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日本の危機の認識とプロジェクト・マネジメント活用への提言 (18)

東京P2M研究会 渡辺 貢成: 10月号

1990年から2000年の報告
Z. オンラインジャーナルは20年の3月まで、「高齢化社会の地域コミュニティを考えよう」と【東日本大災害後の日本を新しい発想“アベノミクス” をどのように成功させるか】お手並み拝見をしていた。アベノミクスはご承知のように、東日本大震災後の混乱時に民主党内閣に代わって政権につき、新政策としてのアベノミックスを掲げて政策を発表し、国民から大きな歓迎を受けて政策実施に突入した。
ここで新内閣は財務省からノックダウン的パンチを浴びせられた。
  1. ①先の民主党政権が国民の支持を受けて消費税増税を認めてもらっている。これを実行する優先順位は消費税増税が先である、というクレームであった。
  2. ②次にアベノミクスという政策は国債が発行されなければ実行できない。しかし日銀法では官が使うものしか認められていない。ましてや平成26年度の国の貸借対照表で負債が1,100兆円であり、このままでは国が破産するので認められない。
  3. ③アベノミックスが実行する企画はすべてにおいて実行できないという返事。
  4. ④ここで現時点ではアベノミックスが実行できないことになった。 そこで9月号では、このままではアベノミックスは実施できないとなると日本は危機に転じる。10月号で正しく実施できる道を探そうということで「日本危機の認識――」というタイトルに変えた。

I. 今の話を聞いてこれはタイトルを変えないとまずい、ということで表題を「日本危機の認識とプログラム・マネジメント活用」にしました。
1 ) 厳しい未来への展望
  1. ①日本の製造業は昭和人の努力で世界一になりました。ただここで問題が発生しました。平成期に入ると、人口減少で、「精密度、完成度、健全性が世界一になっても持続的維持可能な規模で運営することができなくなる可能性がある。」
    日本人は今現在目に見えるものへの作品作りは抜群にうまい。創意工夫が得意である。細かいところにも行き届いた対応をする努力に外人は負けてしまう。
    そこで今回は日本人が苦手なところを指摘し、今後どのようにすべきか検討してみたい。
I. 日本国での経験豊かな芝安曇さんのご意見も入れて検討してみます。日本は戦後順調に推移し、製造業世界1位を獲得しました。ところが米国はデフレ状況であり、日本の輸出が停滞し始めてきました。その頃日本では【財テクというキャンペイン】が流行りだし、国民は生活水準が中の上にまで向上したと浮足立っていた。ところが1997年山一証券の自己破産でバブルがはじけ、デフレが始まった。政府は急遽企業の倒産対策、支援対策、破産宣告の仕分けを行った。
1990年以降のところから検討すると、日本は製造業世界一になったが、デフレに入りました。
米国は対立する宿敵ソ連が崩壊し、グローバリゼーションに向けて、画期的な戦略を打ち出した。インターネットという通信網を世界各国に広げた。何がすごいかお気づきですか?インターネットには国境がないという問題です。世界中の情報が国境というバリアなしで、すべて届き、グローバリゼーションの覇者になりました。
2000年に入り米国企業は製造業の生産性、IT化に力をいれ、プラットホーム化に挑戦した。しかし、米国の政策は金融に主導権があるようです。それはこの時期の米国の成長率は2%丁度です。この状況ではいずれデフレが起こります。そこで米国がした一大政策は、デリバティブという金貸しの方式をアメリカは作りました。A社という企業に、出資金の100倍の金を提供しました。米国の成長率は2.0%です。このままではデフレになる。それを解消するため、米国は国内の製造工場を閉鎖し、中国の安い労働力を使って中国に巨大な製造施設を建設し、米国に輸出する方式に踏み切った。そのため設備の設計と建設は合弁会社が行い、労働者提供は中国とした。このデリバティブのおかげで中国は製造業世界一に浮上した。
Z. さてここらで日本の経済について話を聞かせて欲しい。
I. その前にお願いがあります。いま私は最初に2012年のアベノミクスの話をし、財務官僚の行動と総理大臣の行動との相違という確執があります。そこにつなげるには2000年から2020年の戦いが見ものです。まだ結論が出ていません。そこですでに検討した、面白いテーマがあります。韓国IMF危機で韓国は何を学んだかです。韓国成長物語です。ここには日本人が肝に銘ずべき教訓があります。この教訓を糧に日本人はこれからの行く末を自ら学ぶべきと考えています。何しろ今のサムスンは株価総額でトヨタの2倍となっています。これは二人の日本人の教育と李サムスン会長の決断力のセンスの良さの成果です。この勉強を先にしたい。
Z. わかった。それが正しい手順かもしれないな。
【危機の経営】サムスンを世界一に変えた3つのイノベーション
著者は畑村洋太郎名誉教授+吉川良三 元サムスン電子常務/モノづくり経営研究センター特任研究員
第1章 李サムスン会長の危機経営
 サムスン会長の前半部分は9月号に記載してありますので、再読してください。
 ⅰ.サムスンへの日本の支援
  日本国は韓国から慰安婦問題、戦時中の強制労働と済んだ話をとりあげ、不愉快なことが多いが、ここで日本人の韓国サムスンへの支援を紹介する。
  1. ①1995年からサムスンの研究開発プログラムをつくり、世界に通用する製造業を作り上げるため、李会長から日本に協力依頼があり、日立が協力し、日本が開発したCAD/CAM の全技術を伝授した。このころの韓国は3流程度の技術レベルでこれの指導に当たった。韓国はすでに日本製品のモノ真似から出発していたが、それでは正しい技術導入にならないと、人による伝授されたノウハウ、細部での仕組み深く理解する方式を採用し、サムスンのレベル向上に貢献した。ここでの貢献の事例である。日本人は親切で担当者しか知らない細部のノウハウを教えてしまうことである。貴重なノウハウは教えてはいけないことがわかっていない。日本人は器用だから現場の責任者が素晴らしい重要なことをしっている。これに目をつけたサムスンは定年後の日本人技師を雇用し、すべてのノウハウを書類化してしまった。その資料は実は日本には何も残っていない。
教訓: お人よし、日本人があほだとみられているのを理解していない。
米国企業の教訓: (戦後の米国の特許)日本がナイロンの技術開発を自らの力で達成した。そこでデュポンに特許料を支払う条件として技術の開示を願ったが拒否された。しかし、日本の技術はすべて提出したまま返却されなかった。
日本人は自らの努力を無償で取られて感謝されるのではなく、代わりに軽く見られていた。
教訓: 外人にはこちらが不利でも、決してあやまるな。骨の髄までしゃぶられるだけ。

