PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (131) (Nコム)

向後 忠明 [プロフィール] :9月号

 先月号はスリランカの民営化事業について話をしてきました。
 スリランカより帰国した後、N社の規定で一か月ほど休暇をもらい、日本での生活を久しぶりに満喫することができました。
 インドネシア、スリランカと東南アジアでの生活を約8年間もしていたので日本の山河をゆっくり見ながら旅してみたいと思うようになり、車で日本の各地を巡りました。
 東南アジアと異なり、日本はどこに行ってもきれいに整備された道路や街並みがあり、そして心を癒す美しい風景もあり、日本の良さを改めて感じさせてくれました。
 インドネシア、スリランカでの二つのプロジェクトに従事している間、何度か日本に帰国するチャンスはありました。その目的はN社子会社の社長または役員を集めた幹部会議への出席ということだったので、短期間の一時帰国でありゆっくりできませんでした。
 会議ではN社の再分割などの重要な話題が多かったと記憶しています。スリランカからの帰国はその会議から数年経っていましたが、自分の所属していた会社そのものが跡形もなくなっていることがわかりました。
 このような会社の大きな編成替であったので、休暇明け後、私はどの会社に所属するのか、またどのような仕事をするのかわからない状態でした。
 しかし、これまでの経験から、何処の会社に所属しても問題ないと思っていました。
 多分、国際事業を主体とする会社だろうと思っていましたが、想像通りNコムという会社から声がかかってきました。
 結局、私はソリューション事業部の担当部長という肩書をもらい、この事業部のアドバイザーとして仕事をすることになりました。
 最初はソリューション事業部全対のISO9001の認証取得を担当しているチームに行くように人事部から指示され、挨拶のために出かけました。
 そのチームに顔をだしましたが全員見たことも会ったこともない人達であり、そこのリーダは私より若い担当部長で、全く面識のない人した。私を怪訝な顔で見て、面倒くさそうに彼の部下たちに紹介し、適当な席をあてがってくれました。
 なにはともあれ、長い海外駐在であり、昔の会社の人達もバラバラになり、N本社のプロパーでもなく、他の会社からの途中入社でもあり誰も面識のある人はいませんでした。
 プロジェクトでは基本的に見しらぬチーム員と仕事をすることは当然と思う心得もあり、どのような境遇でも仕事をして来たので、あまり気にせず、みんなと仲良く仕事をするように心がけました。
 ところがある日、常務である事業部長に呼ばれ、現在の私の手掛けている仕事の内容を聞かれ、何を思ったか、私にソリューション事業部の各部プロジェクトの顧客への提案書の発出前審査に加わりアドバイスをするように要請され、また毎週の部長会議にも出席するようにと依頼されました。
 この審査や会議に加わったことから、ソリューション事業部はNコムの中でも最大の中心事業体であり、営業から提案・実行といった一気通貫で仕事をする大きな組織であることがわかりました。
 このような経緯で新たな仕事をするようになりいろいろなことに気が付きました。
 この事業部はその組織の大きさに比べ遂行している仕事は小さく、部長を始め担当者もルーティンワークの延長で仕事をしているような感じであり、それぞれの部門に営業部隊を持っていて、営業の力が強い感じがしました。このような事情から、実プロジェクトの経験から審査をさせてみて、その能力を試されたのだと思います。

 なお、このNコムに赴任してから、PMI という団体がPMBOKといったプロジェクトマネジメント知識体系の普及を図り、多くのIT企業がこの体系を導入していることを知りました。振り返って自分の所属しているソリューション事業部はその普及には程遠いものがあり、実際の仕事で利用しているとは思えませんでした。
 そこで、考えたのは自分のプロジェクトマネジメントの知識の総仕上げとして、この事業部の研修用資料として本を作ることを考え、事業部長の了解を得て、PMBOKを参考に本を発刊することにしました。
 その本が「ワンランク上のプロジェクトマネジャを目指して」です。この本はプロジェクトマネジャを中心とした仕事のやり方を描いたものでPMBOKより具体的で実践的な仕上がりとしました。
 この本は2000部ほど印刷されオーム社から発刊されましたがほとんどはNコム社の社員に配られました。

