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日本の危機の認識とプロジェクト・マネジメント活用への提言 (19)

東京P2M研究会 渡辺 貢成: 11月号

Z. 10月号では日本の危機に対し、同時期に韓国も困難を乗り越えて、飛躍的に成長している。そこで今月号は、サムスンの危機の回避の現状を学び、日本の現状に貢献できれば、活用してみたいと考えた。
  1. Ⅰ.1990~2000年の日本
    1990年に製造業世界一になったが、経済成長率が2%以下になった。資本主義国家においてはこの数字はデフレを意味している。この段階で欧米では素早くデフレ対策をする。ところが、国内は財テクにうつつを抜かし、国民は財テク景気を満喫していた矢先に山一証券の自己破産宣言で、お先真っ暗になってしまった。
I. 仰る通りです。そこでオンラインジャーナルはその後の日本政府、日本企業が何をしたか早急に調べる必要があると考えました。その理由をお話しします。
韓国サムスンが今素晴らしい仕事をし、現在株高総額でトヨタ自工の2倍の規模になっています。そこで今度は日本がサムスンの成功の履歴を調べることにしました。
1990年日本の製造業は世界一になりました。その時のサムスンの内容はレベル的に3流程度でした。サムスンは1993年から日本を見習って1流企業になる仕組みを考えました。それが「3PI運動」でした。
ここで簡単に3PI運動を紹介します。
韓国人は基本的に個人主義の国民である。脳の中身が素晴らしくとも個人の領域を超えられなかった。
サムスンはこの時期若手でバリバリの新会長が活躍を始めていた。新会長が新しい体制づくりに考えたのが、「3PI運動」で以下の3つの改革を実行した。

第1の改革:「組織と人のイノベーション」
  1.   今までの韓国流個人主義の人材構成では、1流の企業になれない。社員が背伸びして、1流の人材になるには何をするべきかを示したのが第1テーマ「組織人間の発想の改革」であった。従来の社員は個々別々に活動していた。それでは優秀な人材を入れても、人数分の成果しか達成されない。今のサムスンは足し算では間に合わない。1流人材が頭を突き合わせて、議論し、謙虚に理解し合えば、1流はそれぞれが超1流になる。そこで今度は世界を股に掛けて、世界的人材と付き合うことで、世界を支配できる人材が育つ。これらの人材が定期的に会合をもって地球の将来を考えると、サムスンは最前線の課題を考え出し、開発することができる。これは会長が求めた人材開発方式で「この組織がタテ・ヨコ・未来を含めた組織ビジョンをもてば」将来が開ける。以上が「組織と人のイノベーション」の概略である。

第2の改革:「プロセス・イノベーション」
  1. ①何故プロセス・イノベーションが必要だったのか?
    製品開発や生産などは、すべての手順を踏んだ流れがあり、この流れ(プロセス)をより効果的かつ効率的なものに変えていくイノベーションを目的とした。具体的にはCAD/CAMをはじめとするITを積極的に活用することで新たなプロセスを構築することを狙った。これは李会長が大改革を宣言した1993年より前から意識していたテーマであった。しかし、会長の思惑とは異なり、サムスンのIT化は遅々として進まなかった。理由はサムスンには開発プロセスや生産プロセスがもともとなかったからだった。吉川氏が海を渡った頃のサムスンはその域に達しておらず、吉川氏の韓国滞在は長くて1年と考えていたが、実際は10年かかってしまった。つまりCAD/CAMの導入のためには、開発や生産などのプロセス作りから始めなければならなかった。
    サムスンは一時期、開発プロセスや生産プロセスがなくても、先行するメーカーの製品のコピーが中心だった時代があったが、そのようなやり方をしているとオリジナルな製品をつくることなど、夢のまた夢であることに気が付き未来に向けたプロセスの開発を進めていった。

