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日本の危機の認識とプロジェクト・マネジメント活用への提言 (14)

東京P2M研究会 渡辺 貢成: 6月号

Z. 新型コロナ発生を通じて、このエッセイもまとめ方の検討をすすめる必要に迫られていると感じた。今月号は過去を整理し、その結論の中から、アベノミックスの方向を見定めたいいと考えている。どうだろうか!
I. わかりました。今まさにアベノミックスの将来像を再検討する時期に来ています。
しかし、私は明治以降日本人の戦略について信用できないでいます。政策がバラバラで関連性がないからです。以下に日本国の戦争参加とその動機から入ります。
  1. (1) 第2次世界大戦への参加の動機と、戦争をやめるまでの戦略があったかどうか?
    1. ①当時の戦況:欧州で英国、フランスの同盟軍がドイツに攻められて、このままでは敗戦の憂き目をみると思われていた。ロンドンはドイツのミサイル攻撃で、形勢不利であった。英国・フランスは米国軍の参戦を待ち望んでいた。
    2. ②ところが米国民は自国外の参戦をしないというモンロー宣言を忠実に守っていた。そのため米ルーズベルト大統領は日本の弱みである石油の輸出禁止を同盟国に通達し、日本を困らせることで、日本の参戦をうながした。
    3. ③其れに対し、日本はこのままでは石油不足で生活ができないと、最後の決断を実施した。ところが日本の参戦は単なる名乗りを上げた参戦ではなく、誇りある米国海軍の主要戦力を完膚なきまでに破壊した結果、米国民の参戦拒否の姿勢を参戦に切り替える動機をつくることになった。
    4. ④日本の参戦に対し、チャーチル英国首相は「日本人は駆け引きという商法を知らない国民だ」と結果に対し、ほくそ笑んだ。
      結論:戦いはどのように終結するかを決めてからするのが賢い戦略である。
      日本陸軍のビジョン:終結案は1億玉砕である。
      盧溝橋事件:支那事変の動機(いろいろと説があるが、中国共産党の仕業という説が有力という話もあります。)
    5. ⑤米の戦略と日本の戦略の格差:
      1. ・ 第2次大戦中、米国海兵隊の終局の訓練はサバイバル訓練(捕虜になることも可)であった。【負けても死ぬな!】
      2. ・ これに対し日本軍は特攻隊で人間を犠牲にした。
    6. ⑥米国空軍のゼロ戦対抗グラマン戦略:1対1、1対2までゼロ戦の勝利、1対3もかろうじてゼロ戦の勝利(3機目は新人パイロットのため、狙われて墜落)、1対4グラマン勝利。理由新人パイロットに遠くから実践見学させた結果として4機目はうまく、逃げ込めた。3機のグラマンがゼロ戦をとらえ撃墜した。以降グラマン機の破損なし。
    7. ⑦米国はゼロ戦に対抗できる新型機の開発をしなかった。
      1. ・ これに対し、もしゼロ戦が負けた場合、日本はゼロ戦を改良したはずと米軍は理解していた。
        理由:物資不足の日本国は、軍人の損害より飛行機の損害を憂慮していた。

  2. (2) 第2次大戦後の米国人の生き方、日本人の生き方(1985~1990)
    1. ①終戦後の米国占領軍は日本人の生き方に自決、玉砕も辞さない点に危機感があり、日本人が今後戦争に参加しない方向で国の再建を意図した政策を実施した。
      1948年に北朝鮮の侵略で、日本人にも自国を自立で守れる範囲を認めることを承認した。そこでは日本人に勤勉に平和的産業へ進む道を選ばせた。
    2. ②日米の製造業へのアプローチ:米国製造業は合理性の追求としてテーラーの科学的管理法を展開していた
      日本の製造業はドラッカー博士が推薦するデミング博士の統計的手法を用いた品質管理法を採用しさせ、米国製造業を凌駕した。(大成功)

  3. (3) 1990年(日本製造業世界一、ソ連崩壊)~2000年
    日本の現状は製造業世界一となった。この時期は原子力発電の急速な拡大、国際宇宙ステイションへの参加等で、つくば地区が学園都市として飛躍的に拡大した。その結果不動産業者による「財テク戦略により、ゴルフ会員権の急速な値上がりで、サラリーマンの退職金を超えていった。幸い“つくば学園都市計画”が成功裏に発展し、日本人は自称中級レベルから格上げして、中級の上を唱えるようになった。
    しかし不幸なことに1997年山一証券の自己破産でバブルがはじけ、サラリーマンの夢は一夜にして崩壊した。

