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日本の危機の認識とプロジェクト・マネジメント活用への提言 (17)

東京P2M研究会 渡辺 貢成: 9月号

1990年~2000年の報告
Z. 先月号では戦時中の慰安婦問題の話がでたが、もっと両国にとって価値のある関係を結ぶきっかけが欲しい。
I. 承知しました。
しかし、一つの民族と他の民族が合体したとき、平等と言いながら自然と差がつくようになります。また、良かれと思って実施したことが、逆に解釈されることもあります。特に韓国は地理的には中国が隣国です。中国文化は韓国経由で伝達されてきたので、韓国人は日本に対し長年優越感をもっていた。このことに気配りしながら書いてみます。

1 ) 日本人の韓国への支援
  1. (ⅰ)戦後の日韓関係は韓国初代大統領李承晩以来仲の良い関係はなかった。
    韓国第15代大統領 金大中氏は大統領になる手前の1973年に日本に亡命し、日本で政治活動をしている時、韓国からのやくざ、九州からのやくざが日本のホテル・グランド・パレス2212号室から金氏を拉致し、ヘリで神戸に運び、金氏を海に投げ出す瞬間、日本のヘリが照明弾を落とし、金氏の投下を防いだ。韓国やくざは釜山で金氏を開放した。1997年に大統領になると、金氏と日本の関係が深くなった。金大統領は1998年日本国小渕総理と共同宣言を発表し、韓国唯一のノーベル賞を受領した。
    金大統領は国の繁栄に文化が必要だと宣言し、李御寧氏を初の文化大臣に任命した。
    この李御寧氏は1982年に東京大学に留学教授として働いていた。そこでソニー製の家電製品を見て【「縮み」思考の日本人】という本を出版し、世界は皆「壮大なものにあこがれているが、『これからは日本が進めている「小さいモノ」、「小さいコト」が伸びる』という見解を披露した。

  2. (ⅱ)金大統領は韓国の文化を大事にまもり、発展させたいという信念で、J―POPに負けないK-POPを活性化させた。次にしたことは韓国の商品開発を実践する方式を考えた。日本製品は先進国仕様であるが、先進国はデフレが続くと考え、アジア地区向け製品開発を始めた。まずアジア地区で1国一人の地域開発員を派遣させた。調べたことは、当地の文化、当地人が買える価格と商品としての機能、利便性を地元の気の利いた人からの聞き歩き、意見を取り入れた試作品の開発を行わせた。また、現地では、多くの提案者に面接し、鋭い提案者の雇用等も行い、アジア圏での日本商品の浸透をすべて防いでしまった。

  3. (ⅲ)残念ながら日本企業は新興国への関心より、自社製品の宣伝を優先したため、新規市場開拓という発想がなく、新市場から締め出されてしまった。
    1. ◎この項は韓国が新規感覚でご当地向け新商品の開発を行い、日本人は自国製品の再開発を新しい感覚で実施しなかった。
      9月号では、このような過去のいきさつを文書化し、双方の発想の違いを学び、次に協力の仕方を考えてみたい。

2 ) 日本人の韓国人への支援、韓国人の支援に対する日本人の評価
  1. (ⅰ)原発会社・鉄鋼会社等での事例
    韓国人は原発や鉄鋼会社で新技術が発表されると、新しい資料が欲しくなり、現場へきて技術的な内容その他の資料をもらいに来る。しかし資料を提供すると、1か月後別の人物Bが現れ、資料を要求する。日本企業はAさんに資料を提供しました。同じものを私にもくださいと要求します。日本企業はかれの資料でコピーするよう示唆します。
    そこで訪問者曰く、あなたが提供した資料は彼の所有物です。私にも提供してくださいという。不思議に思ってあなたのところでは、コピーして皆に配布しないのと問いただすと。「はい、韓国は個人主義です。あの資料は彼の所有物だからもらえません。彼に提供できるなら私にも提供される権利があります。韓国人は個人主義なため、同僚には資料を渡しません。個人の持ち物を大切にします」。
    これに対し日本人はすなおに理解できませんが、【我々は会社主義だから海外出張者が得た資料は会社に提供されたものとして、誰もが見られる形で保存されている。しかし、韓国では【私は自分の努力で資料を入手したので、他人にはあげません。必要なら自分で資料入手を交渉しなさいとA氏はことわる。そこでB氏はA氏に資料を提供したのなら、自分にも入手できる権利があると主張します】