  1. ②次に日本が開発したDRAMの製造機械の使用許可、精密検査設備の使用許可を与えてしまった。
    何故サムスンに与えたのか?誰もわからない。
    その話を聞いたとき私は日本の負けを確信した。私が気付いた点はサムスンが使うDRAMの量は韓国が使う全DRAMの量、サムスンが提供する世界中のDRAMの量でDRAMの生産コストを計算すると、日本が作っていたDRAMのコストの1/100以下になると推定できる。
    一方日本の通産省はDRAMの製造許可を日本企業10社に配布した。日本企業の10社の独占権を与えた。通産はサムスンが産出するDRAMのコストとを意識していなかった。これ以降日本のDRAMを使う電気機器商品は売れなくなった。電器産業が国内向けにしか通用しなくなった。
    これは日本の官僚が東大卒を中心に独自の発想を行うことで、グローバルという発想 が日本から失せてしまったことによる。役所の判断はすべて、霞が関という地方政府が世界を見る方式に変わった。理由は日本官庁という枠から離れない発想がおおい。グローバル対応者は眼中から外されている。昭和の官僚は骨があった。平成の官僚はノブレス・オブリジュが見られない。
    1. ◎【ビジネスセンスに欠けた技術支援でサムスンを世界一にさせた日本人の親切心】
      誰が責任を取るのか?

