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日本の危機の認識とプロジェクト・マネジメント活用への提言 (16)

東京P2M研究会 渡辺 貢成: 8月号

1990年~2000年の報告書
Z. 今月は製造業世界一以降のはなしをしてほしい。
I. わかりました。オンラインジャーナルでは技術開発、新しい技術の紹介をしてきましたが、いろいろと変化の多い時代となりました。そこでプロジェクトマネジャー自在氏の経験則を書いたゴースト・ライターの芝安曇氏に支援をお願いし、グローバリゼーションで生きるには何が必要かといった、経済的な話、技術ではなく、彼の知的なセンスを利用した話をしてもらうことも考えました。日本の製造業は1990年に米国を抜いて製造業世界一となりましたが、日本国の経済成長率は2%を切ってしまい不景気になりました。

第1部 日本的な製造業の世界で実行していたこと
  1. ①日本の製造業は正確な情報伝達で、一つの製造ラインの中で、異なる部品が適切な時期に適切な部所に組み込まれて1台、1台客の要請に合わせた仕様の製品を完成車として、ラインから排出されます。この流れを成功させるにはトヨタ、あるいは日産、マツダといった親会社は複数の系列企業をかかえており、部品提供企業は工場内の倉庫の補給のために、工場外で部品トラックを待機させていました。日本企業の成功の一因は親会社と系列会社との緻密な提携が存在したことです。
    1990年になると景気はピークとなり、多くの商品が製造過剰になりました。ところが大企業は九州、関西、関東等で同じ型の製品をつくており、既に減産を求められていながら、社員の解雇はできず、と言って一工場まるまる閉鎖もできない状況となっていた。
  2. ②一方、日本は将来の発展を目指して巨大研究開発施設をつくばに建設する計画が決まり1970年に着手、1980年に施設の移転に成功し、1985年には施設の知名度の向上と企業の誘致を始めた。このつくば研究都市の成功をみて、賢い経済学者が財テクを奨励した。
  3. ③製造業のピークが下がって、財テクが時代の寵児となり、まず上級層が飛びつき、遅まきながら庶民もうなぎ上りするゴルフ会員権を買い、ゴルフの腕前の上昇と会員権の上昇を楽しんでいたが、1997年山一証券の自己破産でバブルがはじけた。当時は財テクしない企業は無能だと非難されたが、結果は逆で日本製造業の苦悩が始まった。
  4. ④他方米国の製造業は1990年以降「モノづくり」から、徐々に「コトづくり」に変身した。ここで「コトづくり」とは生産工程の合理化ではなく、工場の要所から出される記録(情報)をPCが受け止め、どの情報を変えることで、業績が上がるかという情報の最適化を見つける方向でPCを活用し始めた。ここで初めて米国で経営のIT化が始まった。
  5. ⑤更に、この時期の米国は偉大な力を世界に向けて展開した。1995年【インターネット】という通信網を全世界に向けて結合した。その結果このシステムにより、全世界に国境がなくなった。私たちはこの成功が世界を180度変える兵器だと知らなかった。
  6. ⑥次の課題は何だろうか?
  1. ⅰ)これからグローバリゼーションが始まります。グローバリゼーションとは何か?ということを注意深く考える必要があります。科学が発達するにつれて、情報という膨大な権力が世界を支配できることに気が付きました。
  2. ⅱ)国境がなければ税金を納めなくても非難されない
  3. ⅲ)それでは困るので、新しい各種条約が作られるが、先に作ったものが勝ちになる。
  4. ⅳ)グローバリゼーションの影響が大きい分野を調査し、有利、不利の判断し、成長する分野の開発を考える。(日本にはまだない)
  5. ⅴ)今世界でこの機会を有利に活用しているのはユダヤ系金融機関だと思いますが、それは金の投資で、金を生むことを実行しているからです。詳細は次回以降にお話しします。
  6. ⅵ)新情報として「米アマゾン・コム創業者のジェフ・ベソス氏、57歳、20日高度100キロメータのカーマンラインを超えて、無重力状態を経験する。自ら興した宇宙会社、米ブルーオリジンにとっても節目になる。ベソス氏はアマゾン編に続き、宇宙基地での工業化、半導体製造など地球に負荷をかける重い産業を宇宙に上げ、製品を地球に持ち込む、地球は住居と軽い産業に特化し、維持させる。という超長期的な構想を持っている。