  2. ②「PDM」と「スーパーセット」
    PDMは「Product Data Management」の略で、設計、開発に関わる全ての情報を一元化して管理することで、工程の効率化や工程期間の短縮などを測る情報システムのことを言う。ベースとなるシステム構築は1994年から始まり、1996年に完成した。その後は毎年バージョンアップしている。この情報システムはサムスンでは頭にサムスンのSを付けて「SPDM」と呼んでいる。
    アナログ時代のモノづくりでは、具体的になったアイデアは必ず設計者によって図式化された。図面には、材料のサイズ、形状、部品の組み合わせがあり、日本の独擅場であったが、デジタルの時代は三次元CADの登場によって、モノづくりに図学の知識の必要性が無くなった。
    PDMの構造は図3に示したが、最大の利点は、製品の開発や生産に関するデジタル情報を一元管理することで、情報システムにアクセスできる人すべてが情報を共有できることにある。それによって同じ目標に向かって動いている複数の人たちそれぞれが、別々に行っている作業を同時並列的に進めることができる。
    一般的には、PDMの登場によって、はじめて、「チーム設計」や「コンカレント開発」などの手法が可能になった。これも基本的には第1テーマの人材の意識転換によって、新しい発想がうまれ、収益向上が達成された。

第3の改革:「製品のイノベーション」
  1. ①オリジナル製品の開発
    李会長は1993年からスタートした大改革の目的はグローバル時代を生き抜くことであったが、サムスンは開発しようにも開発プロセスさえない時代で、プロダクト・イノベーションとして幾多の仕掛けをしたがうまくいかなかった。
    サムスンの最初のプロダクト・イノベーションは「名品」というテレビで、開発は1994年から95年にかけて進められ、このプロジェクトのデザインから設計まで、常務吉川良三氏が実行しました。理由はすべて3次元CADを使って進めました。狙いは来るべき3次元CADの本格導入に備え、実際の製品開発を通じてCAD/CAMの有効性を社内で広く理解させることにした。結果は大成功で、開発期間は18か月を12か月に短縮し、コストを30%削減した。韓国では従来の手法である2次元で画面を読める人材が少なかったが、3次元CADは図学の知識なしに、現物を見た状態が書かれていた。大成功であった。CAD/CAMの活用で、デザイナーが自由な発想で仕事できる環境ができたことで、世界的な賞を次々と獲得できる環境が整った。

  2. ②「ベンチマーク方式」と「リバース・エンジニアリング」
    かつてのサムスンは先行メーカーのデザインを「単なるモノまね」レベルでこの方式を「ベンチマーク方式」と呼んでいた。
    しかし現在は先行製品を分析し、どのような機能を意図して設計され、その機能を実現するため、どのような仕組み(機構)を備えているかといったことを分析している。吉川氏はこのようなモノづくりの方法を「リバース・エンジニアリング」と呼んでいる。中国のメーカーはいまだに「ベンチマーク方式」だが、「リバース・エンジニアリング」で製品設計にまで のキャッチアップを行うと、状況はがらりと変わり、その製品を別の消費者や市場向けに作り替えることができる。

  3. ③「グローバル化」の意味
    サムスンは現在、新興国市場だけでなく、欧米などの先進国市場でも大きく売り上げを伸ばしている。はじめは避けていたはずの「日本と競合する市場」でも結果を出している。この秘密は、新興国での成功をさらに進めたグローバル時代のための戦略にある。
    日本企業のグローバルに向けた戦略は、世界中に同じものを売るという方法だった。 もともと品質が世界一だから、不満を感じているひとはいないと日本人は考えていたが、今は画一的な戦略は通用しなくなった。
    しかしサムスンは発想が全く違っていた。それぞれの国にはそれぞれ異なる文化があり、経済力も国により違いがある。そのことを前提にそれぞれの場に遭った製品開発を行っています。新興国では2槽式洗濯機が爆発的に売れている。人気の原因は価格1万円だからだ。インドでは鍵のかかる冷蔵庫で使用人に食べ物を盗まれない方式が人気を買い、テレビは地域によってマルチリンガル方式が必要とこれを受け止め、サムスンの戦略は「消費者に選ばれる力」を発揮することと定めている。