第2章 韓国のIMF危機とその成果
Z. 今から思えばIWF危機は韓国をグローバル企業に育てた。
  1. 【危機の経営】第2章IMF危機
    1997年アジア通貨危機が発生した。韓国を含むほとんどのアジア諸国は米通貨と為替レートを固定化していた。この状況を見て、ヘッジファンドは「過大評価」と考えて、為替市場で差益狙いの、大掛かりな空売りを仕掛けられ、その結果自国の通貨を買い支えることができず、変動相場へ切り替えたことで、時価通貨が暴落し、当時の韓国は「給料の三割、四割カットが当たり前」という状況で、それでも仕事が続けられるのがマシな方だった。韓国はIWFの支援を受けることになった。韓国は融資条件として、従来の経済政策をあらためることで融資を受けられたが、融資条件として、緊縮財政をおこない、財政赤字をGDPの1%に減らすこと、為替安定のため金利上昇させられた。
    IWF危機以前はサムスンの秘書室には財務系エリート200名、技術系エリート200名いたが、危機に直面して技術系エリート200名全員がリストラされた。
    サムスンの整理統合は、一定のルールに基づいて、周りに有無を言わせず実行された。
    「海外への投資によって取得した関連会社はすべて売却」また、今利益を出していても、次の成長の種にならない事業も売却され、1998年秋までにグループ内の140社のうち四割、約60社が整理された。従業員のリストラは16万人から11万人まで縮小された。
    サムスンは1997年のIMF危機を一つの試練と、思い切った政策で、企業整理リストラを断行したことで、経営の心配がなくなり、世界の市場で高収益を上げる企業集団に変わった。
  1. ◎「危機感」と「危機意識」の違い
    では日本企業はバブル崩壊後何をしたか。大きな危機を迎えている点では、日本も韓国同様であったが、2008年から09年に畑村東大名誉教授が多くの企業人と話していて感じたことは、日本では大手企業人で本当の意味での「危機意識」を持っている人はほとんどいなかった。大半は多少「危機感」を感じているかなというレベルという感想でした。という発言があった。
    読者の皆さん日本人とサムスンの「危機感」と「危機意識」の相違は何なのでしょうか、考えてください。
    ここで賞金を出すとPMAJは「危機意識」の持ち主だと評価してもらえます。

☆ 第2章 IMF危機
 畑村コメント:サムスンは自社の強みを知っていた
 ⅰ.IMF危機でサムスンが実施したグループの再編は「サプライチェーン」を意識して実行した。
  1. 【重要】 ここでの「サプライチェーン」とは、ある製品やサービスに関して、原材料の段階から製品化を経て、最終的に消費者の手に届くまでのすべてのプロセスを指す。そして、当時のサムスンのグループ編成は、この「サプライチェーン」のすべてのプロセスが「自社の中で完結している事業以外はやらない」という方針で進められたと思われる。これは本当に競争力のある会社や事業だけを残すのが狙いだった。
  2. 【理由】 「サプライチェーン」が自社内で完結している場合、その事業の全体像をつかみやすい。すべてのプロセスに関与しているから、市場の変化や技術の進化、法規制といった情報が常に入ってくる。例えば新たな価値がどこでうまれるとか、どの部分で問題が生じやすいといったことを含めて、事業強化に必要な大事なことがすべて把握できる。
Z. IWF危機に関連しない日本企業の対応はどうだったか調べてみたかな。
2,000年経団連傘下の大企業の社長はどのような危機感とどのような抱負を持っていたかお答えください。
芝 安曇提案:
  1. ①インターネットの普及で経済の量が拡大し、ビジネスの規模がかわった。
    それを達成するにはIT化への展開が求められた。
  2. ②2000年時代に米国企業ではIT活動で日常の事務部門でも10倍程度の生産性を上げていた。従来は紙を活用していたが、米企業での情報伝達はPCによるもので、そこには情報配賦役と紙代、インク代が節約でき、キャビネットの減少につながった。10倍の生産性向上。
  3. ③経団連の高偏差値秀才幹部クラスは、事務のIT化など教科書になかった新提案を探せなかった。何をするべきか理解できなかった。そこで彼らは米国人IT業者に相談し、米国企業が現在使っているITソフトを購入し、米国並みの経営ソフトで、合理化を図った。準備ができて、米国式経営ソフトが動きだしたが、残念ながらそのソフトに載せるデータが自社にないことが分かった。そこで米国ソフト提案者が、業務の運用を米国版にすることを要求し、大枚掛けて実践してみたが、米国版は日本企業の経営方式(アナログ式)と違ってレベルが高く、使えないことが判明した。日本はいまだに稟議制で、低速回転である。結論は折角高価な金額で購入したソフトが使えず、今度は大枚払ってアナログ方式に取り換えたという、お粗末な結果になっている。
Z. それは少しお粗末な気がするが如何かな?
I. 11月号はサムスンの【3PI】の話でサムスンの実力評価を行います。
Z. それと並行して2000年から2010までの日本企業の経営情報を説明して欲しい。
I. 了解しました。バブル崩壊後の実施した政策と問題点を調べて欲しい。
「『日本のGDPの流れと何が日本経済の成長を止めたのか』を提案します。

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