第2部 日本人の発想と日本人以外の人々の発想
Z. 日本人の発想と他国の発想とは面白いな
I. この件は芝 安曇さんにお願いします。
芝. 物書きをしていると、人々はすべて違うけれど、多くの日本人はこんな発想だ、
という提案はできます。国民によって発想がちがうのは当然です。貧乏人、金持ち、北国、南国の人々に環境の違いがでてきます。
  1. ①日本が1990年製造業世界一になったときに気が付いた問題があります。戦前日本人は自国民以外の人をすべて外人と呼びました。欧米人はフランス人、ドイツ人、イギリス人等彼らの国名で呼びます。
  2. ②ところが日本人は戦前と変わらずCool―Japanで来日する外国人を本国名でなく、外人さんとして付き合っていますが、戦前とは全く違う感覚です。今の日本人は外人に対し、何か分け隔てのない謙虚さをもって付き合っています。これがCool Japan で見られる印象です。
  3. ③私は戦前の小学生時代に「日本は小さな島国だ」と教え込まれました。子供時代に覚えたことは明確に脳裏に残っています。戦後は負けたためか、小さな島国という謙虚さで外人に接しました。しかし、日本は製造業世界一になり、バブル期を過ごすと、今度は世界中が日本のアニメ、J-pop,ユニークな商品などに人気が出て、来日する外人が増えました。日本へきて日本人の女性を妻にする外人男性が増え、ちゃっかり日本に居座っています。
  4. ④ところが日本人はCool-Japanでこれから何をするべきか、答えが出ていません。
    しかし、外国人はその逆で、日本人と暮らしています。ロシアよりか日本がいいといっています。外国人と外国で暮らす人も増えてきました。今はバブルを過ぎていますので、日本の風景、生活を楽しむ外人が増えてきました。このことは大変結構なことですが、この国の人間はすぐ、小さな日本圏に戻ってしまい、Cool-Japan のテレビ放送だけで終わっています。考えてもわからないというが、物事の基本を知らない人が頂点に立っているから進展しないのです。
  5. ⑤You は何しに日本へ
    この番組の面白さは
    1. ⅰ)日本人と絆が強くなった外国人との関係とその延長が面白い。
    2. ⅱ)外人はやりたいことがあり、それを克服することに勢力を使っている
    3. ⅲ)外人から見た好ましい日本風景と外国人から見たビジネス展望がある。
  1. ①多くの日本人はいまだに日本は小さな国だと謙虚に考えています。実はこれは大間違いです。日本人は米国・中国の領土を見て桁違の大国だと感じています。しかし、日本は2000年までは第二の工業国でした。ではなぜ日本が21世紀からダメになったか、反省したことがなかったからです。
  2. ②質問があります。日本、ドイツ、フランス、イギリスの面積、人口の差はどのくらいですか。
  領土 (平方Km) 人口
日本 378,000 12,630
ドイツ 357,022 8,391
フランス 544,000 6,700
英国 244,820 6,600
日本は前から大国であった。
  1. ③Cool-Japan があるなら 次はCool-Globalization を考えよう

第3部 韓国慰安婦問題への研究
 
  1. ①明治期における日朝併合
    1. ⅰ)日本人はこれまで外国に占領されたことがなかったので、外国人に対する差別感がありません。ところが日本は明治期に朝鮮を併合しました。当時の朝鮮は南下するロシアの兵力に対抗できず「日本が支援しないとロシアは南下し、念願の不凍港建設を成功させることがわかっていました」。朝鮮国の王様は自分が阻止できないことを理解していました。日本人の王族と韓国の王妃の結婚等の縁結び、姻戚関係を築いて、朝鮮国も日本皇族の一員ということで条約が成立しました。
      その結果、日本はまず約束通り防衛施設の建設があり、釜山から中国国境までの広軌の新幹線の敷設、韓国の丸坊主な山林の植栽、帝国大学の設置と日本の資金で近代国並みの施設をつくり、日韓双方に寄与する体制を作り上げました。

  2. ②ここで改めて西欧人の植民地政策を勉強します。イギリスのインドへの植民地政策は、インド が持っている金で近代化を果たし、収益はすべて本国(英国)に送付しました。これが植民市支配だという西欧的規約が出来上がりました。