  4. (4) 1995年以降米国製造業の再生はどうなったか(1995~2010)
    米国企業はインターネットを利用してグローバリゼーションに向けた戦略をそれぞれの企業が創設していった。そして経営者は何を獲得したか!
    経営者はインターネットという武器が今まで知らなかったモノ、コトを教えてくれた。【それは情報というものであるが、注意深く情報を集めて自分の知りたいことを学ぶと、いろいろなことがわかってきた】。地域による物価の相違は、大きな収益を生むということ。人々を喜ばせる何かを見つけることができる。『幸福も掴むことができる』。【アナログ(紙の文化)からデジタル(電子の文化)の活用でできる安上がりの通信はスピードという収益を生むことも理解できた】。5月号でお知らせした【デジタル・ビジネスデザイン(DBD)戦略】は5月号に記載したが、6月号では第3章までの総論部を示し、何がどのように儲かるかを説明した。
    1. ①米国の製造業はインターネットの普及で、大きく進歩した。
    2. ②経営管理は紙による文書化から、パソコン(PC)上での電子式管理にかわり、デジタル化による「資産」の効率向上、「コスト」の削減、「サイクルタイムの」迅速化、真の生産性を測る唯一の基準、生産性を向上する賢明な順位、未来への投資への重要性を重視した。
    3. ③本書デジタル・ビジネスデザイン(DBD)戦略は全第15章でまとめられているが、IT経営を15の戦略でまとめられている。それぞれの手法が企業人に新しい知識を与え、デジタル化の持つ収益向上のノウハウを教えている。
      第1章 デジタル・ビジネスデザインとは何か
      1. ・ DBDの真の恩恵でどんなイノベーションを生み出したのか。
      2. 第2章デジタル・ビジネスデザインの出発点
      3. ・ アトムの管理(従来の帳簿管理)、ビットの管理(データ収集、分析、モデル化といった情報操作→情報をデジタルに管理するビット・エンジン
      4. 第3章(これ以降は実践事例紹介)「チョイスボードがもたらす革新」
      5. ・ 顧客は自分が欲しい最小の要求をチョイスボードで知らせ、双方の無駄な要素を取り除くことで満足した受発注方式が生まれた事例
  5. (5) 米国型グローバリゼーションの問題点。
Z. 米国のグローバリゼーションとはどのようなものなのか説明して欲しい。
I. 日本の企業は高度成長時代をとおして、画期的な組織活動をおこない、生産性と品質の高度化で世界をリードしてきました。
ポーモル/デロングの成長収斂仮説 図2.日本のキャッチアップ
上記第2図は1870年から1995年日本の成長率2.7%で成長率1.8%の英国、オーストラリアを凌駕して、画期的な貿易をしている。
ポーモル/デロングの成長収斂仮説 図3.BRICSのキャッチアップ
しかし、1990年で製造業がピークに達した日本は世界一を誇ったがました。1995年~2005年では成長率1.1%で輸出は停滞します。この第3図では米国の同様に経済成長に陰りがでます。そこで中國が勢力をのばしてきました。
Z. ピークが来た先進国は今後どのようにして成長率を高めるのだろうか。
I. 2000年以降米国の経営はインターネットの普及に応じてITを活用した経営に切り替え、生産性を高めていきました。しかし、成長率2%の米国も貿易輸出は容易ではありません。賢いユダヤ人は(米国の経済戦略の元締め)「どえらい」ことを考えました。米国からの輸出は無理だ。米国FRBはユダヤ資本に100倍のデリバティブを付けることで、中国へ輸出させる中国企業を探し、米国51%中国49%の合弁会社を設立しました。この米国系合弁会社は100倍の資金で、巨大な製造設備作り、中国内の生産を一手に引き受けました。他方米国側合弁会社は米国側の製造業の役割を果たすために、企画部門、設計部門を引き受けました。そのため米国内の製造部門が無くなり、中国が製造国として輸出し、米国側が購入するという役割を果たしています。しかし、そのために米国人による製造業が無くなった感があり、トランプ大統領と多くのWASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)は製造業から離職させられた感があり、今問題提起が挙げられています。第二に米国企業が実施したFRBのデリバティブ方式の活用と誰が利益を受け取っているか?という問題が残されています。

Z. 今回は米国という巨大国が進める経営手法の大きさ、活動のすさまじさに驚きの声を上げたほどだった。
次回は国内のことに目を向けて産学官は何をするのかみたい。
  1. ①まず、1995年以降のサアムスンへの無神経な技術支援方式が、その後の日本経財に大きな打撃を与えた
  2. ②日本国は東大出、官僚が明治時代からの古い意識で、国民を扱っているが当然であるという意識が強い。昭和時代には、ピンチに大物が出現したが、平成の官僚、経営者に覇気がない。
これらの問題を取り扱って欲しい。

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