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日本の危機の認識とプロジェクト・マネジメント活用への提言 (15)

東京P2M研究会 渡辺 貢成: 7月号

Z. 私は最近3つの問題について大きな懸念を抱えている。第一がコロナ対策への懸念であり、第二が安倍総理の突然の退任による今後の問題、第3が日本企業が実施している【メンバーシップ型/雇用】組織と米国式「ジョブ型/雇用」組織を比較して、アベノミクスで活用してみてはどうかという点だ。
欧米で実施している「ジョブ型/雇用システム」を利用すると、今コロナで実践している自宅での業務遂行がやりやすくなると思うよ。“家庭での業務”と会社の事務所で働く場合の生産性の向上という点でメリット/デメリットを調べられる。

I. 承知しました。この件の問題点を指摘します。
  1. ⅰ)日本企業は欧米の雇用関係と相違があります。日本企業の雇用方式は、3月卒業の高校生、大学生を対象に入試を行います。合格した新人は入社して半年から1年間新人研修が始まります。1年過ぎると種々の業務機関へ2年乃至3年間の新人ローテーション教育が実施されます。企業によって異なりますが、十年過ぎた段階で早い遅いはありますが、班長、係長に抜擢されます。抜擢された人は、この時期にひと工夫が必要です。他人は人の工夫をよく見ています。ここで名をあげると、この社員は出世の階段を容易に上っていけます。
  2. ⅱ)欧米の企業は新人教育がありません。個人の教育は個人の責任範囲内で実施しています。個人は職種の資格をとって企業の上司と面談し、報酬をきめて契約します。彼はA社IT部門XXの資格を認定されて、IT部門に入社します。欧米の会社は同一業務、同一賃金が決まっており、報酬が確定されます。そこでは業績が上がればOOの報酬にする旨の契約となっています。
    面白いことに米国人はまず、資格を取ると当該資格のユニオン(労働組合)と契約します。そこでユニオンは資格者と相談して、希望の企業と契約させます。米国の企業は不況になると、過剰な人材を即解雇します。解雇されたら、契約したユニオンに戻り、次の就職先をユニオンに依頼します。ここでありがたいことは、失業中はユニオンから失業保険をもらいます。ユニオンは失業者への保険代理業だけでは、食べられないので懸命に次の職場を探し、よい契約を結ぶ努力をします。
  3. ⅲ)日本の雇用形態は◎◎株式会社へ、高卒、大卒の肩書で入社します。
    新人は6年前後の社内教育をすませて、決められた職務部門に配属されますその後は、会社の都合に合わせた仕事を続けます。米国と異なり、終身雇用なので、退職するまで◎◎株の社員です。
    現在も終身雇用の規約そのものは変わっていませんが、製造業最盛期の1990年を境に状況が変わっています。日本が「工業化社会」だった時代は90年代半ばがピークでした。1995年になると、インターネットネットが普及し、企業の仕事の中身が素早く転化します。この問題は日本の将来を左右する問題です。日本は何をしたか研究し、このコラムで後日提供します。

  4. ⅳ)国内新車販売台数は1996年がピークで、漫画発行部数は1995年が653万部で、2008年には278万部に減少です。日本製造業のピークから見ると、急激に人気が下がっています。
  5. ⅴ)雇用者の平均賃金は97年から2010年で15%低下、生活保護者は95年に最低の88万人から2011年には200万人を超えました。
    1. ・ 日本で製造業の就職者が農林水産を抜いたのは1965年(東京五輪の翌年)、製造業のピークは1992年、サービス業の就業者が製造業を抜いたのは1994年、製造業の就業割合が1992年25%、2011年で16%に下落。
  6. ⅵ)機能不全になった日本型工業化社会:
    日本型工業化社会は、1990年に至り機能不全になっていった。1980年代の後半、円高、冷戦終結によって、大手製造業が中国やアジア諸国に生産拠点を移すようになり、次にバブル崩壊で、製造業の就業者数は減少し、非正規雇用が増えていった。
  7. ⅶ)80年代後半は日米構造改革協議で多くの規制緩和と自由化が行われた。この影響で、日本の商店街は大型店舗の出現で急速に活性化したが、個人企業の商店街がさびれた。
    1. ・ 経済の低迷で日本政府は公共事業を増やすことを実施し、公民館や大型道路を建設したが、目的と違って、逆に人口が都市部に向かい、地方過疎化のストロー効果が起き、公共投資はピークを迎えた。2008年にはリーマンショックで、ポスト工業化社会への移行が始まった。
  8. ⅷ)日本はこの難関の中で1995年阪神・淡路大震災が発生した。
    1. ・ 1997年「山一証券の自己破産」による金融危機の始まり
    2. ・ また、その後の米リーマンショックからの影響も大きかった。
  9. ⅸ)2011年の東日本大震災でのダメージ
    1. ・ 東日本大震災の1部として福島原発、原子炉容器内燃料棒溶融事故原発で今一番重要なことは、おざなりな政策決定ではなく、初心に戻り、大改革をするもの、小改革ですませるものを選び、再出発が期待される。

