PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (130) (事例 民営化事業)

向後 忠明 [プロフィール] :8月号

 これまでCAOとして総務、人事そして労務の仕事に専念してきたが、COTO(建設&設備運用役員) の帰国に伴い、彼の所掌である役割も任されることになりました。
 この結果、筆者のCAOとしての役割というよりCOO(Chief Operation Officer)の役割のような気がしてきました。
 民営化事業なので重要な政府折衝、議会そして投資家等のステークホルダー対応、そしてその他財務関係や同業他社対応などもあるが、これらはCEO およびCFO が対応することであり、その他はすべてCAOに覆いかぶさってきました。

 なお、この頃になるとCAOとしての職務の重点項目であった労働組合問題は下火となり、従業員との関係や相互のコミュニケーション等もスムースになり、従業員との良好な関係が醸し出されるようになり、これまでのようなギクシャクした関係はなくなってきていました。このことは目の前に起きる問題の解決にも役立つことになり、業務上での前向きな意見が従業員からも出てくるようになり、不正問題の解決にもつながるようになりました。

 この頃になると、CAO としての職務もピークが過ぎ、今度は組織のリエンジニアリングに取り掛かる余裕も出てきました。その題材として品質マネジメントの国際規格であるISO 9001を利用した組織の能力を組織自身が内部で評価できる業務品質手順に関する仕事に取り掛かることにしました。また、目的指向の業務を効果的かつ効率的に仕事を進めるためのプロジェクトマネジメント教育にも仕事の割合を増やすことにしました。
 その理由は、建設関係の体制を調べてみるとCOTO 在籍の時のODA案件への対応は入札時での日本政府や業者対応が主なものであり、その後の計画及び実行は殆ど業者任せでやっていました。
 そのため、社内には対象となる業務遂行の管理をするプロジェクトチームもなく、責任範囲も明確でなく、正直言って「何がどうなっているか」わかりませんでした。
 実際、建設部内を見てみると執務状況も最悪であり社員が暇なのか机によりかかり居眠り、さらにびっくりしたことは資材置き場を見に行くと電話回線用のケーブルが山積みとなっていました。一方、現場の業者からは資材不足の話が頻繁に発生していたようです。その原因を調べてみると資材調達がSLT(会社)側にあり、現場のスケジュールとの照合ができていないことに原因ありました。
 早速、建設本部長と担当部長そして調達部長を呼んで資材関係の調査を行わせたが帳簿と資材の数が合わないこともわかりました。
 これはすでに社内不正問題で懲戒免職した前任の調達部長の仕業とわかり、建設部長にプロジェクトの進捗と資材管理に責任を持たせ現場工事スケジュールとの調整と資材管理の徹底を行うように指示しました。
 このようなこともあり、プロジェクトマネジメント教育を建設本部及び関連部の従業員に徹底させるため、その教育をすることにしました。
 この当時(2000年)はPMBOKなどのガイドブックもなかったため、CAO が書き溜めていた原稿を基にした英文の社内用研修資料「Project Management Guide」を、SLT社員による英文レビューの協力を得て作成しました。この資料は300ページに及ぶものとなりましたが、約1か月で書き上げ、SLT内の印刷所でガイドブックとして完成させ、これを基に社員教育を人事部所属の教育研修所にて行いました。
 一方の、ISO 9001 については新設の品質保証部に対してその内容と規格が求めている考え方と仕事の進め方について指導しました。
 ただし、当面は資格審査と認証取得を目的とせずまずは国際規格に準じた社内ルールとしてまとめるように指示しました。
 本件はゼロからのスタートということになるとCAO自身がここに忙殺されるとほかの仕事に影響が出るので、ルール作成の参考として前回のインドネシア業務で作成したISO 9001の書類を渡し、これを真似して作成するように指示しました。

