このロシア調整の経験からNASAは日本と調整を始めるために、ジョンソン宇宙センターに日本語および日本文化の講座を開設しました。1995年位から「きぼう」に関するNASA調整が本格化して、電話会議やメールのやり取りで技術仕様を決めていきましたが、半年に1度、1週間程度Face to faceの調整会を開くことになりました。ヒューストンでやったら次は筑波でのように。移動は土曜から日曜日ですので、月曜日から金曜日までの調整スケジュールをくみます。そして、調整の途中に懇親会をいれました。リラックスした懇親会では、“日本語講座を受けて学ぼうとしたけれど、日本語はむずかしいよ。挨拶くらいしか覚えられない。” 筑波に出張できたNASAの連中は我々にこぼします。でも、我々がそれなりの英語で会話できることが分かり彼らの仕事が何とかこなせると分かってきた段階で、彼らの日本語学習意欲は失せ、その内講座はなくなったとのこと。