、経営者の方針に沿った課題を整理し、会社のミッション(使命)として従業員に示していくものです。

 プロジェクトマネジメントの仕事は上記で言われた経営者の方針に沿った課題を整理し示された、会社のミッション(使命)をプロファイルし、MT法等を含む各種フレームワークを駆使した論理的手法でプロジェクト化していくことと考えます。一方、企業戦略は上記の通り経営者の夢や思いと企業を取り巻くマクロ的環境を分析し、各種分析フレームワークを利用し、事業の立案~設定までの作業を行う必要があります。この場合は経営戦略室や企画室が主体となりますが、場合によってはコンサルタントに業務を依頼することもあります。何度も言いますが、プロジェクトマネジメント(PM)を学び、経験してきた者の仕事は経営戦略を語るよりも、その結果として派生した現実的な使命や命題を対象としているのだと思います。

 コンサルタントの職務はどちらかというと、未来に向けて顧客または自社組織の課題や夢実現を手助けする、全く見えない将来(シナリオを描くこともおぼつかないソリューション)を対象にしていると思われます。
 よく、夢実現、デザイン思考などといった言葉が出てきていますが、我々のプロジェクトマネジメントの役務の基本は経営者の思いや夢の構想化ではなく、経営陣や企画室等によって議論され、不確実なものも含め経営者の思い描いたビジョンやテーマを示したミッション(使命)をベースに、各種分析手法を駆使し、プロジェクト化し、計画を立てそれに従って組織の目的や目標を達成することにあります。
 課題解決とは与えられた曖昧ではあるが、そこに示されるテーマを解決するための方向性を示すことであり、プロジェクトマネジメントの観点から考えると、経営者の曖昧な要件である「~をこうしたい」といった状況を「このようにします」と目指すべき姿を示し、プロジェクトに移せる状況を作り、プロジェクトが健全にPDCAを回すことができるような状況に持っていく事と思います。

 例えば、今回の事例で中央銀行のシステム開発において会社の海外事業進出を第二の目標としていましたが、もちろん第一の目標であるプロジェクトが失敗すればこの目標は??となります。成功したら、この第二の目標は経営者が描く「思い」に一筋の光を与える事となりとなり、グループ事業を融合させた国際事業への戦略が前進することになるかもしれません。

 ここで話を筆者が所属していた会社の親会社であるグループ事業会社の海外戦略がどのような経緯で進められてきたか、筆者の推量を入れて話をします。
 当初の親会社は全く海外事業の経験のない会社であり、海外事業への進出は「経営トップの強い思い」でした。
 グループ事業会社は技術、人材、資金等を含め多様なリソースを持っていたが、海外事業を取り仕切る人材及びノウハウに欠けていました。
 そこで親会社の経営トップ陣はそのノウハウ及び人材を手に入れることを考え、海外事業を目的とした戦略子会社を創設し、そこに海外事業に長けた企業と手を結び人材やノウハウを得ていくことを考えました。
 この戦略子会社が実際の海外事業に必要な人材とノウハウを入手すれば、いわゆる「可能性の範囲が見える将来(新規技術による既存業務のイノベーション)」が可能となるだろうと考えたと思われます。
 海外事業進出といった課題解決は親会社のトップ一人の発想から来たものであり、それが起爆剤となりコンサルタント会社がグループを取り巻く内部/外部環境を分析し、海外戦略にかかわるミッション(使命)を創生したと聞いています。この発想は親会社のプロパーではなく外部から来た社長によるものであり、そのため既存組織に縛られない自由な発想から出てきたものと思われます。国際事業推進戦略子会社として与えられたミッションは国際事業への先駆者として海外プロジェクトの受注とそれによる人材育成や国際業務のノウハウ取得といったものでした。
 しかし、この国際戦略子会社も与えられたミッションを「どのように対処したらよいか」かなり当惑していたようでした。設立当初はこれまで親会社がやっていた海外の公営通信事業会社への専門家派遣業務の引き継ぎなどを細々とやっていました。
 設立後、2年ほどたって初めてまとまった仕事がJICAからやってきました。
 それはインドネシア通信公社からの調査団派遣依頼であり、仕事の内容はジャカルタ地区の電話回線増設といったもので、ジャカルタの電気通信現状調査と現状に適した通信設備の提案を含むマスタープラン作りでした。
 この仕事はこれまで専門家派遣といった単発仕事ではなく海外で初めてのコンサルティングプロジェクトでした。このプロジェクトの詳細はゼネラルなプロ (56) (実践編 - 13)に譲りますが、この仕事の成功を見て戦略子会社の幹部は海外事業のへの可能性に自信がついたようでした。

 このJICA案件が終了するころ、これまで事例として話をしてきた中央銀行のシステム開発案件が親会社より降りてきました。この国際戦略子会社の成功事例が発端となり、親会社もこの戦略子会社の人材を利用して海外事業を進めるようになってきました。

 ここで国際戦略子会社での中央銀行システム開発の成功が親会社トップの「海外進出への強い思い」に確信をもたせたのかもしれません。なぜなら、この中央銀行の仕事は親会社トップが直接かかわり、その進捗を親会社の役員(グループ事業本部)も見ていたからです。

 その後、親会社は国内事業中心から国際事業へ本格的に進出するようになり、国際事業本部が設立されました。
 そして、最初は東南アジアにおける電気通信事業であり、現地通信会社と合弁での事業経営を特別目的会社にて進めるPFI事業、そしてある国の公営通信会社の民営化事業などが進められました。そのほか資金力をもって外国通信事業会社やインターネット会社や携帯電話会社をM&A等の企業買収を行う高度な手法を使用するようになりました。
 このような経緯にて海外進出といった一つの課題が多くの事業を生み出し、他のグループ会社にも影響を与え、多くの関連会社も海外事業へ軸足を移すようになりました。
 全く見えない将来(シナリオを描くこともおぼつかないソリューション)を対象にした課題解決などは既成概念を持たない外部から来たトップの自由な発想が、次の「可能性の範囲が見える将来(新規技術による既存業務のイノベーション)」へと見える形の課題となり、上記に示したような経緯でグループ全体の海外事業への進出が可能となったと思っています。

今月号はここまでとし来月から事業化可能性調査(フィージビリティスタディー)についての話をします。

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