 その後、急にソリューション事業部は解体されSE部(事業部レベルの組織)が創設され、自分はこの部に所属することになりました。
 帰国してから私にとって、このようなことが自分の周りに目まぐるしく起こりましたがそのような時に、国の情報通信を扱う情報処理推進機構のIPAといった組織からPM委員として参加してほしいとの打診があり、そこの委員会にも所属することになりました。
 同時に、プログラムマネジメントを日本に普及することを目的としたNPO団体であるJPMF(現PMAJ)の理事として参加することも要請されました。
 このような時に、自分のプロジェクトマネジメントに関する経験が第三者にも認知され、これまでの自分の実践的経験が人のために役立てそうだと感じるようになり、この会社を卒業したら「ゼネラルなプロ」と題して、機会があったら投稿して見ようと思いました。
 これにより、プロジェクトマネジメントのさらなる普及に微小であるが貢献できるのではないかと思いました。

 このような時、今度はここでSE部長がこの部門にPMOを作るのでPMO長をやってくれとの依頼がありました。
 しかし、同時に財務部長から現状の財務・会計システムの更改プロジェクトを立ち上げるのでこのプロジェクトのプロマネになってほしいとの依頼がありました。
 SE部長と財務部長からの依頼の両方を同時に進めるのは自分にとってはかなり難しいことと思い、どちらか一方にしなければ、と感じました。
 どちらかと言うと、PMOは組織管理面からプロジェクトを有効に進めるために専門的にマネジメントする組織で、恒常的にその部門を管理していくものと考えます。組織から外れ単独にタスクホースを組み、プロジェクトを実行し、終わったら解散といったような仕事のやり方が自分の症にあっていると思い、財務・会計システム更改プロジェクトに参加することにしました。しかし、自分の所属のことを考えると全く仕事をしないわけにもいかないので、受注したプロジェクトのアドバイザーとしての役割も担当しました。このようにSE部と財務部の二足の草鞋を履くことになりましたが、SE部の仕事も続けながら財務部長とのコンビで財務・会計システム更改プロジェクトのアドバイザーとなり財務部担当部長をプロマネとして、このプロジェクトを進めることにしました。
 このプロジェクトの目的は、これまでの2半期決算からアメリカ基準の4半期決算に既存システムを更改するプロジェクトで、このシステムは財務システムと会計システムからなっているとのことでした。
 そして、同時に海外支店の会計システムもこのシステムに組み込むものでかなり大きなシステム開発となりました。
 もちろん、自分としてはこのシステムの詳細は分かりませんが、当初は財務部のスタッフと調査チームを作り、まずは会社の財務部を含め各事業部や各部門がこれまでどのような財務・会計システムを導入していたか、そしてどこのベンダーとシステムの開発を行いその内容はどのようなものかを調査することから始めました。
 その後、統合システムの概要をまとめシステム全体の枠組みがどのようになっているかを見極めて、プロジェクト組織の編成を行うことにしました。
 プロジェクト開始に当たってまずはプロジェクトの内容を把握し、会社内の状況、そして外部環境等を照らし合わせ、プロジェクトマネジャの選定を行い、以下のような方針で作成することを考えました。
 すなわち、本システムが全社及びNコム以外の関連会社にも影響するというプロジェクトの重要性から、財務部、経営企画部そして各事業部からなるステアリングコミティーを設置し、この下に財務部(ユーザー側)より選出されたプロジェクトマネジャが全プロジェクトを統制管理するタスクフォースチームを結成するという組織編成案を財務部長に提案しました。
 また、社内システムといえこのような大きなシステム開発をタスクフォースチームという体制でやることはNコムとして初めてであり、具体的な方法もわからない状況のまま進めることに不安もありました。
 何故なら、実行に当たってはこれまでのルーティンワークになれた財務部が中心のプロジェクトであることから、仕事の手順や進め方そして自分たちの役割等を含めた詳細な組織内要員の設定が問題となります。
 確かに組織の大枠を描くことは簡単にできますが実際の業務に対して誰をどこに張り付けるかまたその実行手順がどうしたら良いのか、実際のプロジェクトの経験がないといつも問題になります。
 ここでPMアドバイザーとしての役割が発生することになるのですが、ここから財務部門のプロジェクトスタッフの教育を含め、作業を開始することになりました。

 来月号はこの辺の話をしますので今月はここまでとします。

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