図書紹介
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ザリガニの鳴くところ
(ディーリア・オーエンズ著、友広 純訳、(株)早川書房、2021年4月11日発行、第15版、511ページ、1,900円+税)

デニマルさん : 9月号

今回紹介する本は、色々と話題のある本である。日本で翻訳され出版されたのが、2020年3月である。原作(Where the crawdads sing)はアメリアで2018年に出版され、一躍話題となり500万部以上も売れ、世界各国で翻訳され日本も含めて1千万部が売れたという超ベストセラーである。それと2021年度の「本屋大賞・翻訳部門」で第1位に選出されている。筆者は毎年の本屋大賞に注目していて、可能な範囲で取り上げている。今年6月に紹介した「オルタネート」(加藤シゲアキ著、(株)新潮社)は、大賞受賞を予想して取り上げた。残念ながら8位で結果は的中しなかった。それと一昨年から翻訳部門にも注目し、その関係で韓国の「アーモンド」(ソン・ウォンピョン著、矢島暁子訳、祥伝社)を紹介した。それが2020年9月だから丁度1年前である。さて、今回紹介の本で話題性が最も高いのは、本書がハリウッドで映画化されることだ。その報道によると「米ソニー・ピクチャーズが新作映画「Where the Crawdads Sing(原題)」の全米公開を、2022年6月24日に行う」と発表した。映画「ファースト・マッチ」のオリビア・ニューマン監督がメガホンをとる。ヒロインには、英ドラマ「ふつうの人々」でブレイクしたデイジー・エドガー=ジョーンズに決定している等と話題満載である。それでは本書のストーリィのポイントを少しご紹介しよう。物語は1969年、所はアメリカの南部ノース・カロライナ州の湿地帯で、チェイス・アンドルーズという男性の死体が発見されたところから始まる。その時点ではこの人物が誰で、どういう人物か、まるで見当もつかない。その後の章で1952年に時代を移し、湿地帯で家庭崩壊に近い、貧しい暮らしをする一家の状況が語られていく。それから17年間の主人公の少女が生きていく過程で自然を学び、恋愛もする。後半では、殺人事件の裁判劇と湿地帯の自然観察を細かく記録・資料化するような情景が丁寧に書かれてある。この本は、ミステリー小説か湿地帯の自然観察録か少女の波瀾万丈の青春物語かと、読み終わるまで掴み切れない深さがある。結末は誰も予想もしない形で終わるのだが、これは読んでのお楽しみとしたい。さて著者のディーリア・オーエンズは、1949年生れの動物学者であり作家でもある。ジョージア大学で生物学を学び、カリフォルニア大学で動物行動学の博士号を取得している。その後、アフリカのボツワナのカラハリ砂漠で働き、アフリカの野生生物の行動生態学に関する研究を発表している。カラハリ研究プロジェクトでロレックス業績賞や、米国自然史博物館のジョン・バロウズ賞等を受賞している。著書は「カラハリ、最後の野生に暮らす」(早川書房、1988年)や、「象の目」、「サバンナの秘密」のような、動物学の研究でアフリカに滞在していた当時の回顧録である。そして今回紹介の本が処女小説で、2019年のニューヨークタイムズフィクションのベストセラーで25週間連続のランキング記録があると紹介されている。次作は、今回と同様に自然界から人が学ぶというテーマで執筆中と語っていた。

湿地帯で男性の死体発見          ――ミステリー小説――
この物語は、アメリカ南部のノース・カロライナ州の湿地帯が舞台である。有名な観光名所もなく、日本だけなくアメリカでも地味な存在の州である。その州の湿地帯地区だから、多くの人には馴染みない普通の都市である。その湿地帯の櫓の下に一人の青年(チェイス)が死体で発見されたことは既に触れた。事件現場が湿地帯なので、潮の満ち引き等で関係者の足跡や遺留品が発見されない。犯人の捜索は難航した。被害者の青年は、この地域では恵まれた家庭に育ち、アメリカンフットボールの選手としても有名である。それと多くの女性とも交友のあることで評判となっていた。その交際相手の中に、主人公のキャサリン・クラーク(カイア)が居る事が分かるのだが、犯人を特定する決定的な証拠がなく時間が過ぎる。

湿地帯での主人公(カイヤ)        ――環境観察と恋愛――
物語は事件発生の17年前に戻って、主人公カイアが湿地帯での貧しい家庭環境と成長過程を追っていく。元軍人で僅かな障害者年金だけで暮らす7人家族は、酒乱に近い粗暴な父親を見限って湿地帯の家を離れていく。この湿地帯には、前科のある犯罪者や世間から逃れた者がひっそりと暮す地域でもある。主人公は白人であるが「湿地の少女」と蔑まれていた。いわゆるプアーホワイト(俗称White Trash)と蔑称され差別されていた。学校にも行かず孤独と差別に抗いながら生きていた。そんな環境下でも同じ湿地で暮す少年テイトが、主人公に動植物や詩の本等から読み書きを教えた。そして身近な湿地帯の自然環境を知る様になる。主人公は、その動植物の生態を細かに記録し標本化し続けた。だがテイトは動植物専門の大学に進学して、主人公から遠ざかっていった。その間に、先の青年チェイスが近寄って親しい関係となる。お互いに結婚の話も出るが、チェイスは別の女性と結婚した。それにも拘らずチェイスは執拗に暴力的に主人公に迫り続ける。そこで主人公はチェイスと断絶することになる。全くの孤独になった主人公は、湿地帯の動植物の観察と標本化に没頭する。

湿地帯の自然環境を極める          ――観察記録の図鑑化――
著者は動物学者であるので、本書には動物や植物の自然観察から人間である主人公の考えや行動を比喩的に書いている。主人公の数少ない人間との関わりの中でも裏切られたり、傷つけられたりする状況を自然の摂理と比べ巧に綴っている。例えば、自らが生き延びることで再び子を成し育てることが出来るという理由で子供を見捨てる母キツネ、交尾の最後に相手を食べてしまうメスのカマキリ、傷ついた同胞を見ると襲いかかる七面鳥等が語られるのだけれど、その背後にはいつも“あるがままの生を全うし死んでいく”というシンプルだが強烈なメッセージが書かれてある。先の事件捜査から主人公カイアが殺人犯として逮捕される。町では主人公を犯人視する中で、数少ない人が主人公を理解して犯人でないと信じて支えた。裁判員裁判の表決では「無罪」と確定した。その陰には、主人公の湿地帯の観察図鑑作成の努力が評価されていた。しかし、その資料には事件の真相が隠されていた。

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