  3. ③他方台湾の植民地化方式が日本に委託されました。
    その時期に、日本は日清戦争の勝利品として台湾を日本の領土としましたが、日本は日本流のやり方で対処しました。初代総督は日露戦争で有名な児玉源太郎総督で、有名な後藤新平総督は3代目で「植物移植の政策と称して、その土地に芽生えたものを育てる政策を打ち出し、台湾の近代化を図り、台湾人から慕われました」。

  4. ④韓国の慰安婦問題があります。
    1. ⅰ)1994年、社会党村山総理の時代です。日本の新聞を読むと韓国側から、「戦時中の慰安婦問題は韓国で怒りの対象になっている。日本はそれを戦時中の誤りだと発表してくれると韓国人は皆納得してくれる。この問題は日本が謝ることで早期解決にする」という言葉にだまされて合意したと書いてあった。
      私が外国の仕事をするとき、外人は自分に落ち度があっても絶対に誤らない。誤れば、自らの悪を承認したということで何回でもやられるよと注意を受けました。

    2. ⅱ)私はシェル石油ドミニカ共和国製油所建設プロジェクトで、この忠告をうけ、正しいことは喧嘩しても貫きました。
      内容はトラブル発生があり、解決案を提出したところ、客先は独自の案を提案した。
      議論の末、客は「客がやれという提案を何故やらないのか?」、私「お客さんがご自分の案をギャランティしてくれたら、受諾します」、客「俺は客だよ、客がギャランティするのはおかしい」、私「客がギャランティするのはおかしいは正解です。私は業者ですからギャランティが必要です」。「お客さんどちらを選びますか」。「そりゃー、ギャランティする方さ」と笑って答えた。日本人の顧客と違い、オランダ人は契約を守ることで、私の主張を理解してくれました。

    3. ⅲ)私は一国の総理が「問題解決は総理が謝ることで国民が納得する」というウソを真に受けて、「日本流に承諾してしまいました」という一言に危惧を感じました。世界を相手に仕事をすることは、脳内発想を世界基準に合わせないとトラブル発生の原因となります。本件は悪く言うと一国の総理がオレオレ詐欺に引っかかったのです。
      私たち日本人は曖昧さの中で生活している面があります。本件は貴重な事例です。私たちも大いに肝に銘ずべきです

    4. ⅳ)さて話を戻しますが、私は戦後満州からの引揚者で、戦場慰安婦の総元締め的存在の女性親方から話を聞きました。「慰安婦問題は日本軍が戦地に滞在すると、兵士が欲望にまけて、現地人への暴力行為が発生する。これを防ぐのが慰安婦で、日本人、朝鮮系日本人すべて、募集に応じた人たちだそうです。私は日本軍が占領先で、住民への暴力を防ぐ仕組みがあったことに驚きました。

    5. ⅴ)さて、読者の方は知らない方が多いと思いますが、韓国はベトナム戦争で慰安婦問題が世界的規模で取り上げられています。調べてみると
      「ライダイハン(ベトナム戦争下で生まれた戦争孤児)のための正義」は2017年9月12日イギリスで設立された市民団体で「ベトナム戦争で韓国兵士に性的暴行に遭った女性たちが過酷な人生を送っていることを知らしめる目的でイギリス市民活動家であるピース・キャルロが呼びかけた。
      2020年3月27日にはBBEが「1968年9月12日何百人もの女性を苦しめた年」という記事でベトナム戦争における韓国兵士によるベトナム人女性への性的暴行を特集し、謝罪を求めた。
      これに対し韓国は「第2次大戦中に何十万人もの韓国人が性的奴隷として働かされたことを巡り、謝罪するよう何十年も働きかけるが、日本は謝罪しない」といって韓国は上記謝罪要求を無視しているようです。
      韓国はベトナムでの暴行事件を「第二次大戦中に日本人は韓国人を奴隷化して犠牲にした」と述べているが、日本には奴隷という制度はなく、戦時中に韓国人女性を奴隷化したら、韓国人の大きな抵抗にあい、第二次大戦を続けることは困難でした。それが事実なら戦後の韓国政府に対する補償事項の中に奴隷制なる事項が書かれているはずです。決められた日韓条約を、時間の経過後で、常に新しい要求をだす韓国人は日本に対し、過酷な要求をしていたはずです。

      しかし。両国は常に関係改善に努めることで、グローバリゼーション下で両国の地位向上を図ることが重要です。したがってこのような暗い話は両国の関係改善に利する話ではありません。9月号では日本が韓国へ誠意を尽くした支援の話を進めます。
以上

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