投稿コーナー
先号  次号

「きぼう」日本実験棟開発を振り返って (41)
―ロシアとアメリカの文化の違い―

PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :4月号

○ NASAのロシア調整うまくいかず
 1995年頃から、私達はNASAの技術者と本格的に技術調整をしていましたが、昼飯の時や懇親会の時に、どの方もロシアとの交渉が大変だとこぼしていました。その頃、米ロの「シャトル―ミール」計画と並行してロシアのISS参加のための交渉が米ロで始まっていましたが、NASAがロシアと交渉を始めてロシア人の態度を理解しかねる場面が多々でてきたそうです。例えば、ロシアの基幹モジュールを開発しているエネルギア社との交渉では、4億ドルのロシア支援資金をだしているアメリカに対して、NASAが優位に立っているものと思っていたのに、ロシアの態度は売り手(ロシア)が買い手(NASA)に命令するのだそうです。自由主義経済のアメリカとは違い、依然として全体主義の慣習に浸かっているロシアでは日常見受けられる風景で、ロシアの肉屋が買い手の女性にどの切り身を買うべきかを指図する風景と似ているといいます。やはり全体主義にどっぷり浸かってきたロシアの宇宙開発関係者も専門的な議論になると、相手を見下すような口調になるのだそうです。NASAも最初は戸惑っていましたが、NASA内のロシア文化の講習を受けるようになって初めて何がいけなかったのか理解できるようになってきたそうです。(1)

 このロシア調整の経験からNASAは日本と調整を始めるために、ジョンソン宇宙センターに日本語および日本文化の講座を開設しました。1995年位から「きぼう」に関するNASA調整が本格化して、電話会議やメールのやり取りで技術仕様を決めていきましたが、半年に1度、1週間程度Face to faceの調整会を開くことになりました。ヒューストンでやったら次は筑波でのように。移動は土曜から日曜日ですので、月曜日から金曜日までの調整スケジュールをくみます。そして、調整の途中に懇親会をいれました。リラックスした懇親会では、“日本語講座を受けて学ぼうとしたけれど、日本語はむずかしいよ。挨拶くらいしか覚えられない。” 筑波に出張できたNASAの連中は我々にこぼします。でも、我々がそれなりの英語で会話できることが分かり彼らの仕事が何とかこなせると分かってきた段階で、彼らの日本語学習意欲は失せ、その内講座はなくなったとのこと。

カラオケ 筑波では、懇親会の後、希望者がカラオケにいくのがコースになりました。カラオケのとりこになった者も出てきて、秋葉原のヨドバシカメラでカラオケ装置を買ってヒューストンに持ち帰るものもでてきました。筑波でもカラオケに行くNASAのメンバーは多く、英語の歌を選んで合唱していました。ある時、NASAの連中がロシア調整に苦労している様子が明確に表れた時がありました。
 誰かがビートルズの「ヘイ、ジュード」を選曲しました。この歌は、最後に「ダー~、ダー、ダー、ダーッ、ダ、ダーッ、ダー」という部分が繰り返されます。すると、この部分だけ、NASAのメンバーだけ大声での大合唱になりました。同席した元ヒューストン駐在員のT氏がそっと私達に解説してくれました。“「シャトル―ミール計画」と並行して行っているISSのロシア調整がなかなか進まず、ロシア人からYesの意味の「ダー」の発言を聞けず怨念がこもって「ダー」と言わせたい願望がでている現れだよ。”

○ 自分でなんとかするためのロシアの訓練 (1) (2) (3)
 NASAはシャトルやスカイラブでの短期宇宙滞在では事細かに宇宙飛行士の行動予定を決めて手順書を作ってきました。JAXAが本格的に有人宇宙開発に参加したのは、1992年の毛利飛行士のシャトル実験ミッションからですが、その2週間程度のシャトル実験の手順書は、ミッション中の飛行士や管制官の操作が事細かに時系列で書かれていて、全ての活動内容が盛り込まれていました。飛行士はこれに基づいて訓練を2年以上行って習熟していったのです。しかし、長期滞在の宇宙飛行は、柔軟な対応をしていかないと精神的にも肉体的にも参ってしまうので、問題を地球に持ち帰って調べ、検討して行動方針を決めるなどという悠長なことはできません。クルー全員で身につけた
ソユーズの打ち上げや帰還時に予期せぬところに着地して、救援隊を待つ間生き延びるためのサバイバル訓練の様子 知識を活用してなんとかその場をこなしていかなければならないので訓練は手順書がなくても、その場でなんとかする方法を学ぶために行うことになります。細かな手順書もマニュアルもありません。ロシアのミール副責任者、ブラゴフ氏がシャトル―ミールの初期のころを振り返って以下のことを語っています。

「“アメリカはシャトルで故障が発生した場合、ミッションを中止して修理は地上で行う。しかし、宇宙ステーションではこのようなことは許されない。ミールで何か問題が発生したら、ロシア人宇宙飛行士は宇宙空間でその修理をさせられる。だからこそ、ロシア人は経験に頼る修理を20年以上にわたり積み重ねてこられたのであり、一方アメリカ人をそれを書物で読んだことがあるだけだった。NASAが物事をとことん検討して、ことごとくマニュアルに組み込むが、ロシア人は実地にものを修理する技術を発展させられたのだ。」

 NASAは、この計画で実際にロシアと密に仕事をしながら想定外の出来事を目の当たりにして、アメリカとロシアの宇宙船や宇宙ステーションの運用の仕方も、宇宙飛行士の役割や訓練の仕方も異なっていることを認識しました。その根底にあるのは米ロの文化の違いであることに気が付いていきました。ブラゴフ氏は、さらに米ロの行動の仕方の違いをこう述べています。

 “アメリカ人はあらゆる問題を哲学的な観点からみて、まずどうやって問題を調べるかを考える。問題を調査して、自分たちがどの観点から見たがっているのかを理解しようとします。それから行動を起こすのです。私達はこのプロセスの途中から始めます。いきなり大きな問題に取り組むのです。そのあとでどこがいけなかったのか、に目をむけるんです。”(1)

 考え方も生活習慣も違うロシアでは、ロシア訓練はNASA訓練とは異なり米国流儀が通用しません。授業は主に口頭と板書。試験も基本的に口頭。訓練は軍服をきた「ロシア宇宙開発の生き字引」の教官によりマニュアルはなくロシア語で行われます。ソ連時代、重要な生産手段を国有にして政府の管理下に集中させる全体主義に基づいて、ロシア人宇宙飛行士は、チームワークと自己犠牲を重視して行動するようになっています。
 しかし、ISSではチームのまとまりを出すにはお互いの文化を尊重することが必要なのでISSでは異文化訓練やチームワーク訓練が頻繁に行われています。写真(出典JAXA)は、ソユーズの打ち上げや帰還時に予期せぬところに着地して、救援隊を待つ間生き延びるためのサバイバル訓練の様子です。

参考文献
(1) ブライアン・バロー著、「ドラゴンフライ」、筑摩書房、2000年
(2) "新人"宇宙飛行士が体得した、異文化理解 | 宇宙飛行士はスーパー課長だった! | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
(3) 20160404_KimiyaYui_interview.pdf (emb-japan.go.jp)

ページトップに戻る