    しかし、読者の皆さんは韓国人のおかしな発言に気が付きましたか?この発言に気が付かないと、あなたは骨の髄までしゃぶられることになります。
    日本人は国際社会に進出するには大きな欠点があることを日本人社会が理解していないことです。それはダブル・スタンダードという概念です。「国際的には国際スタンダードを遵守するが、国内では別の規則が成立する」という問題です。
    国際的にはダブル・スタンダードはあり得ません。本来ならこの追及が必要ですが、そこはさておいて、問題点を指摘してください。

Z. 上段で「Aに資料を渡したのならば、私(B)にも請求する権利がある」という文章だが、資料をあげない権利があるということを明確にする必要がある。日本人はお人よしだから資料をあげてしまう。そのけじめがないから慰安婦問題が片付かない。
I. 同様な問題で、戦後先進国が示した特許権に関する厳しい要求を披露する。
第二次大戦で日本からの絹製品輸入が途絶えて、デュポン社が代替品としてナイロンを開発し、絹製品以上の成果をあげた。日本は日本式の絹代替品を発明し、特許を提案したが、承認されず、日本はデュポン社に特許料を支払って使用許可の権利を得た。しかし、デュポン社はナイロンに関する技術的資料は一切開示しなかった。
日本は半導体政策として精密度の高いDRAM本体を製造する機械とDRAMの製品検査をする機械を開発して、DRAMの独占を可能にした。日本はサムスン支援の一環としてうかつにもDRAM製造機、検査機の使用許可を与えてしまった。
経産省は用途多様なDRAMを日本10社に使用権を与えて、半導体日本国を旗揚げした。しかし、サムスンは韓国全土で使うDRAMの数、世界で使うDRAMの数、その他で試算してDRAMのコストを試算し、日本企業1社の生産能力から試算したDRAMのコストを比較し、ほぼ全世界のDRAM販売に成功した。
このためDRAMを使うと期待された膨大な新製品がすべてサムスンの製品になり、期待された21世紀製品の開発が失せてしまった。
  1. ◎世界の試練を知り抜いた先進国の行動は学ぶにあたいすることを、日本人は肝に銘ずべきである。

  1. 3 ) 次にサムスン李会長の決断力【3PI運動の紹介】をした後、現在の日本の政府の実態を紹介して「それで日本は生きていけるのかの判断」を読者の皆さんで考えてもらいます。

  2. 4 ) サムスンへの支援
    参考図書:畑村洋太郎東大名誉教授、吉川良三元サムスン電子常務/東大モノづくり経営研究センター特任研究員著【危機の経営】サムスンを世界一企業に変えた3つのイノベーション
Z. サムスンと言えば韓国では一流の企業だが?
  1. (ⅰ) サムスン会長はなぜ大改革が必要だったのか。
    日立製作所の吉川良三氏はサムスン会長に呼ばれて、サムスンは今大改革を必要としているということでサムスンへの入社の依頼があった。サムスン会長の基本的な課題はグローバリゼーション下での新しい発想を「重視した経営」であった。当時のサムスンの製品の質は3流であったが、3流では世界的シェアを取れる経営はできないという危機意識の中で考えた基本思想を表明した。
  2. (ⅱ) 次にサムスンへの支援
    1995年からサムスンは研究開発プログラムをつくり、世界に通用する製造業を作り上げるため、日本に協力依頼があり、日立が協力に応じ、日本が開発したCAD/CAM の全技術伝授の話があった。1987年サムスン会長からの依頼で訪問し、調査の結果当時のサムスンはCADシステムを使いこなすだけの能力はなかった。翌年にまた訪問したときは最新式CADシステムがありましたが、全く機能しなかった。この時、サムスンの中で一番という工場を見学し「回転式洗濯機」を見たが、設計室も工場内もひどく散らかって管理がいい加減であった。帰国後CADの協力要請をことわった。
    この結果サムスン会長はさらに強い危機感を持ち、国内でこの調子であればグローバル化できないと考え、製造現場のデジタル化を進めることで、これまでの方式をすてた。

    サムスン会長が決めた質のイノベーションを下記にしめす。
  3. (ⅲ) サムスン会長が決めた「3PI運動」
    会長が決めた大改革は3つに分類できる。
    1. ①「パーソナル・イノベーション(意識改革)」
      社員の意識改革のことで、グループの文化を変えるのが狙い
    2. ②「プロセスイノベーション(全プロセスの改革)」
      すべての仕事のプロセスを見直し、効率化を図ることで競争力を高める狙い
    3. ③プロダクト・イノベーション(革新的製品の創造)」
      競争力の源となる革新的な製品を開発する力を向上させる
    詳細は10月号で記載する。

