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「きぼう」日本実験棟開発を振り返って (45)
―NASAの日本担当マネジャ-―

PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :8月号

ボーイング社の新型宇宙船「スターライナー」、出典:NASA  5月21日、ついにボーイング社の新型宇宙船「スターライナー」(右写真、出典:NASA)が無人でISSとのドッキングに成功し、6月5日には、米国ニューメキシコのミサイル試験場に無事着陸しました。これは、イーロン・マスク氏のスペースX社「クルードラゴン」に続く米国民間企業の有人宇宙船として宇宙飛行士を地球とISS間で輸送飛行するもので、次回の打ち上げでは宇宙飛行士を搭乗させた最終段階の試験を行います。これが成功すると米国が2種類の有人宇宙船を保有することになりロシアに頼らずにISSを維持できることになります。ボーイング社は黎明期から米国をリードしてきた航空宇宙開発の老舗ですが、この開発では、つまずきがありスペースX社に先を越されてしまいました。2019年に実施した1回目の無人軌道飛行試験では宇宙船のソフトウェアに不具合がありISSへの軌道へ入ることができず地球に帰還してしまいました。失敗の発端は、宇宙船のタイマーが誤った時間にリセットされ、燃料を早すぎるタイミングで使用してしまった結果、ISSにたどり着けなかったことです。しかしそれ以上の問題は、この不具合処理をしている途中でソフトウェアの重大な問題が発見されました。他システムと関わり合っている一部ソフトウェアに対するテスト不足に起因するものでした。この問題は地球大気圏に再突入するときに大惨事を起こす可能性があるものでした。残念ながら現在のボーイング社はシステムズ・エンジニアリングを十分理解しているソフトウェア企業ではなかったようです。(1)
 老舗でも新しいものを開発するのはなかなか大変です。以下、筆者の「きぼう」開発で老舗NASAと付き合った経験を紹介します。

○ 初めてNASAの日本担当マネジャ-と付き合う
カウボーイブーツの陶器  NASA日本担当マネジャ-のラルフ・グラウ氏とは、筑波での会議が初対面でした。彼は筆者と初対面の時に右写真のカウボーイブーツの陶器をもってきて、PMPタイトルの入った名刺を差し出しました。今までのNASAの方と違うやり方でしたので強い印象を持ちました。彼の担当は、NASAのお目付け役として「きぼう」開発の監督でしたが、普段はヒューストンからメールや電話で連絡をしてきます。
 NASAのホームページに彼の略歴がのっていました。いろいろな部署を経験したシステムエンジニアでした。彼は議論が白熱するのを抑えようとはしませんし、意思疎通を確保し話しやすい雰囲気をつくろうとして、時々NASAの見解を短い言葉ではさむようにしていました。ラルフ・グラウ氏からのクリスマスカードそれはこちらも納得できる健全な技術判断でした。長時間の議論になったときは、途中で出席者が理解できるよう要約して区切りをつけるようにしていました。上から目線の態度は全くみせませんでした。NASAと合意した開発目標には課題山積状態でしたので暗いどんよりした空気が漂っていました。彼からクリスマスカードが届きました。森の写真と以下の手書きのメッセージが書いてありました。

We journey through a forest with an uncertain path which ends in the successful development of the JEM segment. It is an honor to share this journey with you.
 JEM segment とは「きぼう」のことです。この文は当時の私の状況を表していたので手帳に書き写して持ち歩いていました。「きぼう」開発は今までのNASAとの付き合いとは別格でした。大抵のことが見知らぬ出来事でしたので何に出くわすか予測がつきませんでした。オフィースでちょっとうまくいったことでも成功に感じられました。一日でだせるエネルギーはほとんど出し尽くして、へとへとになって帰宅、風呂に入って布団になだれ込むときの感覚がなんともいえないものでした。先の段取りを立てないといけないのですが考えることが多すぎて不安でいっぱいでしたので何も考えないことにしました。ただ、サポートしてくれる仲間は近くに沢山いました。彼らは降ってくる課題を持ち前の人脈を駆使してなんとかしてしまう方々でした。

○ NASAのプロジェクトのさばき方を学ぶ (2)
2002年3月の筑波宇宙センターで、「きぼう」船内保管室(左)と船内実験室(右)の前で「きぼう」全体システム試験をみるグラウ氏  グラウ氏はNASAのいろいろな部門との課題について、双方の言いたいことを存分に言わせながらだんだん論点をしぼりあげていき、気が付いたら皆を一応納得させる案が出来上がっているようなさばき方をしていました。彼は立ち位置が中立で我々を信頼していることがすぐ分かりました。また、双方の主張を急がせることなくじっくり聞いてくれました。特に印象的だったのは、説明を聞いている時に気になる点があると、説明を止めて質問し確認するようにしていました。後に問題になるかもしれない兆候を逃さないようにしていました。
 日本での技術調整会の彼の振る舞いの一例を紹介します。提示された技術課題についてNASAの見解が出せないときは、午前中であればヒューストンの担当に携帯電話で電話して聞きます。筑波の午前10時は、ヒューストンの午後8時(夏時間)から7時(冬時間)でしたので、相手は自宅で電話を受けていました。不在のときには、その場でE-メールを相手に送りホテルに戻ったあとヒューストンに電話して回答をもらってきてくれました。さらに、課題の結論を出すときに、なぜこの判断をしたのか、なぜこういう方向に進もうとしているのかを理解してシステム開発と飛行運用の両面から判断していました。会議が終わるとJAXAもNASAも全員が開発の完了に向かう雰囲気が生まれて、目標の達成を信じるようになっていきました。“アクションをもらったら、できるだけ早く処理して相手に戻す。アクションのボールは自分で持っていないで直ちに適切な人に渡す。”という彼の仕事術は私にとって勉強になり自分のやり方に取り入れて退職まで続けました。
 彼は淡々と仕事をこなし休みには、故郷のオーストラリアやアメリカの親戚の家に遊びにいきます。お酒を飲みませんが懇親会にはつきあいざっくばらんな話をしてくれました。その後も、コロンビア事故による「きぼう」打ち上げまでの運営評価やISS運用中の不具合が「きぼう」へ及ぼす影響評価などの作業がありましたが、グラウ氏の仲介も功を奏してNASA技術者との良好な関係が出きていましたので、森の中から抜け出して打ち上げに進んでいきました。

 グラウ氏は、2003年3月の「きぼう」開発完了審査が終わるとヒューストンの外国機関調整室に異動し我々との関係は薄れていきましたが、時折大事な時に助け船を出してくれました。(写真は2002年3月の筑波宇宙センターで、「きぼう」船内保管室(左)と船内実験室(右)の前で「きぼう」全体システム試験をみるグラウ氏。)

参考文献
(1)  リンクはこちら
(2) 佐藤靖著、「NASAを築いた人と技術」、東大出版会、2008年3月

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