知の旅は終わらない ――僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと――
(立花 隆著、(株)文藝春秋、2020年3月10日発行、4刷、415ページ、950円+税)
デニマルさん : 12月号
今回の本を紹介する前に新聞記事を転記したい。「知の巨人と呼ばれた評論家・立花隆さん死去、80歳」(2021年6月23日、共同通信)と今回紹介の著者の訃報が報じられた。実は、筆者が紹介の本を購入したのが今年の3月で、今年中にはここで取り上げる計画であった。この突然の訃報に接して直ぐに本書を紹介すべきか迷った。それはJPMF時代の雑誌ジャーナルに著者の本を何冊か取り上げたことと、筆者と同世代であることも影響して決断を躊躇して今回となった。著者の作品は社会的インパクトが大きく、一読者である筆者も多くの刺激を受けている。今回紹介の本は、著者が初めて明かす自伝史的内容で、亡くなる1年前の著作となった。著者は天命を意識して自伝を纏めたのか等々、複雑な気持ちのまま紹介することになった。著者の多くの作品の中から一部だけ後述するが、ここで改めて経歴と著作に関する話題を追ってみたい。著者は1940年長崎県生まれ、64年東京大学仏文科卒業後、(株)文藝春秋を経て東大哲学科に学士入学し在学中から文筆活動を始める。74年文藝春秋に「田中角栄研究、その金脈と人脈」を発表し、その内容から時の総理大臣が退陣に追い込まれ社会に大きな衝撃を与えた。その後の著書に「中核と革マル」「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」「脳死」「サル学の現在」「脳死体験」「天皇と東大」「がん、生と死の謎に挑む」「死はこわくないの」「武満徹・音楽創造への旅」等と多数を残している。さて、本書の副題「僕は3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」にもある通り、「知の巨人」の如く政治・経済、宇宙、人間の脳、生命科学、臨死体験、音楽等とジャンルに拘らず書き続けた。そして多くのエソードを残している。その一つが、文藝春秋社(「週刊文春」配属)に入社して3年足らずで退社している。その理由は「野球の取材(過去に嫌なテーマと公言していた)を無理矢理やらされたことがあった。それが本当に苦痛で辞めるきっかけの一つとなった」と、更に「週刊誌記者生活の中で世俗的なことに首を突っ込み過ぎたから、少し形而上的なことを考えたくなった」と本書に書いている。もう一つが、「私のシベリア」(香月泰男著、文藝春秋社、1970年)の原稿は、著者がゴーストライターとして書いたと真実を明かしたのである。この話には後日談があって、1984年に画家・香月泰男(1911年~1974年)の没後十年に出版社と遺族に謝罪したと書いている。更に、その経緯を含めてNHKテレビが「立花隆戦争を語る、香月泰男のシベリア」に編集して1996年2月に放映された。その後、テレビ取材や講演等を纏めて「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」を2004年に書き上げている。本書には書かれていないエピソードを一つ。著者は猫好きとワインの愛好家としても有名である。著者の事務所兼書庫を兼ねたビルが東京都文京区小石川にある。地上3階地下1階の建物だが、事務所と書斎スペース以外は数万冊といわれる蔵書が納められている。更に、地下室がワインセラーになっているという。そのビルの外観には、巨大な黒猫(島倉二千六画)が描かれ「猫ビル」と称され、地元の観光スポットでも知られている。
「田中角栄研究 ―その金脈と人脈」 ――僕の「青春漂流」時代――
先にも触れた通り「田中角栄研究」は、政治と金とジャーナリズムのあり方を含め社会に衝撃を与えた出版物であった。同時に著者が話題の人となり、世間の注目を集めた。本書では、この出版企画からの経緯や政治家と文藝春秋社の関係からロッキード裁判までを書いている。その取材方法が半端でない。田中氏に関する登記簿や政治資金収支報告書や過去の雑誌記事を総ざらいするなど手に入る活字資料を収集し、緻密にデータ類を積み重ねた分析・調査をして纏めた。原稿用紙にして1千枚を超える仕事をしたと書いている。それが雑誌に掲載され、その記事が在京の外人記者にも注目されてから国会の場で取り上げられ、田中総理の辞任に繋がった経緯はご存知の通りである。本書では「個人の政治スキャンダルを暴くことではなく戦後日本の政治・経済・社会そのものの暗部を見つめたかった」と説明している。更に、これほどまでにエネルギーを注いだ理由について「権力を支えていた者も含む全ての人間に対し『あんな奴らに負けてたまるか』という気持ちがあった」と書いている。それと驚くべきは、この原稿作成の過程で「中核と革マル」「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」も並行的に出筆していて、それが「僕の青春漂流時代だった」とサラリと書き残している。
「宇宙からの帰還」 ――最初のベストセラー本――
著者が多く出版した書籍で、最初のベストセラーが「宇宙からの生還」だったという。因みに、先の「田中角栄研究」は殆ど売れなかったと書いている。「宇宙からの生還」を書くきっかけとなったのは、航空機メーカの副社長が「宇宙飛行士のその後の人生が面白い」と云う話から始まったという。多くの宇宙飛行士とインタビューの中で、後に伝道師や詩人、画家になった人が多いことが分かった。そこで「宇宙体験とは何か」「その後の人生にどう影響するのか」を探り、宇宙体験から内面的変化を感じさせる神の存在の様な何かあると直感している。更に「さまざまな仕事の中で、宇宙飛行士とのインタビューは知的で刺激的なものだった」と語っている。その影響からか「人間とは何か」を求め、人間と動物の境界を探る「サル学の現在」や生命倫理の「脳死」や最先端生命科学の「精神と物質」等を纏めている。
「知の旅は終わらない」 ――引き揚げ体験から樹木葬まで――
本書は、先に紹介した自分史的な内容(本名の橘隆志からジャーナリトの立花隆)である。幼少期の中国引き揚げから家族が転々とした体験等を含め「ノマド(遊牧民)」的で、スポンサーを固定しない生き方になったという。その時期の猛烈は読書体験が生涯継続され、その蓄積が「知の巨人」を生んだのか。本質を追求するジャーナリスト精神から多くの本を書くだけでなく、東大教養学部で教壇に立って知の体系化に努めていた。そして本書の最終章に「がん罹病、武満徹、死ぬこと」と病歴等々も明かされていた。14年前からの膀胱がん宣言、手術、その後の心臓冠動脈梗塞による手術等を上げている。最後に死んだら樹木葬を希望し、書きたい本のリストも残し、正に「知の旅は終わらない」である。ご冥福を祈りたい。
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