  1. (ⅳ) 運動が始まってからの成果
    1. A. 「パーソナル・イノベーション」は遅々として改革が進まなかった。その理由は
      1. ・ 韓国人は基本的に個人主義で、会社の中に、相互不信、個人や集団利己主義、権威主義や他律、日和見、無責任など弊害がはびこっていた。
      2. ・ 吉川氏が最初に実施した仕事は「すべての技術情報をグループ単位で共有して、革新的な製品を生み出す情報システム」をつくるため、CAD システムの導入と、デジタル化と同時に行い、生産などすべてのプロセスのイノベーションを一気に進めた。しかし、指示をした仕事がなかなか進まなかった。
      3. ・ その原因は2つある。もともとサムスンには開発や生産などに一定のプロセスがなく、行き当たりばったりで仕事を進めるのが当たり前になっていた。
      4. ・ もう一つはECIMセンターの優秀な人材たちに問題があった。彼らは本当に優秀だが、どこか現場を見下しており、現場に行かせ実態調査を指示したが、現場軽視で実行しなかった。彼らが現場調査を実質的に行ったのはIMF危機で、韓国ウオンは危機前の1ドル850ウオンが、年末には1,800ウオンとなったときから現場調査を実施するようになった。
        3PI運動が軌道に乗ったのはIMF危機以降であった。

    2. B. 畑村コメント:トップの視点・トップがやらなくてはいけないこと
      畑村東大名誉教授は3PI運動を細かく見定め、理想的な組織形態が整うために必要な手法をすべてまとめることに成功した。この手法は危機が訪れたことによって、シビヤーに行うことに対し社員がIMFのシビアな要求をまとめることで、その後の成果が出るようになったことである。
Z. 9月号の役割はIMF危機の実践でレベルの上がった3PI運動の成果を見て、来月以降提案する日本国の危機回避計画をつくることと言える。
I. サムスンの3PIイノベーションを見極めたことで、日本企業の実践イノベーションを考えることだと思います。
畑村コメント
  1. (ⅰ) 失敗回避の予兆
    大きな失敗の前には必ず予兆、すなわち危険を知らせるサインが現れる。
    ところが、このサインを受け取ることができない人はたくさんいる。
    それは多くの人が、起こっている事象を、ある一つの方向からしか見ない固定的な見方しかできないからだ。この見方は、本人の好みや過去の成功体験などによって規定されるが、一度固定的な見方をすると、見方を変えることができなくなる。そのせいで、他人がみれば「危険極まりないこと」が目の前に迫っても、本人は全く気付かないことがよくある。特に危険を回避するには、自らアクションを起こし、物事を変えなくてはならないが、固定的な見方しかできない人は、判断が遅れる。
  2. (ⅱ) 組織の空気、雰囲気、文化の影響
    組織が大きく失敗することがあります。組織には特殊な空気、雰囲気、あるいは文化があります。組織の中で慣れ親しんだ価値観があります。よその人から見ると「危険極まりないこと」なのに、組織の価値観では「問題なく見えてしま」危険な道を進んでしまう。
    1. ・ このような「落とし穴にはまらないため」には、常に緊張感をもって複数の視点からモノを見る訓練が必要です。サムスンの会長は上記の判断をしてきたため「自分たち を取り巻く状況を、強い思いをもって判断していた。
      状況判断のいろいろな視点とは基本的に「人」「モノ」「金」「時間」で、全体としての戦略を決める時の重要な要素である。
  3. (ⅲ) 緊急時でも、常時でも企業のトップが心掛けることは
    1. ①組織全体の「気」に惑わされず、見たくないものをしっかり見て、
    2. ②事業全体を正確に把握し、その上で価値づけを行い、組織の人たちが正しい方向に動けるよう戦略を示す。
    3. ③価値づけとは「簡単に言うと組織にとって一番重要なこと何か、複数課題の中で何が上位に来るかきめて、徹底させることである。

  1. C. 読者の皆さん、今日本の現状を見て危機感をもっている読者が多いと思う。それはアベノミックスの成果に対する不満、財務省に対する不満が多いと思います。では、日本の現状をみると、アベノミクスは中途半端で前進していません。しかし、コロナ対策が主体となっているだけで、アベノミクスは休業状態です。
    幸いなことに韓国はグローバリゼーションに向かって着実に進展しています。そこで私が提案したいのは、日本の現状と、韓国の現状(サムスンの発展)に比して、日本に足りないものは何かという発想です。
    1. ◎日本と韓国の相違を成功事例と日本の行きづまり事例を比較して、どこに問題があるか、課題は何かを見つけて欲しい。韓国の進展の要因を学び、日本国の活性化をする方式を皆さんで考えてください。

これが9月号の成果です。
10月号は「IMF危機とはどんなものか」 「組織と人のイノベーション」の研究を覗いてみます。
以上

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