Z. いろいろと調べてくれてありがとう。時代の流れ、日本という国は災害で成り立っているが、今のままでいいのかな!
I. 日本人は極めて陽気で、義侠心に富み、世界中の人から愛されています。
しかし、災害続きで、これを克服することを要求するのはむずかしい。
ここで私は以前PM普及の仕事を進めた時に、初期は技術的側面を重視して教育しました。しかし、実際に教育してみると、教科書にない部分で重要なのは人間的側面でした。理想的には【「知識+知性」と「人間性」】の両立だと思います。しかし、人間的側面を教えることは大変困難で、戦前の帝大は「高等学校という予備部門があり」哲学的要素を取り入れていました。
私の危惧は現在の「日本の教育は東大というエリート人材をつくるための試験である気がします。そして東大族で構成した官僚組織、東大族で固めた経団連組織が思い通りの政策を実施しています」。

ここには平成30年の実績があります。東大族で固めた日本国官僚組織は東電福島第一原発の津波対策を提案した2つの電力会社の提案を無視して対策をしなかった。しかし理由がいまだに出されていない。これらは技術の問題でなく、人間性の問題だとおもう。

組織が同質の人材で固められると、人は安心し、感性が鈍化され、大きな失敗をおかします。いまの日本はたるんでいることが確実です。非難することではなく、問題点を見つけて早急に対処して欲しいと思います。

I. 今日本はかなり困難な問題に取り組んでいます。多くの取り組みで困る問題は技術的な問題より、組織の組み合わせで成功することが多く感じられます。この難関を解決するために、人間系業務改革者:芝 安曇さんを紹介します。

芝 安曇氏の紹介
 
まず最初に申し上げます。コロナ、アベノミクスも大事ですが、解決法が行き詰っているところがあります。この場合は発想を変えて、同じ問題を見直すと、解らしきものに突き当たるかもしれないという提案です。
私はプロジェクト・マネジメント(PM)の実践的専門家の一人と自負していますが、芝安曇さんは違った角度から良いアドバイスをしてくれます。
PMの専門家といっても種々な専門があります。
  1. ①PM企画専門家
  2. ②PMの全体を統括するマネジャー
  3. ③PM内の設計各種専門家
  4. ④現場責任者
  5. ⑤PM営業
以上が業務遂行のための専門家です。
これらの専門家は今もそろっています。
平成9年【プロジェクト・マネジメント思考による日常革命】―プロジェクト・マネジャー自在氏の経験則―なる本を出版しました。ここでプロジェクト・マネジャーの人間的側面がプロジェクトの成功に深く関与していることを経験しました。
ところが私の知識が不足しているため、自在氏以外の人の経験も欲しいということになり、「ゴーストライターの芝安曇氏」に自在氏の経験以外も含めて、考えられる経験則を拾い集めて、プロジェクト・マネジャー自在氏の経験則をまとめ上げてもらいました。
読み返してみると面白いことが書いてある。欧米社会で通用しないことが、日本では多く通用している。米国は歴史的に見れば後進国です。後進国は行動すると、先進国に早変わりします。厳しい法令をつくって、社会を動かしてきます。しかし日本人は千年以上の実績があります。この本を一読し、何かに躓いたとき読み返すと、ベテラン並みの成果を発揮できます。ご協力お願いします。

芝 安曇 です。
私は立派なことをしたいと考えているわけではありません。世の中は種々な問題が起こり、種々な方法で問題解決が図られています。
例を申し上げます。民間が実施している手法は大まかで、周辺がぼやけた中で運用されている。うまくいきません。その運用が悪いからではありません。その仕事を継続した人間は、この宝物を放さないからです。日本には「ホンネとタテマエのケースが、小集団の中で成立しています」。日本には「裏と表」という概念もあります。人に対する説得の仕方が金の卵になります」来月号から実体験のエッセイをこの欄でご披露します。
以上

追伸 : 来月号は1990年~2000年の報告書、2000年~2015年の報告書
をお届けします。

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