  4. ④価格を決める二つの方法
    サムスンのグローバル戦略では、製品の価格設定が重要な要素だ。特に新興国の市場に向けた製品に言える。いくらニーズがあっても、消費者が「価格が高い」と感じたらなかなか売れない。経験的にいえば家電製品ではその国の平均月収(自動車の場合は平均年収)を超える価格に設定したら、まず売れないと思って間違いない。そのため価格設定は、市場の消費者の経済力などを調査しながら、適当と思われる価格を本社で設定し、そこから許されるコストを割り出し(引き算方式)、その上で製品の開発を進めるのがサムスン流です。
    日本ではふつう、製品のコストは足し算方式できめる。ある製品をつくるとき、どんな部品をどの程度必要で、それを加工するにはいくらかかる、という風に各工程で必要になるコストを最初計上し、こうして導き出した製造原価に様々な経費や確保したい利益分を加算して、最終価格を決定する。この方式はメーカーの都合が優先されている。日本でも価格調整は行われるが、現場が選んだ部品を強調すると、調整が難しくなります。
    サムスンでは製品の価格は、基本的に消費者の経済力を、市場を見ながら最初に決めた価格なので、この価格が優先されます。

  5. ⑤「製品の質」は消費者が決める
    サムスンでは「品質は消費者がきめるもの」という考えが徹底している。
    サムスンでいう「品質」とは「性能」「機械」「デザイン」「サービス」など、「『価格』以外の製品に関わる属性すべて」を意味する。
    日本の「品質」とはモノの品質だけを意味しています。しかし韓国の消費者は「モノの品質」しか取り上げない日本の品質は歪に見えてきます。つまり問題は、品質が価格とのバランスを含め、消費者の要求に遭っているかどうかということです。サムスンの場合は、消費者の要求しか見ていない。そしてそれを戦略として徹底したことが、日本企業との立場を逆転させたひとつの要因となっています。

  6. ⑥VIPセンター
    サムスンはリバース・エンジニアリングによって大きな飛躍を遂げた。これを行うために開発に携わる人たちが一堂に会して議論を行うVIPセンターがある。
    専門家の激しい討論で成果をあげてきた。

  7. ⑦モノ中心のイノベーションが利益の源泉にならない時代
    サムスンが世界の市場で大きな利益を上げるようになったのは、製品開発における発想の転換に秘密がある。製品開発は普通開発するモノを中心に考える傾向にある。最初にどのようなモノを作るかを決めてそれを中心にすべてのプロセスが決まる。
    しかし、これはアナログ時代のモノづくりの時代で、デジタルモノづくりの時代では、環境や条件が大きく異なる。環境が激変する中で結果を出すには、発想の転換が必要で、モノをイノベーションの中心に据える考えを改める必要があり。サムスンの躍進の秘密を考える上では、競争力の源に注目重視されていたのは「消費者を説得する力」、「消費者を納得させる力」を身に着けることです。
    実際、IMF危機以降の一連の戦略は、すべてその証拠です。「消費者を説得する力」と「消費者を納得させる力」徹底的に身に着けてきた。それが「消費者から選ばれるサムスン」といういまの強さに結びついているのです。

  8. ⑧畑村コメント:プロダクト・アウトとマーケット・イン
    1950年代、日本の企業は90年代半ばまでのサムスンと全く同じような立場におかれていた。先行する欧米の企業に技術で歯が立たず、まともな競争ができなかった。そのためどの企業も必死になって技術のキャッチアップを行ってきたが、二通りのやり方があった。一つは技術提携をして、欧米の企業に学びながら、技術導入するやり方。他は欧米の企業の製品のモノマネと分析を繰り返しながら、自前で技術を追いかけるやり方だった。
    畑村先生は大卒後日立でブルドーザー技術のキャッチアップで鋳物欠陥すら同じ位置になるように正確な模倣をした。
    ここまでは機構部分のリバース・エンジニアリングの領域である。サムスンがすごいのは、そこからさらに、製品に要求されている機能という抽象領域にまでさかのぼって先行する企業の製品を分析したことだ。そして、製品に求められている要求機能まで理解し、これをベースにして別のニーズを持つ消費者のために新たな製品をつくりかえるというフォワードエンジニアリングを行った。日本企業はそこまで遡りませんでした。
以上

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