 何故ここでプロジェクトマネジメントとISO 9001の知識体系を同時に開始したのか、理由を以下に示します。

 ISO9001は会社全体の業務遂行の継続的改善を目的としたもので経営者の責任、資源の運用管理、製品実現測定、分析及び改善からなっています。
 この流れはプロジェクトマネジメントのプロマネの責任、プロジェクト計画に従ったQCDコントロール、目標の達成、そして目標の確認(分析、確認)に似ていることから、その中での従業員のとるべき活動や行動はプロジェクトマネジメントと同じということは経験からわかっていました。
 そのため、製本された自著の「Project Management Guide」に従い、建設本部の人達を対象に重点的に研修しながら同時に実際に進められているプロジェクトにて担当者を中心にOn-The-Jobトレーニングの形で指導をしたりしました。
 このように国際規格準拠に従った会社としての基本的な業務遂行に関する基本的な考え方や方法論そして執務環境の整備により従業員も納得してくれて、前向きな動きとなり、以前とは異なった秩序ある行動をするようになりました。

 本民営化事業が開始された当初は、スリランカの人達からはN社の日本流のクオリティー経営を期待していたのに、N社の経営もたいしたことないとか、ひどいのになると、サービスの改善もなく、利益だけを上げてそれを日本に持ち帰るのではないかとまで疑いをもたれていました。
 このような疑いもこの頃になると少しは晴れてきたように感じるようになりました。

 ここで少し話が変わるが、当初CAO として赴任した時のCEO がこの事業の中盤で詳細は不明であるが退任することになり、また先にも述べたCOTOも日本に帰国することになりました。このため社内は騒然としたこともあり、次はどのようなCEO が来るのかといった話が持ちきりとなりました。これまでCAOの活動に協力的であったCEO がいなくなりどうなるかと危惧していましたが、新たに来たCEOは以前所属していた会社の社長でありよく知っている人でした。このCEOは前CEOに比べ冷静であまりトップダウン的行動を取らない人であり、これまでのCAOの業務のやり方を踏襲することも黙認してくれました。
 そして、CAOとしての仕事がほぼ完了に近くなる頃、企業成績も依然と比較し、赤字も解消してきました。このような時期に、またCEO が変わりました。
 私がCAO として活動している間にCEO が3人も変わりました。CEOの変更の理由はそれぞれですが最初のCEOはスリランカ政府との企業運営の在り方や営業成績の低迷等によるものであったようです、私にとってはやりやすい人でした。以降のCEOについては業務上でのやり取りで困ったということもなく、CAO としての業務はこれまでと変わりありませんでした。よって、CEO の変更に影響を及ぼされることなく、自分の業務目標達成のための動きには大きな変更もありませんでした。

 以上、民営化事業での活動について述べてきましたが、異国での国営企業におけるマネジメントは民間の事業運営とは大きく違うし、民営化となるとそれに倍する困難があることも分かっていただけたと思います。何はともあれ、異事事項ばかりが発生し、自ら「何をどのよういしたら良いか?」といったまさにP2Mのスキームモデルのオンパレードであり、ここでの不確定事象を含む問題解決にかかわる実践が私にとっては大きな経験となりました。
 何はともあれこれまで政府系公務員であった人達が民間企業と同じ体制になるため、これまでの既得権を失うだけでなく、外国民間企業の管理下に入ることになり、彼らとしてのショックも大きかったと思います。
 当然そこにはこれまでの公務員としての安定した生活からの脱却を求められるので、かなり多くの抵抗があることは誰でも想像できたと思います。
 現地従業員がこのように考えるのは当然の成り行きであり、CAOとして赴任してきた者としては、民営化に付随して起きる当然の問題を解決しない限り、会社の民営化は成功しないと思い、当然起こりうると想定される従業員との摩擦、すなわち労働問題に力を入れました。もう一つ大事なことは「企業は人なり」であり、何はともあれ協調性をもって、共に共通の土台で問題に立ち向かうことのできる体制つくりが必要と思いそこにも力を注ぐことにしました。

このように会社の人を扱う人事及び労務そして会社の体制つくりをできる権限を持つCAOという役割は非常に重要な立場であり、企業経営の中核となるものであると思います。このことは私にとってもプロジェクトマネジメントを志す者として大きな経験となりました。
 そして、4年近いスリランカ駐在を終え、帰国する時に、この会社としては珍しく、現地管理職を含め多くの従業員が感謝の言葉を添えて私の送別会を祝ってくれました。

以上がスリランカ国営企業の民営化事業の話でした。

今月はここまでとします。

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