図書紹介
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海をあげる
(上間 陽子著、(株)筑摩書房、2021年11月10日発行、8刷、251ページ、1,600円+税)

デニマルさん : 3月号

今回の紹介する本は、4回目となる2021年ノンフィクション本大賞を受賞している。筆者は、この大賞に注目して第1回受賞作品から取り上げている。2018年第1回の「極夜行」(角幡唯介著、2019年3月号紹介)の印象が強く残っていて、更なる作品を期待してノンフィクション分野に目が向いている。2回目以降の作品も世間の注目を集め、色々と話題にもなっていた。この話題の本を紹介する担当としては、それなりの役割を果たしていると思っている。それと本屋大賞も含めて、最近は候補作品が発表された段階で大賞受賞を予想して、何冊か予め読んでいる。そこから新たな視点で本の紹介が出来る可能性をトライしている。結果は、筆者の実力不足で未だ効果は出ていないが、読書の新しい楽しみ方を模索中である。そこで今回の候補作品の中から大賞発表前に、この紹介の本と「デス・ゾーン、栗城史多のエベレスト劇場」(河野 啓著、集英社、2020年 第18回 開高健ノンフィクション賞受賞作)を読んでみた。素人である筆者の評価は、「デス・ゾーン」の方が大賞受賞に近いと判定した。しかし、結果として今回紹介の本が受賞し、筆者の予想は外れてしまった。その評価ポイントの違いは、ノンフィクション小説の捉え方と大賞の選考方法の特殊性が影響していたと思われる。この点に関しては、著者が受賞インタビューで述べているので後述したい。前段が長くなったので本題に入ろう。出版社の紹介文に「沖縄での生活を、淡々と書いた作品です。過去に傷ついた日々を友人に支えてもらったこと、歌舞伎町で働く沖縄出身のホストの生活史を聞いたこと、海に日々たくさんの土砂が入れられていくこと。具体的な出来事の描写を通じて、人間の営みの本質が描かれているように思います」とある。本書の舞台は沖縄である。沖縄は、戦後米軍基地が移設されて米軍統治となり、50年前に日本に復帰された複雑な歴史がある。現在の辺野古基地問題も含めた米軍基地と沖縄は、政治・経済・社会が一体化されている。この沖縄問題のノンフィクション小説(「運命の人」(山崎豊子著、2010年1月号)と「宝島」(進藤順丈著、2019年4月号))を過去に紹介している。これらの本と今回の本を比べて読むと共通する「心のざわつき」というか、気になる何かを感じる。その何かを今回の本は、若者の行動や著者の娘さんの言動から浮き彫りにして訴えている。普段の何気ない生活から、米軍基地の騒音や暴力事件や基地で働く人と向き合う生活。それとは全く無関係な沖縄の海底での寓話の様な世界。著者は娘さんが思い描く理想と現実のギャップを綴っている。その著者は1972年の沖縄県生まれ。琉球大学大学院教育学研究科教授。普天間基地の近くに住む。1990年代から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わる。2017年、「裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち」(太田出版)を刊行。「新しい言葉の担い手」として第14回「わたくし、つまりNobody賞」受賞、第7回沖縄書店大賞沖縄部門大賞受賞。2020年、「海をあげる」(筑摩書房)を刊行。2021年に10代で妊娠・出産した少女たちのシェルター“おにわ”を沖縄にオープン。大学で教鞭をとる傍ら作家活動。更に沖縄の子女支援のボランティアをする1女の母親。

美味しいごはん           ――世間一般の普通の暮し――
著者は本書を発表する前に、「裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち」(太田出版、2017年)で性暴力や、DV、貧困に苦しむ沖縄の少女たちの調査・支援記録を書き出版した。それが沖縄でベストセラーとなり、大きな反響となった。しかし、その反響以外に全く変わらない現実があった。むしろ当時調査した少女たちは、口を一層固くして多くを語らなくなり、世間から益々孤立していった。そこで著者は、この彼女等の痛みや苦しみが沖縄だけでなく東京で生活している人も同じ様に感じているかもしれないと感じて、本書の「美味しいごはん」の章を書いたという。本音は「人生には色々ある。生きていたら何とかなる」である。著者自身も外見上では普通の暮しであるが、実態は簡単には解決出来そうにない問題を抱えていた。近所に住み、昔からの友人と普通に美味しい食事等々を楽しんでいた。しかし、その友人は単身赴任中の夫と不倫関係にあったことが判明する。普通の美味しい食事が複雑な三角関係の中で行われていた。著者はその事実関係を後で知ることになるが、「人生には色々ある」と自分を振り返りながら「何とかなる」と自問しつつ普通の生活を書いていた。

アリエルの王国            ――沖縄の自然環境の維持――
本書の「アリエルの王国」の話は、この本の重要なキーとなっている。著者の娘さんが大好きなディズニー・リトル・マーメイドの美しい海底の「アリエルの王国」は、沖縄の自然豊かな海底と重なる。米軍基地の移転問題で沖縄の自然環境はどうなるのか。娘さんが「海のお魚やヤドカリやカメはどこに行く?」と問いかける。母親は「どこか遠くに逃げていく」と答えると、娘は「アリエルみたいに」と尋ね、「貴女もいつか、王国を探して遠くへ行くよ」とある日読み聞かせをした。だが現実は基地移転問題で土砂投入が開始され、娘さんの「海に土をいれたら、魚は死む?ヤドカリは死む?」と率直な質問に変えて訴えている。

海をあげる               ――海をあげる相手は?――
著者は、受賞スピーチで「この本を選んで頂いた書店員の皆さんの沖縄の今に対する応援なんだなと思いました。この賞は私が受けたのではなく、沖縄に対する賞であり、沖縄で暮らしている私が調査した子たちに向けたはなむけの様な賞だなと思っています。」更に、「この本がノンフィクション本大賞を受賞したのは、少し珍しいことではないかと思っています。(中略)そしてもうひとつは、ノンフィクションというジャンルの拡張という意味です。」と語っていた。ノンフィクションのジャンルを拡張とする解釈はどうだろうか。筆者は、ノンフィクションの定義をもう一度再確認したい気持ちもある。それはさて置き、題名の「海をあげる」とは問題の核心である。著者は「あとがき」で児童文学の「うみをあげるよ」(山下明生作、偕成社)から頂きましたと書き、「私もまた、いつかは娘に海をわたすでしょう。その海には絶望が織り込まれてないようにと、私は願っています。」と本書を結んでいた。

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